I
先週5月9日(木)は教会暦で「昇天祭」でした。使徒言行録1章に、キリストは復活後40日間地上に顕現した後、天に昇ったとあり、そのことを記念する祭日です。私たちの教会ではとくに礼拝や行事を祝うことはしませんでしたが、今日の主日が「昇天後主日」と呼ばれるのはそのためです。そして来週が聖霊降臨祭(ペンテコステ)の主日です。
今日は、キリスト昇天を描いたテキストを手がかりに、教会にとって聖霊とは何であるかをごいっしょに考えてみましょう。
II
最初の部分で(3-5節)、まず復活したキリストは弟子たちに「神の国」について教え、ともに食事をしたとあります。これら二つの要素は、生前のイエスとの交わりとのつながりを意味します。イエスとの交流は、こうして復活後も続いたのです。弟子たちがエルサレムを離れるべきでないのは、この都がイエスの処刑と顕現の場所であるからです。
そしてエルサレムを結合点として、生前のイエスには見られなかった新しい要素が現れます。「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」というのがそれです。「聖霊」は、イエスが生きていた時とは異なる新しい時が始まることのしるしです。イエスの時は洗礼者ヨハネによる「水」の洗礼で始まりましたが、キリスト教会の時は「聖霊」の洗礼で始まります。
洗礼は、現在では、主としてキリスト教信仰への入信の儀式と受けとめられています。そして洗礼を受ける人の信仰告白と決断が強調される傾向にあります。洗礼はこうして個人史と結びついて、人生上の大きな切れ目をなすわけです。
それはその通りなのですが、今日の聖書箇所を見ると、洗礼は聖霊降臨の経験と結びついて新しい共同体の始まりを告げるできごとであることが分かります。私たちが洗礼式をともに祝うときも同じです。それは受洗者に新しい時が到来するのと同時に、そもそも教会共同体が(再び)生まれる瞬間でもあります。
III
続いてイエスと使徒たちは「イスラエルの再建」について対話します(6-7節)。
使徒言行録と同じ著者によるルカ福音書は、生前のイエスに、イスラエルを再建するという期待が寄せられていたと記しています。例えばエマオ途上の弟子たちは、イエスについて「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言います(ルカ24,21。さらに19,11も参照)。しかしこの期待は、イエスが処刑されることでいったん消え去りました。
そのイエスが復活したので「今度こそ!」というわけでしょうか、使徒たちは「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねるのです。しかしイエスは、神が定めた時を人は知ることはできないし、知る必要もないと返答します。この返答は、他の福音書で「世の終わりはいつか」という問いに対してイエスが与えた答えとよく似ています。例えば「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」(マルコ13,32)。さらにイエスは、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と言います。
この問答はちょっとちぐはぐな印象があります。イスラエルが再興される時はいつかという質問に、イエスは世の終わりがいつであるかは誰にも分からないと答え、さらに聖霊が到来するという約束を与えるからです。いったいイスラエル再建と世の終わり、そして聖霊の降臨は、相互に何の関係があるのでしょうか? もしこの問答を一貫したものと捉えるならば、〈聖霊の到来によって、最終決定的なイスラエルの再建はなされるのだ〉と理解できるでしょう。
そのように理解してよいと思われる箇所が、使徒言行録にあります。いわゆるエルサレム使徒会議について報告する15章です。この会議では、アンティオキア教会の代表者とエルサレム教会の代表者が、異邦人の教会参加資格をめぐって討論しました。アンティオキア教会は、異邦人は割礼をうけてユダヤ教に参入することなしに、そのままキリストによる救済に与ることができるという立場です。他方でエルサレム教会には、キリスト教はユダヤ教の一部なのだから、キリストの救いに与るには、当然ながらユダヤ教に改宗する必要があるとする意見がありました。
最終的にはエルサレム側は、アンティオキア教会の路線を承認するのですが、そのさいにエルサレム教会の指導者ヤコブが、次のような旧約預言を引用します(使徒言行録15,16-18。アモス9,11-12参照)。
