きょうのテキストにはまずイエスさまがエルサレムに近づいた時、この都のために泣かれて口にされた言葉が記されています。 『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……』。 イエスさまが都エルサレムに対して泣いて警告している伝承記事です。 この記事は、後にイエスさまが十字架を背負わされてゴルゴダの丘に向かう途中、民衆と共に嘆き悲しみながらついて行った女性たちの群れに語られた言葉と深い関連があると見られているルカの特殊伝承です。 共通点は、双方共にイエスさまを拒否するエルサレムの滅亡を予告している点です。
イエスさまがゴルゴタに向かわれるシーンをちょっと読んでみます。 158ページ、同じルカの23章28節以下です。 『イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。 “エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。 人々が、〔子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ〕と言う日が来る。 そのとき、人々は山に向かっては、“我々の上に崩れ落ちてくれ”と言い、丘に向かっては、“我々を覆ってくれ”と言い始める。 〈生の木〉さえこうされるのなら、〈枯れた木〉はいったいどうなるのだろうか。』
後半の山と丘に向かって云々という部分はホセア書10章8節からの引用です。 それは預言者ホセアが北王国イスラエルの繁栄を回顧しながら、その時代への根本的な批判をイスラエルに罰が臨むという形で語った箇所です。 ホセアが批判した北王国の繁栄の時代というのは、ヤラベアム二世と言うやり手の王によって経済的に栄えた時代ですが、宗教的社会的な堕落が始まった時代でもありました。 王侯貴族たちは繁栄の富に溺れ、貧富の格差が拡大した時代でもあります。 アモスもそうですが、そうした時代へホセアは厳しい告発と滅亡の預言を行いました。 イエスさまはゴルゴタへの道行で、そのホセアの預言の言葉を引用されたのです。
この十字架への道の記事と、都エルサレムに対して泣いて警告された伝承記事が深く繋がっているというのは大変興味深いところです。 そのことをしっかり頭に入れておきたいと思います。 後でまたこのことに触れます。 きょうのテキストに戻りますが、43-44節でははっきりとエルサレム神殿崩壊のシーンが示されています。 福音書記者ルカは紀元70年のローマ軍団によるエルサレム神殿崩壊を知っているのですから、この記事は事後預言でもあります。 イエスさまのエルサレム入城の場面はゼカリア書9章9節以下の「娘シオンよ、大いに踊れ」という記事を下敷きにして、どの福音書にも描かれていますが、衣や木の枝を道に敷いて、「ホサナ、ホサナ」と舞い上がって叫び続けた群衆の姿が印象的です。
ホサナというのは「今救ってください」という意味ですから、エルサレムの群衆はイエスさまに何らかの救いを求めて歓迎したのです。 つまりエルサレムに近づいた時、泣いて言葉を口にされたイエスさまの心を本当に理解していた人はいなかったということでしょう。 なぜエルサレムの人たちがイエスさまを歓迎したかといえば、その理由の第一に考えられるのは、イエスさまがユダヤをローマ帝国の支配から解放してくれるのではないか、という期待です。 そこにはそれまでの歴史が絡んでいます。
アレキサンダー大王はご存知だと思いますが、紀元前4世紀に彼はエジプトやパレスチナを支配しますが、東方遠征後に若くして死んでしまいます。 彼の死後、有力ブレーンだった一人セレウコスが広大な範囲にセレウコス王朝を建てますが、それ以降ユダヤ人たちはこのセレウコス王朝支配下で圧政に苦しむことになりました。 一時期エジプトのプトレマイオス王朝の支配下になりますが、最終的にはシリアのセレウコス王朝の支配に苦しみます。
このままではたまらんというわけで、ユダヤ人はあちこちでゲリラ活動を展開するようになります。 それがやがてユダ・マカボイスのように、英雄の下で独立を勝ち得るような戦いを生み出しました。 カトリック教会が使用している新共同訳聖書には旧約聖書続編としてマカバイ記という書物が正典として入っていますが、そこにはその辺りの状況が詳しく出てきます。 ユダヤ人はセレウコス王朝からエルサレムを奪還し、神殿からギリシャ色を一掃しますが、ユダヤ人の独立はわずか100年程度のものでした。 ローマ帝国が圧倒的な力を及ぼすようになり、セレウコス王朝も滅び、歴史はローマ帝国一色の時代に入っていきます。
イエスさまの時代にはゼーロータイ・熱心党と呼ばれる政治結社があり、12弟子の中にも熱心党のシモンがいました。 つまりユダヤ人たちはその民族主義的な考えを色濃く内包しながらセレウコス王朝支配時代からずっと権力に対して抵抗運動を続けていたのです。 イエスさまの時代はローマ帝国が権力そのものですから、熱心党などはローマの支配に対してゲリラ的な抵抗運動を展開したわけです。 ユダヤ戦争に見られる一時的な独立はあったにせよ、全体的に見れば、弱小民族の大国に対する蚊が刺すようなゲリラ活動というのが実態だったと思います。 そういうわけで、エルサレムが近づいて都が見えた時、イエスさまの心の中は、悲しみや失望感などいろいろな思いがないまぜになっていたことでしょう。
