2008.10.26

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「キリストは私たちの平和」

村上 伸

イザヤ書 2,1-5エフェソ 2,14-22

 今日の箇所でパウロは、「実に、キリストは私たちの平和である」(14節)、と断定的に言っている。「そう信じたい」というのではない。キリストは私たちの「平和である」と言うのである。これこそ「現実」だ、と言っているように聞こえる。

 言うまでもなく、私たちが目の当たりにしている世界の「現実」はそれとは違う。先ほど私たちが一緒に唱えた『コヴェントリーの和解の祈り』にもあるように、「憎しみが、人種から人種を、民族から民族を、階級から階級を切り離して」いる。平和は破れ、対立が強まっている。これが、私たちに見えるこの世の「現実」である。長年にわたるパレスチナ紛争や、アフガニスタンやイラクにおける抗争、アフリカ各地で頻発する大量殺戮などはそのことを示している。平和は常に脅かされている。「我らに平和を!」(Dona nobis pacem!)は、私たちの絶えざる祈りである。

だが、そのような世界の対立を究極的に克服するために、イエス・キリストは来られた、とパウロは言う。キリストは「二つのものを一つにした」(14節)。「二つのもの」とは、最も深刻に対立していたユダヤ人と異邦人のことである。その頃、ユダヤ人は異邦人を「割礼のない者」(11節)と呼んで差別し、彼らを「遠く離れている」者たち(13節)と見なしていた。つまり、「キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きている」(12節)連中、というわけである。だから、エルサレム神殿の中には異邦人を遠ざけるための「壁」があったし、目に見える壁だけではなく、人々の心の中にも、「敵意という隔ての壁」(14節)が頑として存在していた。

キリストは、このような対立の只中に来られた。それは、「双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させる」(15-16節)ためであった。こうして彼は、「十字架によって敵意を滅ぼされた」16節)のである。この意味で、キリストこそは私たちの平和なのであり、これが世界の真の「現実」だ、とパウロは言うのである。

 

今年は、M・L・キング牧師が暗殺されてから40年目に当たっていたので、私はあの有名な ”I have a dream”という演説(1963年8月)しばしば思い起こした。その中で彼は、米国の人種差別の現実を厳しく指摘した後で、次のように述べている。

 「我々は今日も明日もさまざまな困難に直面しているが、それでも私には夢がある。・・・いつの日か、かつての奴隷の子供たちと、かつての奴隷所有者の子供たちが、兄弟愛の食卓に一緒に座る日が来るであろう。・・・いつの日か私の四人の小さな子供たちが彼らの肌の色によってではなく、個性の内容によって判断される日が来るであろう・・・いつの日か、黒人の少年少女らが白人の少年少女らと兄弟姉妹として手をつなぐことができる日が来るであろう。私には夢がある」。

 この「夢」は、旧約の預言者たちやイエス・キリストを通して与えられた「神の約束」への信頼に基づいている。キングが「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」アモス書5章24節)と叫んだとき、彼は目前のいわゆる「現実」を超えて、遥かに神の約束の中に示されている「現実」を見ていたのであった。また、「いつの日か、もろもろの谷は高められ、もろもろの山と丘とは低くされ、険しい道は平らに、曲がった道はまっすぐにされる」イザヤ書40章4節)と予言したときも、神の約束の「現実」を見ていたに違いない。

目の前には、まだ「おぞましい現実」がある。現に、彼は1968年4月4日に暗殺された。その前夜、彼はメンフィス市内の大集会で大勢の聴衆を前にして演説し、「私は山に上り、約束の地を見た」と語った。あたかも死を予感しているかのように、「皆さんと一緒に約束の地に行くことはできないかもしれませんが」と言ってから、「私たちが必ず約束の地に到達するであろうことを、皆さんに知って欲しい。今夜の私は幸せです。心配事は一つもありません。恐れる人もいません。私はこの目で主の栄光を見たのです」という言葉で締めくくったという。彼にとって、神の約束こそは「現実」だったのである。

40年前のその時、誰もが予測できなかったことがこの11月には実現するかもしれない。つまり、米国史上初の黒人大統領の誕生である。この世の「現実」は、約束された「神の現実」に向かって少しずつ進んでいるように思われる。

地上の平和は、絶えず破れている。対立は解消しない。だが、正にこの現実の中に「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられた」(17節)のである。この「キリストの平和」が、「神の現実」である。18年前に冷戦が終わったこと、また、その後EUが成立したことなどは、私たちの世界がこの目標に導かれて少しずつ前進していることを示しているのではないか。だからこそ、たゆまずに「我らに平和を与え給え!」(Dona nobis pacem!)と祈り続けたい。



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