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降誕節第1主日

降誕節第1主日

降誕節第1主日礼拝
午前10:30〜11:10(短縮形式)
    司会・説教:陶山義雄
    奏楽:ヒムプレーヤー

前    奏  (黙祷)
招    詞  マタイによる福音書11:28
讃 美 歌  175(わが心は 1,4,5節)
聖書朗読  サムエル上15:24〜35 (旧p.452)
          マタイによる福音書7:1〜5 (新p.11)
祈    祷
説    教  「赦しの福音」 陶山義雄
          (山上の垂訓・第13回講解説教)
祈    祷  
讃 美 歌  246(天のかなたから 1,2,3,7節)
献    金  感謝祈祷:礼拝当番
主の祈り  93-5A
祝    祷  
後    奏  
			

  • オリーブ会はしばらく休会します。

 

お知らせ

  • 礼拝献金は礼拝前に受付でお献げください。
  • 「こころの友」1月号が来ています。伝道にお用いください。

 

今週の集会

  • 祈り会(Zoom) 12月30日(水)10:30〜11:30。2020年を振り返って祈りを合わせます。*出席希望者は中村牧師までお知らせ下さい。Zoom参加招待メールをお送りします。

 

次週予告(2021年1月3日)

  • 教会学校 お休みです。1月10日から再開予定です。
  • 西南支区新年礼拝: 2021年1月1日(金・祝)14:00〜15:00 オンラインで行います。(1/2まで視聴可) 受付に案内があります。

 

牧師室から

「裁き」を巡るサムエルとイエスの姿勢

 本日の旧約聖書朗読箇所:サムエル記上15章は預言者サムエルが主の託宣を受けて、初代イスラエル王・サウルをアマレク人(シナイ半島人)と戦わせこれに勝利したのであるが、「一切滅ぼし尽くせ」との託宣にサウルは反して、命乞いをするアマレクの王・アガクを赦して生け捕りにした物語である。サムエルは神の命令に反したその非を攻め、サウルを退位させ、アガク王を神の名によって惨殺した(同15:33)。

 この物語を読んだ時、筆者はこの物語と預言者サムエルに、そして、そのように命じる神に強い違和感を覚えたのである。同じサムエル記上8章ではイスラエルの民が、士師たちの治めるような分権ではなく、他の国々と同じように一人の強力な王の元で富国強兵による国造りを求めた時には宥め役であったのに、預言者の変貌ぶりと、神の代行者になると、かくも不寛容で残虐な人間になるものか、と恐れを覚えた者である。これを、本日の新約テキストでイエスが伝える「裁くな」と「赦しの福音」を比べて読めば、サムエルの振舞いが如何に理不尽であるかが分かるであろう。

 今から半世紀ほど前になるが、ユダヤ人の宗教哲学者であるマルテイン・ブーバー(1878〜1965)の著作集を読んでいた時、その第2巻『対話の原理』の中で「サムエルとアガク」を彼が論じているエッセイに共感を覚えた。ブーバーも預言者サムエルを批判していたからである:「すでに子供のとき、私(ブーバー)は、神の命令として現れたこれらの言葉を読むことが、どんなに怖かったことだろう。・・・これが神の知らせとは、絶対に信じられませんでした。今もそれを信じておりません。」この意見を彼が、訪ねて来た「敬虔な伝統に従うと云う、律法に忠実な」友人に投げかけて暫く会話が続いたあと、伝統に忠実であったこのゴリゴリのユダヤ教信者がブーバーに歩み寄り、「ヤー」と肯定的返答で握手を交わす場面を迎えた。ブーバーの注釈によれば、二人の対話は「我」と「汝」との関わりの中で交わす意見交換には、その根底で「永遠の汝」を見据えていたから合意に至ったのである、と云う。「サムエルは神を誤解した」、「この預言者は神でもないのに、神に成り代わっている」、そのように了解し合いながら、なおも信仰を持ち続けられる処に、ブーバーは本物の神(根源的汝)への信仰を証しているのである。イエスが「裁くな」と同時に「赦しの福音」を山上の説教で語っておられるが、父なる神を根源的汝として仰いでいる姿でもある。  (陶山義雄)