故・村上 伸 師 告別式説教
「生きている時も、死ぬ時も主にある望みに支えられ」
同盟福音芥見キリスト教会牧師 鴨下 直樹
私ごとではじめて恐縮なのですが、今月11月の第一週に私の所属しております芥見教会で召天者記念礼拝を行いました。その後、墓地礼拝をいたしました。そのための準備をしていた時に、急に村上伸先生のことを思い起こしました。「ひょっとするともう長い間聖餐にあずかっていないのではないか」。急にそんなことが気になったのです。
以前、一度私どもの教会の礼拝に来て下さったことがありましたが、私にとって村上先生は雲の上のような存在でしたので、これまでなかなか私の方から声をかけることができないでいたのですが、この日曜日に進さんが礼拝に来られた時に、そのことをお話ししまして、私で良ければ聖餐式をしに行かせてもらいますがと、声をかけさせていただきました。すると、実は二週間ほど前に肺炎を起こしてそこから急に体力が落ちて来ているので、早い方がいいということで、その日曜の夕方、訪問をさせていただいて、小さな聖餐式を家族の方々と祝わせていただきました。
そして、その時に、もしもの時は葬儀をして欲しいということをお聞きしました。お聞きして、本当に私の怠慢を恥じました。もっと頻繁に通わせていただけばよかった。もっとお話ししたいことが沢山あったと思いながら、これからできる限り足を運ぼうと決意しておりました。そんな矢先です。この23日の木曜日の夕方、お電話をいただいて伸先生が亡くなられたことを聞き、本当に言葉も出ないほど驚きました。
昨日一日、いただいていました伸先生の自伝『良き力に守られて』と、昔から愛読しておりました先生の説教集『荒れ野の旅に先立つ主』という二冊の本をもう一度じっくりと読みました。特に説教集の方は、とても興味深いもので、ドイツの統一を巡る出来事の中に身を置かれた先生が、そこで何を感じ取り、教会でどのように語って来られたのかを示すとても力強い説教集です。
10年ほど前に私がドイツにおりました時に、古本屋で一冊の写真集を見つけました。ルドルフ・ボーレン先生監修で出された『神学者の顔』という写真集です。中には、そうそうたる神学者たちの写真が収められています。カール・バルト、ヘルムート・ゴルビッツァー、ハンス・コンツェルマン、エバハルト・ベートゲ、ルドルフ・ボーレン、この本の写真を撮ったアイヒホルツ。そうそうたる神学者たちの顔ぶれです。その中に村上伸先生の写真がまじっています。出版されたのは1984年です。伸先生がどういう時代にどんな方々と生きていたのかをあらわすものです。
自伝を読んでいても、説教集を読んでいても分かりますが20世紀のドイツの神学者たちの黄金期といってもいいような顔ぶれの中で、ともに思索し、神学を学んでこられた先生の姿があります。ドイツは激動の時でした。当時、東西は分裂したままで、教会はそのために闘っていました。文字通り闘っていました。そういう中で村上先生がディートリッヒ・ボンヘッファーの研究をなさるようになったのも自然のことだったように思います。
ボンヘッファーはまさに現代の殉教者となった神学者でした。そして、東西のドイツの神学者たちと交わりを持っておられた先生は、その中で信仰の戦いをしておられる友人の神学者たちのことを心に留めながら、それをご自分の牧会しておられた教会で、とても平易な言葉で、しかし、力強く説教を続けて来られ、まさに先生自身、説教集のタイトルにあるように「荒野の旅に先立つ主」を見上げながら歩んで来られたのだと思います。
伸先生の自伝を昨日読み返しながら、先生がどのように召命を受けたのか、そこに目を向けるとこう書かれていました。高校生の時に、当時の教会の牧師であった渡辺先生に連れられて伝道していくなかで牧師になるということについて考え始めたと書かれていました。きっとご家族のみなさんの方が聞いてよく知っておられることだと思います。けれども、牧師になって食べていけるのか不安で、なかなか父親に告げることをためらっていた時、急に天から「死ねばいい!」という言葉を聞いた。そんな気がしただけかもしれないけれども、確かに「死ねばいい!」という声を聞いたのだと書かれていました。キリストに自分のいのちを預けてしまえばいい、あとは何とでもする。そういう神様からの招きを受けて牧師になる決断に至ったのだと書かれていました。
