2020.08.23

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「この山でもエルサレムでもない所で」

廣石 望

レビ記23:1〜3、27〜32ヨハネによる福音書4:16〜24

I

 現在私たちは、コロナ禍の下で、感染対策を施しつつ簡略化された礼拝を守っています。

 教会生活は、礼拝と信徒の交わりという二つの軸から、つまり神からの語りかけを聞くことと、互いに仕えることから成ります。祈りが、両者をつなぎ合わせます。説教の中継はオンラインでも可能ですが、相互奉仕に基づく信仰の成長は著しく制限されているのが現状です。

 今日は、レビ記とヨハネ福音書のテクストに基づいて、真の礼拝とは何かについて、ごいっしょに考えましょう。

II

 レビ記23章は7つの指定祭日――「安息日」「過越祭/除酵祭」「初物奉献」「収穫祭(週の祭り/五旬祭)」「角笛の祝日」「贖罪日」そして「仮庵祭」――について規定しており、その筆頭に「安息日」があげられます。

 安息日の起源は必ずしも明らかではありません。それでも神殿祭儀なしに遵守できたため、安息日はバビロニア捕囚の時代に大きな意味をもつようになり、神が七日間で世界を創造したさい、七日目に安息したという仕方で創造神話の中に組み込まれました(創世記2:2-3)。

 レビ記23章が定める指定祭日のうち、「初物奉献」の祭日を除くすべてに、安息日と同様の「あなたたちはどんな仕事も決してしてはならない」(3節)という労働禁止が、繰り返し明記されます(レビ記23:8, 21, 25, 31, 35-36)。労働禁止の意味づけは、旧約聖書においても多様です。それでも家畜や奴隷、田畑や果樹を休ませること、火を使って自然に破壊的に介入するのを止めるという点に着目して、人間の活動対象にされることから被造物の「命を守る」ことが目指されていると見ることができるでしょう。

 さて、ユダヤ教の安息日は土曜日ですが、キリスト教会は自分たちの安息日を、主の復活の日である日曜日に移し、労働禁止の戒めを継承しました。ならば私たちは――とりわけ感染症の流行という現状の中で――礼拝堂に集まることができなくても、「命を守る」ために自宅で静かに神を礼拝することで、立派に安息日を聖とすることができるのではないでしょうか。

 安息日のポイントは、私たちの活動性を停止することにあります。礼拝は私たちのアクティヴィティーのためでなく、神のアクティヴィティーのための場、つまり私たちを創りかえる神の力が現れるための場です。

III

 ヨハネ福音書のテクストに移ります。本日の箇所は、サマリアの町シュカルにあるヤコブの井戸のほとりで、イエスがサマリア人女性と対話する場面に属します。

 先行する対話(ヨハネ4:7-15)でイエスは、彼女に井戸水を飲ませてくれと頼みます。その上で彼女に、自分が与える水は「活ける水」(11節)であり、それを受ける人のうちで「永遠の命へとほとばしり出る水の泉となる」(14節)と告げます。――「水」は、神との無限の交流をもたらす聖霊のシンボルでしょう。  続いてイエスは、この女性にかつて5人の夫がいたが、現在のパートナーは正式の「夫」でないことを見抜いて告げ、女性はイエスを一人の「預言者」と見なします(16-19節)。

 古い学説に、かつての5人の夫というのは、イスラエル北王国がアッシリアによって滅ぼされ、5つの異民族が入植した結果(列王記下17:24以下)、異教との混交が生じたことへの暗示である――つまりユダヤ人イエスが、サマリア教を見下している――という説があります。しかし、ヨハネ福音書のテクストそのものに、そう理解するための直接的な示唆はありません。さらにこの学説は、女性の6人目のパートナーがどのような歴史的経緯に対応するのかを説明しません。

 また、次々と6人の男性の妻ないしパートナーとなった女性はふしだらであり、もしかすると今は娼婦なのではないか、だからこそ人目を恥じて涼しい早朝でなく、暑い真昼に一人で水くみに来たのだ――という説明があります。しかし、これにもテクストに手がかりはなく、むしろ女性蔑視的な発想に基づく俗説です。

