2021.12.19

音声を聞く

「最初にキリストに出遇った人々」

中村吉基

イザヤ書 9:1〜6ルカによる福音書 2:8〜20

 

 先ほど共に聴きましたルカによる福音書2章の記事におけるイエス・キリストのご降誕の出来事自体が、この世界の中で苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちと連帯する神のみこころを深く感じられる物語です。ベツレヘムでマリアは産気づき泊まる場所が無かったため、家畜小屋においてイエス・キリストがお生まれになったとルカによる福音書は記しています。

 それは長い間、ヘブライ民族が待ち望んでいた救い主の誕生する場所としてはおおよそ似つかわしくないところだったと言えるかもしれません。そしてその救い主誕生の第一報は皇帝でも王でもなく、貴族や宗教指導者、学者などいわゆる社会の中で「エリート」とされていた人ではありませんでした。もっとも貧しい職業とされていた羊飼いたちに天使たちを通して告げられたのです。羊飼いたちは悪霊が住むと言われていた荒れ野や、ヘブライ民族が固く交際を禁じられていた異邦人の土地にも入り、その仕事をしていたので汚れた者たちとして差別されていた人たちです。

 ずっと以前に「3K」という言葉が流行ったことがあります。もっとも就きたくない職業「臭い」「汚い」「危険」あるいは「きつい」「帰れない」「給料が安い」。みんな頭文字がKから始まる言葉です。しかし、神さまは世界で真っ先に羊飼いたちに救い主のご降誕を告げ知らせたのです。ここに救い主が来られた意味があるのです。

 社会の片隅に置かれた人びと、人間扱いを受けられない人びと、その中には病や障碍のために仕事ができない人びとも、失業のために税金を払うことができない人びとも、差別や偏見の眼差しを向けられている人びとなどなど多くの苦しみや悲しみそして貧しさの中に置かれている人びとと同じ立場で救い主がお生まれになるために神は家畜小屋を用意され、そこでイエスが誕生されたのです。幼子イエスは貧しい家畜小屋でお生まれになり、そこには何の障害となる壁もなく、羊飼いたちをはじめ、あらゆる人びとがありのままの姿で拝みに行くことができました。これが救い主のご降誕に秘められた神からのメッセージでした。

 それに比べて、私たちの生きている現在の世界はどうでしょうか。

 少し前に「◯◯ファースト」という言葉がもてはやされました。自分の国第一、あるいは自分第一とすることがどれだけ危険なことか、この一年を見ていても、平和を脅かし、世界の秩序が崩れてきていると思うのは私だけではないと思います。イエス・キリストが教えてくださった第一のことは、他者を愛することです。自分だけを愛するのではない、隣人を愛する愛を教えるためにこの世に来てくださいました。今日のメッセージのタイトルは「最初にキリストに出遇った人々」としましたが、神さまは「貧しい人ファースト」「たいへんな思いをしている人、ファースト」のお方でした。そしてすべての人が愛し合って生きる世界を造られました。

 今日、私たちもイエスを拝みに行きましょう。2000年前のクリスマスの出来事から、すべての人に注がれる神さまの愛を私たちが感じ取ることができるでしょうか。ある時、主イエスは言われました。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)とのみ言葉に押し出されて、私たちはただただこの愛を受けるばかりではなく、笑顔を無くした人、力を失くした人、そして愛を必要としている人、近くにいる誰かに神さまの愛という平和と喜びの贈り物を携えて出掛けていく者となりましょう。

 今朝、この礼拝で私たちの群れに新しい仲間が生まれようとしています。イエスを主と信じ、今日ここから信仰の旅を始められます。私たちは神の愛をこの世界に伝達する者たちです。絶えず注がれる聖霊の力を私たちは一身に受けて、愛に満たされて御一緒にここから歩み始めましょう。


 
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