村上先生の生涯はまさに、先生を召した神様にいのちを託して今日まで歩んで来られた一生であったのだと思います。召天の祈りをささげた時に奥様の雅子先生が伸先生とともにドイツを訪れた時のことを話してくださいました。特に印象深かったのは、ボンヘッファーが投獄されていたところを見た時に、雅子先生は心深く動かされて伸先生に尋ねられたのだそうです。「どうしてボンヘッファーはナチスに捕えられて、この独房の中で希望を持ち続けることが出来たのでしょう」。すると、伸先生はこう答えられたのだそうです。「それは、生きる時も、死ぬ時も、生きておられる主が共におられることを知っていたからだ」と。
これはハイデルベルク信仰問答の問いの一です。ここにはこう記されています。
問一 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか
答え わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります。
わたしの体も魂もわたしのものではなく、主イエス・キリストのものである。これが、教会が告白して来た信仰の告白の言葉です。そして、きっとボンヘッファーもその信仰に生きていたのだと言うことだったのだと思います。また、それは村上伸先生の信仰もそこにあるということのあらわれであったのだとも思うのです。わたしの体も魂も、わたしのものではない。それは、伸先生が、神さまに牧師として召された時、「死ねばいい」という主の御声を聞いたことと一つだと思うのです。
先ほど讃美歌を歌いました。讃美歌21の469番、「善き力にわれかこまれ」という賛美です。この讃美歌はディートリッヒ・ボンヘッファーの詩によるものです。村上先生の自伝の結びにもこの詩が使われていますので、村上先生の翻訳で紹介したいと思います。
「良き力にすばらしく守られて、何が来ようとも、われわれは心安らかにそれを待とう。
神は、夜も昼もわれわれのかたわらにあり、そしてどの新しい日も必ず共にいましたもう」
この詩もボンヘッファーが獄中で、大晦日に書いた詩です。この詩を書いて、迎えた新年ボンヘッファーはその詩に記したように、世を去ることになりました。殉教の死でした。たとえ、死が訪れたとしても、心安らかにそれを待とう。神は夜も昼もかたわらにいてくださり、どの新しい日にも共にいてくださるのだから。この詩は村上先生の生涯においても大きな意味を持つ詩であったと思います。まさに、この日にいたるまで、夜も、昼も主がかたわらにいてくださる生涯であったと。
亡くなられた前の日、伸先生は雅子先生を抱き寄せてくれたとお話しくださいました。「もっと力のある時にそうしてくれたらよかったのに。」とお話しくださった雅子先生のお顔はにこやかでした。生涯、そのように主に支えられながらお二人で歩んで来られたのだということを、知ることができました。
そして、最後に村上先生が聞いたみことばが、テサロニケの信徒への手紙1 5章9−10節のみことばだったそうです。
神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
奥様の雅子先生が、伸先生が亡くなる前に、このみことばを読まれたのだそうです。私は本当に不思議な一致があるのだと感じています。ハイデルベルク信仰問答の問い1の言葉と、このテサロニケの信徒への手紙1 5章のみことばとがここでも深く重なり合っています。「目覚めていても、眠っていても、主と共に生きる」それこそが、まさに村上先生を支配していたのだと思うのです。
先ほど、詩編23編をお読みいたしました。もう説明の余地もないほどに、この詩編は村上先生の生涯とともにあった聖書の言葉です。その最後にこう記されています。
命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。
今、私たちは主の家路に着いた村上伸先生を覚えて偲んでいます。しかし、そこには大きな慰めがあります。生きている時も、死ぬ時も、その体も魂も、主イエス・キリストのものとされているからです。そして、今、主と共に住み、永遠の安息の地に招き入れられたのです。どうか、この主の平安がご家族の上にあり、主の豊かな慰めの霊がみなさんと共にあるように祈ります。