 エピソードのポイントは、おそらくもっと単純に、イエスに備わった物事を見抜く力の強調です。

IV

 ユダヤ人とサマリア人にとって、一番の違いは聖所の違いです。なので、この女性はイエスに向かって、「私たちの父祖たちは、この山で跪拝しました。そしてあなた方は、跪拝すべき場所はヒエロソリュマにあると言います」(20節)と発言します。

 「この山」とはゲリジム山です。――サマリア地方の都市シケムは、後に「イスラエル」と呼ばれる人々がこの土地に入ってきたときに最初に築いた、いわば中央聖所です(ヨシュア記24章)。やがてシケムを両側から挟む位置にあるゲリジム山とエバル山の上にも、それぞれ聖所ができ、二つの聖所の存在は、イスラエル民族の部族間の対抗関係とも絡みました(申命記27:11-13)。ゲリジムのヤハウェ神殿の建設について証言する資料(ヨセフス『ユダヤ古代誌』11,310)は、その年代を前4世紀前半としますが、さまざまな理由から疑われています。考古学的な遺構調査によると、少なくとも前5世紀までには遡るそうです。

 他方でエルサレムは、ダビデ王が前1000年ころに新しく首都に据えた町であり、そこにヤハウェのための神殿を立てたのは息子のソロモンです。つまり聖所としての伝統はシケムやゲリジム山の方がはるかに古いのです。――例えて言えば、ゲリジムのヤハウェ聖所は日本でいう京都、他方でエルサレムは江戸ないし東京に当たります。

 前2世紀、この地域一帯を支配したセレウコス朝シリアによるヘレニズム化政策の下で、ゲリジム山のヤハウェ神殿は「ゼウス・クセニオス」の、エルサレムのそれは「ゼウス・オリュンピオス」の神殿にそれぞれ改装されました(第二マカバイ記6:2)。――京都も東京も、日本古来の宗教を止めて、アメリカ風の宗教に変革されたというイメージでしょうか。

 その結果、ユダヤでは民族主義的なマカバイ革命が起こり、独立を勝ち取ったハスモン王家によって、エルサレム神殿は「再」ユダヤ化されます。少し後に、この王家はサマリアとガリラヤを軍事占領し、この地域をも「再」ユダヤ化しますが、そのさいにゲリジム山上のヤハウェ神殿を破壊しました(ヨセフス『古代誌』13,255-256)。――「再」日本化された東京が、京都を征服しアメリカナイズされた京都神殿を破壊したという感じです。それでもゲリジム山に、ヤハウェ聖所としての機能は残りました。

 二つのヤハウェ聖所の対抗関係は、イエス時代の前後にも証言があります。ユダヤとサマリアがローマ帝国の直轄領となった紀元前6年――つまりイエスが生まれたころ――からそう遠くない時期、サマリア人が夜半にエルサレム神殿に忍び込み、人骨を撒き散らして汚すという事件が生じました(同『古代誌』18,30)。――外国による直接統治の対象となったエルサレム神殿に対する、サマリア人による無効宣言であったかもしれません。

 イエスの死のしばらく後には、あるサマリア人預言者が「かつてモーセが埋めた聖なる什器を見せてやる」と言ってゲリジム山上に人々を呼び集め、群衆もろともローマ軍によって虐殺されています(同『古代誌』18,85)。――これは、出エジプトの民族伝承をゲリジム山に結びつけることで、エルサレム神殿に対向しつつ、サマリア教の正統性を主張する行為と見えます。いずれにせよヤハウェ聖所は複数存在し、サマリア教はもうひとつの正統なユダヤ教だったのです。

 プロテスタント教会は、中央聖所ないし総本山というシステムを、(一部を除いて)原則的にもちません。それでも500年前のカトリック教会との分裂も、また現代におけるプロテスタント個別教会の分裂も、現実的には土地建物の所有権などの問題を含む、継承の正統性をめぐる争いを引き起こすでしょう。エルサレムとゲリジムの対立は、私たちにとって、それほど他人事ではありません。

