2020.02.16

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「主イエスが来られるとき」

田中健三

イザヤ書2,1-5テサロニケ 一 2,17-20

 新型コロナウイルスがこのところもっぱらの話題となっており、人命に関わることであると同時に、様々な分野でそれに付随した影響が派生しています。先月福嶋揚さんがこの場所で講演されたまさにその出来事が現実に目の前で展開されており、エコロジーの問題は地球規模で取り組むべき問題であることがいや応なく示され、今回のウイルスもその一環として位置付けることができるでしょう。福嶋さんが指摘されたように、この問題は一つの国だけで完結できるようなことではありません。

 

 このような国や宗教を超えて広がっていく諸問題に対して、それではキリスト教は無力であろうか、あるいはキリスト教にどのような貢献ができるのだろうか、と夢想したりしますが、実際には様々な分野での具体的な対応が必要とされるわけであり、直接的にキリスト教でなければできない貢献というのはなかなか思いつきません。

 そうしてこのことから連想して、現代の様々な諸問題に対して、そもそもキリスト教が解決を導き出すことができるのだろうか、ということを考えさせられます。諸宗教的枠組み自体が問題の要因となることさえあるからです。

 このようなことを考えた時に、カール・バルトが「キリスト教とキリストは違う」というような発言をしたことを思い出します(詳細な出典を提示できず申し訳ありません)。その趣旨を、1キリスト教という枠組みには限界がある、2それにも関わらずキリストは永続的な意義を今も持つ、というように敷衍できると思います。

 そこで本日はキリスト教という枠組みが出来始めようとする段階のパウロの宣教がどういうものであり、パウロにとってキリストがどういう意味を持っていたのかということを第一テサロニケ書から読み取ってみたいと思います。

 

 パウロはテサロニケへの宣教によって信仰共同体を形成したのですが、その後テサロニケを去ることとなります。パウロは終始テサロニケ教会のことを心に留めており、再度テサロニケを訪問することを切望しているのですが、何らかの事情によりそれが叶いません。そのような状況の中でパウロがテサロニケ宛てに出したのが第一テサロニケ書です。

 この手紙でパウロはテサロニケの信徒たちに会うことをいかに切望していたかということが表現されており、パウロの思いに驚くばかりです。

 2,18で「サタンが行くことを妨げた」とありますが、この「妨げる」と訳されたギリシア語エンコプトーは「切り落とす」という意味であり、軍事的目的で道路を遮断し、侵入を妨害するという意味で使われる語です。パウロはテサロニケに行けないことをこれ程までのことと考えていたわけです。

 パウロのテサロニケの信徒への思いは2,7では「(乳)母が子を大事に育てるように」2,11では「父が自分の子に対するように」という関係性で表現されており、なかでも2,8に「自分の命さえあなたがたのために喜んで与えたい」とさえ述べているのは驚くべきことです。

 このようなパウロとテサロニケの信徒の関係性についていくつかの特徴を述べてみたいと思います。

 

 第一にパウロとテサロニケの信徒の関係は、「苦しみにおける連帯」であったことが分かります。パウロの苦闘については2,22,9で示唆されています。テサロニケの信徒たちが自分たちの周囲から苦しめられたことは2,14に記されています。この両者の苦しみが両者を強く結び付けたことは想像に難くありません。

 英語の諺にもA friend in need is a friend indeedとありますが、自分が困っている時に助けてくれる人こそ本当の友です。自分が好調な時、評価されている時に仲良くなる人よりも、自分が病気の時、困窮している時、誰にも見向きされない時、侮蔑されている時に、自分に寄り添ってくれる人、自分をその人独自に評価してくれる人とこそ真の友情が生じます。これはわたしたちの経験上のことです。

 つまりパウロにとっても自分の苦しみの中での出会いから生じた友情は、パウロの生涯にとっても極めて重要であったということであり、そのテサロニケの信徒たちに再び会うということは、「命の交流」ともいうべき事柄であったということです。

 しかもこれはパウロとテサロニケ信徒の双方向の交流であり、一方的なものではなかったに違いありません。パウロにとってもテサロニケの信徒にとっても人生における決定的な繋がりでありました。

 第二に、キリストとパウロの関係も同様の「命の交流」でありました。

 5,10「主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」とパウロが述べていることにそれは端的に表されています。5,24ではその共に生きるべきキリストへの信頼が付記されています。

 2,19はキリスト再臨のことをパウロが述べているのですが、それはパウロがテサロニケ信徒と直接会いたいと切望することと並行関係にあり、パウロはキリストと直接会うことを究極的に望んでいるのです。この二重の関係性こそがパウロの宣教の本質であったと思います。

 そしてキリストとパウロの「命の交流」にも「苦しみにおける連帯」という性格があったことを見逃せません。苦難の果てに処刑されたキリストと苦しみの中にあるキリスト信徒との関係は、キリスト信仰の基調にあります。「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」(マタイ5,4)というイエスの呼びかけがそれを示しています。

 

 パウロにとって最終的に価値があるものは、自分の業績や自分の信仰などではなく、人間関係であった。そのことを2,19が明示しています。

 そしてその人間関係と並行してキリストと信徒の関係が不可欠なものとしてありました。今その関係の中にわたしたちも招かれてここにいます。そしてその関係性が全世界にはっきりと示される時というのが再臨ということではないでしょうか。

 このように命を吹き込むような人間関係こそが今世界的な諸問題の根底で必要とされているとしたら、キリスト教ではなくキリストは今もそして今こそわたしたちの希望の存在であるでしょう。

 最後にそのようなキリストとの出会いによって生きる希望を与えられた水野源三さんの詩を読んで終わりたいと思います。御存知の方もいると思いますが、小学生の時に病気になり全身不随となり、話すことさえできなくなった水野さんは、牧師らとの出会いによりキリストを知り、瞬きによって自分の意図する五十音を知らせ、それを受け取った方が詩として発表するという作業によって「瞬きの詩人」と呼ばれた方です。

 「キリストの御(み)愛に触れたその時に」という詩の一部を紹介します。

キリストの御(み)愛に触れたその時に
キリストの御(み)愛に触れたその時に
私の心は変わりました
憎しみも恨みも
霧のように消え去りました

キリストの御(み)愛に触れたその時に
キリストの御(み)愛に触れたその時に
私の心は変わりました
悲しみも不安も
霧のように消え去りました


 
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