42節と44節に「わきまえる」という言葉づかいがあります。 原文では「知る」という意味の言葉です。 イエスさまは、「わきまえていたなら」「わきまえなかったから」という言い方で、エルサレムのかたくなで正しい判断ができない無知こそが、エルサレムが石を残らず崩されて破壊される理由なのだということを明らかにされています。 44節の「神の訪れてくださる時」という表現は、終末的な意味合いが込められているように思います。 終末の時に神さまは救いと平和を完全な形で実現されるというイエスさまの確信です。
エルサレムの神殿と街は紀元70年のローマ軍侵攻によって徹底的に破壊しつくされました。 古代イスラエルは紀元前10世紀のソロモンの神殿、バビロン捕囚後の第二神殿、イエスさまが生まれた頃のヘロデ神殿と移り変わっていきますが、みな破壊されたり乗っ取られて外国の神が祀られたりと散々な歴史を繰り返しています。 その背後には預言者アモスやホセアの宗教批判があったことを忘れてはなりません。 さて45節からはいよいよイエスさまがエルサレム神殿の境内に入られてからの出来事です。 45節には早速神殿境内で商売をしていた人たちを追い出したことが書かれています。
マタイとマルコの並行記事を見ますと情景描写はマルコが一番詳しく書かれています。 マタイとマルコには、イエスさまが両替商の商売用の台や鳩売りの腰掛をひっくり返したという暴力を振るったことが書いてあります。 どの程度の乱暴行為だったのかは分かりませんが、後にも先にもイエスさまが暴力を振るったのはこの神殿シーンだけです。 しかしルカはイエスさまのそうした行為をすべてカットしています。 なぜルカはそうしたのでしょうか。 ルカが一番言いたかったこと、即ち神殿が祈りの家でありイエスさまの教えの家であることを明瞭にするためだったと思われます。 イエスさまの目にはすでにエルサレム神殿には神さまを礼拝する真実は見出せなかったのでしょう。 霊的な信仰の生命もなく、あるものと言えば打算と便宜だけだったのです。 「わたしの家は、祈りの家でなければならない」という言葉は、イザヤ書に由来します(56,7)。 「あなたたちはそれを強盗の巣にした」は、エレミヤ(7,11)からの引用です。 つまり預言者が残してくれた本来の神殿の姿がまったく変わってしまっているとの嘆きです。 「祈りの家」であるべき神殿が、「強盗の巣」になってしまったというのです。
キリスト教と言えばすぐ愛を連想しますが、キリスト教には義もあることをしっかり確認したいと思います。 神殿を神の宮とも言いますが、神の宮と言えば、コリント前書でパウロが述べていることを思い出します。 コリント前書の3章16節以下です。 読んでみます。 302ページ下の段です。 『あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです』。
宮である限り、イエスさまの言われるように、「祈りの家」ともなるし、「強盗の巣」ともなります。 むしろ私たちは宮を「強盗の巣」に近いものとしていないだろうか、とよくよく考えなければなりません。 イエスさまは今日のテキストでいわゆる「宮きよめ」をされたのですが、 私たちもまたイエスさまに宮清めをしていただかなければならないでしょう。 当時の宗教指導者たちである祭司長や律法学者たちは本来は誰よりも先にそのことに気づかなければならないのですが、悲しいことに彼らはイエスさまを殺そうと謀ったと、47節にあります。 民衆が皆、夢中になってイエスさまの話に聞き入っている様子を目の当たりにして、そのはかりごとはますますエスカレートしていったようです。
たとえ祭司長と崇め立てられようと、人間というのは弱いものであることがよく分かります。 私たちの中に、神さまの前に悔い改める必要のない者など一人もいません。 人は自分をどんなにこの世のベールで覆ったとしても、神さまの前には小さな一つの被造物でしかありません。 そのことをくれぐれも忘れないようにしなければいけないと思います。 終わりに、最初に申し上げたゴルゴタに向かう道でイエスさまが女性たちにかけられた言葉を思い出してください。 あそこでイエスさまは、エルサレムの女性たちを代表として、エルサレムに対して改心への最後の警告を口にされたのです。 ですからイエスさまが言われた「自分と自分の子供たちのために泣け」という言葉は、改心の勧告です。 エルサレム滅亡を予告しながら、子を持つ母親の悲劇が予告されていると見てよいでしょう。 そこには神さまの裁きの厳しさが垣間見れます。 生の木と枯れた木の譬えも、おそらく無罪であるイエスさまでさえこのような苦しみに遭うのだから、ましてやイエスさまを死刑にして枯れて死んだエルサレムには、一体どれほどの厳しい神さまの裁きがあるのだろうか、という意味が込められていると思います。 最後にあらためて、この世の悪に対して最も毅然と対峙されたイエスさまが熱心党のように武力に訴えるのではなく、敗北の極みである十字架に自らつかれたことの意味をしっかり噛みしめたいと願っています。 祈ります。