「倒れたダビデの幕屋を建て直す」という表現が、イスラエルの再建という主題とのつながりをはっきり示しています。注目されるのは、そのとき「人々のうちの残った者」と「わたしの名で呼ばれる異邦人」が、その再建されたイスラエルに属すると言われていることです。つまりユダヤ人と異邦人からなる教会共同体が、回復されたイスラエルの姿なのです。
使徒言行録が書かれた時代、キリスト教はすでにユダヤ教から分離していました。それでも教会は、あいかわらずユダヤ教出身者と異邦人出身者から成る共同体でした。その後の歴史の中でユダヤ人キリスト教はしだいに後退していき、教会からユダヤ人は失われました。私たちの教会にもユダヤ教徒であると同時にクリスチャンである者はいません。
それでもキリスト教は、その発祥において、出身宗教の境界線を超える集団であったことは記憶にとどめておきましょう。聖霊だけが、彼らを結び合わせるしるしでした。
IV
そして聖霊は、そうした多様な出自の人々を等しく「私の証人」にする、とイエスは言います(8節)。「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで」という発言は、実質的に使徒言行録の見取り図を提示しています。エルサレム伝道は使徒たちによって1-7章で、ユダヤとサマリアの伝道はペトロやヨハネ、あるいはエルサレムを散らされたフィリポをはじめとする伝道者たちによって8-9章で、そして「地の果てまで」とはパウロが小アジア中部とエーゲ海沿岸領域での伝道活動を経てローマに至ることで、つまり10-28章で描かれています。
さらに聖霊降臨のできごとを描く使徒行伝2章には、そのときに自分たちの母語が話されるのを聞いた人々の出身地が、以下のように列挙されています(使徒言行録2,9-11)。
「パルティア」から「メソポタミア」までは、シリア東部から三日月地帯に至る地域とその周辺を、「ユダヤ」はパレスティナを、そして「カパドキア」から「パンフィリア」までは小アジア地域を、また「エジプト」から「リビア」までは北アフリカの地中海沿岸の地域をそれぞれ指します。これに地中海のクレタ島、さらにパレスティナ南西部のアラビアが加わります。――これら諸地方の出身者が、最初期のキリスト教会にじっさいに参加していたのでしょうか。もしそうであるならこのコミュニティーは、明らかに複数言語の共同体です。
イスラエルの再建という終末論的な期待は、地の果てまで「イエスの証し人」が宣教活動を行うことで実現しました。それを支える力が「聖霊」です。
V
物語の最後は昇天のようすを描きます(9-11節)。「イエスは彼らが見ている前で〔天に〕挙げられた。そして、雲が彼をとり上げ、彼らの眼前から運び去ったのである。彼が〔天に〕登って行くと、彼らは天をじっと見つめていた」(9-10節前半。荒井献訳)
「天に昇る」という表象は、たいへんに古代的というか神話的です。子どものころこの箇所を読んで、イエスが雲にすっぽり包まれるまで、弟子たちはイエスの足の裏を眺めていたのかしらと想像したのを覚えています。
それはともかく、直後の文脈を見ると、イエスの昇天は「使徒」の概念と結びついていることが分かります(1,21-22節)。
こうして「使徒」の資格が、「ヨハネの洗礼」から「天に上げられる」までイエスと共にいて、その間のできごとを目撃した者に限定されています。ですから、例えば生前のイエスを知らないパウロは、言行録の後半部分の主人公であるにもかかわらず、ほぼ一貫して「使徒」とは呼ばれません。
なぜ、目撃証人が重要なのでしょうか? それはイエス・キリストのできごとが理論ではなく、歴史であるからです。歴史は理論や実験ではなく、記録された証言にもとづいてのみ証明されます。証言者が一人も存在しないできごとは、歴史の闇に消えてゆきます。イエスの真理は、彼の運命についての証言者がいて初めて明らかになり、伝えられもする。その意味で証言者は重要なのです。しかし証人の機能は、そのことに限定されません。キリストを地の果てまで宣教するという機能があるからです。この意味での「証し人」という点では、私たちも使徒たちと何ら違いはありません。
さらに白い服を着た二人の人――天使のことですね――が、「イエスは天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と告げます(11節)。すでにルカ福音書でイエスは、「人の子が力と栄光を伴い、雲に囲まれて到来する」と預言していました(ルカ21,27)。天使の言葉は、到来する「人の子」とはイエスのことであると告げています。
いったい、なぜキリストは再び来るのでしょうか? それはキリストの復活は、万人の未来であるからです。キリストの復活は、聖霊の働きを通して万人の未来になったとき、すなわち神が全人類を再建したときに初めて完成されるのです。――ディートリヒ・ボンヘッファーが次のように言うとおりです。