V

 以上のような問題含みの歴史を踏まえて、ヨハネ福音書のイエスはどう答えるでしょうか? 彼は言います、「女性よ、私に信頼せよ、この山でもヒエロソリュマでもないところで父に跪拝するときが来ることを」(21節)。――真の神崇拝は特定聖所という場所、およびその祭司団によって祭暦に沿って執行される儀礼には拘束されない、という意味です。

 真の神崇拝のあり方をめぐる自己批判的な省察は、ユダヤ教の伝統に属します。神は人間が作った神殿には住まない(列王記上8:27)。単なる祭儀に終始する崇拝よりも、正義と公正をこそ神は求める(アモス書5:21-24)。ヘレニズム・ローマ世界でも、「純粋で穢れなき感覚と言葉で神を崇拝することが、神々に対する最も敬虔な崇拝だ」と言われます(キケロ『神々の本性について』)。

 こうした伝統を受けて、一世紀以上前のある学者は、真の神崇拝とは、場所や時間に囚われない、「純粋に内面的かつ精神的な、それゆえあらゆる民族を包摂する神崇拝である」と述べました(W. Heitmüller, 1908)。これは人間の内面性を最も要視する観念論的な理解ですが、ヨハネ福音書は人間の内面性そのものというより、それを規定する神の働きの方を重視します。私の心が満たされることでなく、私を新しく創造する神の働きが肝心なのです。

VI

 真の神崇拝の場所について、イエスの積極的な答えはこうです。

しかし時が来る――そして今(がそれ)である――神の跪拝者たちが父に、霊と真理にあって跪拝する(時が)。父もまたそのように彼を跪拝する者たちを求めているから。霊なのだから、神とは。ならば、彼を跪拝する者たちは、霊と真理にあって跪拝すべし(23-24節)。

 「時が来る。今がそれだ」という言い方は、ヨハネ福音書に独特です。地上を歩むキリストについて「私の時はまだ来ていない」(ヨハネ2:4)、つまり受難と高挙による啓示の時はまだであるという発言があります。これと並んで、復活のキリストによって規定される教会について、「アーメン、アーメン、あなた方に言う。死人たちが神の子の声を聞くこととなり、聞いた人々が生きるようになる、そのような時が来ようとしている。今がその時である」(5:25)と言われます。共同体の歴史がイエスの歴史と結び合わされ、後者からその真の意味が再解釈されるのです。こうして、ゲリジム山やエルサレムに代わる真の神崇拝の場は「霊と真理」です。それは人間の内面性でなく、キリストにおける神の救いの現臨です。

 「霊」はイエスの人格と結びついています。地上のイエスについて、「神が遣わした者は神の言葉を語る。(神が)霊を限りなく与え続けるから」(3:34)と言われ、また復活のイエスは弟子たちに「君たちは聖霊を受けよ」(20:22)と言います。

 他方で「真理」は、受肉のできごとに関わります。イエスを父なる神の受肉として知ることは、神を人間のために真なる者になった者として知ることを含みます。福音書のプロローグに、「言葉は肉(なる人)となって、私たちの間に宿った。……彼は恵みと真理に満ちて(いた)」(1:14)とあるように。

VII

 常日頃から、しかし通常の礼拝ができない今はなおさら、真の礼拝とは何かと私たちは問わざるをえません。

 真の礼拝は、場所や時間に限定されません。それは、私が自分の活動によって満足するためでなく、神が働くために私たちが無になるための時と空間です。そしてそのことは、礼拝堂に集えない人々にも可能です。

 父なる神を体現するイエスの人格こそが「霊と真理」、すなわち真の礼拝がなされる場です。彼にあって私たちは神に出会い、無にされ、新しく創られます。そして、今がその時です――今日この場にいない人々と共に、同じ世界で共に生きる人々のために、そして新型ウイルスのせいで命を失った80万人と言われる人々の魂に平和を祈るために。


 
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