2019.12.29

音声を聞く(MP3, 32kbps)

「幼子とその母を連れて」

廣石望

出エジプト記12,21-28マタイによる福音書 2,13-23

I

 「ユダヤの王は、このわし一人じゃ!」――教会学校の降誕劇でヘロデ王が放つ科白です。もっとも劇では、その後の幼児虐殺は演じられません。残酷すぎるからです。この聖書箇所にもとづく賛美歌を『讃美歌21』に探しても、ほぼありません。歌にできないのでしょう。 ヨセフは「幼子とその母を連れて」(13節20節)、逃げ回ります。しかし他の子どもたちは、まるで身代わりのように殺されてしまいました。キリスト教徒は、イエスが殺されなくてよかったと胸をなでおろすだけでよいのでしょうか?

II

 幼子イエスのエジプト逃亡とヘロデによるベツレヘム一帯の幼児虐殺は、マタイ福音書のみによって証言され、他の福音書や同時代の他のユダヤ教文献にまったく言及がありません。内容的にも、モーセに準えてイエスをキリストとして描いており、エピソードそのものがおそらく史実には基づかない伝説です。

 この創作された伝説は、しかしキリスト誕生の意味についてたいへん雄弁に物語ります。その背景をなすのが、占星術の政治的影響力についての一般知識です。

 古代には、重要な人が生まれると明るい星が昇り、その他のそれほどでない人々には暗く輝く星が昇り、当人の死とともに消えるという民間信仰がありました。重要人物の誕生は、権力の交代をもたらします。東方で星を見たという占星術師たちの発言がヘロデを不安に陥れたのも、そのことが理由です。

 占星術を含む、より広義の神託は、「支配的な知識」をめぐる政治的な攻防の中にあります。例えば前12年、皇帝アウグストゥスは、多様な神託を収録した『シビュラの書』を帝都ローマのパラティーヌス丘のアポロン神殿の庇護下に、つまり、ほぼ彼の私邸の中に移動させ、その他の神託集成をすべて焼かせました(スエトニウス『ローマ皇帝伝』「アウグストゥス」31,1)。託宣による認知的覇権を全面的に手中に収め、政治を安定させるためです。そして、いつシビュラに伺いを立てるべきか、どのシビュラの神託が告知されるべきか、またそれをどう解釈すべきかを、皇帝の専決事項としました。権限のない者が皇帝ファミリーに関する予言を受けたり広めたりした場合は、死刑に処すとの脅しと共に。

 少し時代は下り、パウロと同時代の皇帝ネロについて、次のようなエピソードが伝えられています。

最高権力者の没落を予告すると民衆の間で信じられていた彗星が、毎晩立てつづけに現れ始めた。このことをネロは憂慮して、占星術師バルビルスから教わったとおり、つまり東方の王たちはこのような凶兆をそらそうとするときはいつも、誰か他の名士を犠牲とすることによって、凶兆を自分の頭からその指導的な貴族の頭へ追い払うのが常であることを知り、極めて高貴な人たちをみんな絶やそうと決心した。(スエトニウス『ローマ皇帝伝』「ネロ」36、国原吉之助・訳)

 これに続いて、陰謀に加担したとネロが断定した貴族やその子孫たちの追放と殺害が報告されます。マタイ福音書が語るヘロデによる幼児虐殺と、同じ文化環境に属していることが分かります。

III

 マタイ福音書を生み出したコミュニティーは、こうした一般知識にもとづいて、イエスのエジプト逃亡を物語り、これを旧約預言の実現として新しく解釈しました。すなわち、

そして彼(ヨセフ)は、ヘロデの終わりまでそこ(エジプト)にいた。――預言者を通して主によって言われたことが満たされるために、すなわち「エジプトから私は私の息子を呼んだ」(ホセア11,1)と。(15節

 ホセア書の預言は、もともと出エジプトのできごとを回顧しています。つまり「息子」(新共同訳「子」)とはイスラエル民族のことです。これが、マタイ福音書ではイエスに転用されます。そのさい「私の息子」という表現は、神の息子であるキリストを指す尊称です。

 こうしてイスラエル民族に救いをもたらしたエジプト脱出が、幼子イエスによる、エジプトからイスラエルへの帰還によって反復され、神による救済のできごととして完成されます。イエスは、〈新しいモーセ〉なのです。

IV

 皇帝ネロが貴族とその子孫を迫害したのと同様に、王ヘロデについても、彼がユダヤの名士たちを競技場に押し込めて皆殺しにしようとしたというエピソードが伝えられています(ヨセフス『ユダヤ戦記』I,33,6.8、同『ユダヤ古代誌』XVII,6,5; 8,2)。  私たちの福音書では、彼はベツレヘム一帯の二歳以下の子どもたちを殺します。そして、そのことの意味が、次のように説明されます(17-18節)。

そのとき預言者エレミヤを通して言われた言葉が満たされた。すなわち「ラマで声が聞かれた、嘆きと大いなる呻きが。ラケルがその子ら(のこと)を泣いている。そして彼女は慰められることを欲しない。子らが(もう)いないから」(エレミヤ31,15)。

 エレミヤ書の発言は、もともと前6世紀に生じた南王国ユダの滅亡とバビロン捕囚に関連します。ラケルは「イスラエル」と呼ばれた族長ヤコブの正妻です。おそらく、〈民族の母〉という位置づけなのでしょう。その彼女の嘆きが、ここでは新しく、ヘロデによる幼児虐殺に関連づけられます。

 じつはエレミヤ書を見ると、引用された箇所に続いて、捕囚民の帰還を告げる救済預言が現れます。すなわち「主はこう言われる。/泣き止むがよい。/目から涙をぬぐいなさい。/あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。/息子たちは敵の国から帰ってくる」(エレミヤ31,16)。

 説教の中には、この肯定的な内容こそが、マタイ福音書ではその後のイエスの活動を通して語られており、これこそがマタイの告げるメッセージなのだという解釈があります。直接引用されない元の文脈にある発言を、引用先のテクストを解釈するための鍵とみなす読み解きは、たいへん巧みです。しかし福音書の他の部分にそのことを示唆する箇所がないため、マタイ自身がそのように意図したかどうかは確認できません。

 むしろ、幼児虐殺を生き延びるイエスというストーリーに原型を提供したのは、間違いなく出エジプト記1章のモーセ誕生にまつわるストーリーです。モーセの誕生は、ファラオによる男児殺害の命令に囲まれています。すなわち王は助産婦たちに、ヘブライ人の女性が出産した場合、男児であれば殺すよう命じますが、助産婦たちは巧みな言い訳でこれをかわし、赤ちゃんのモーセは防水処理を施されたパピルスの籠に入れられ、ナイル河畔の葦の茂みの中に隠されました(出エジプト1,15-2,3)。

 私たちの福音書の解釈句を作った人々は、このモーセ誕生のストーリーを踏まえ、エレミヤ書の発言を用いつつ、王ヘロデによる幼児虐殺のストーリーを創作したのでしょうか。すると、ここでもイエスの誕生は〈新しいモーセ〉の誕生です。

 そのさい「そのとき預言者エレミヤを通して言われた言葉が満たされた」(17節)という結果を表す表現は、「主によって言われたことが満たされるため」(14節)という目的を表すものとは異なり、幼児虐殺がヘロデ自身に起因し、神の意志にはよらないという含みでしょう。子どもたちを殺害するヘロデは真の王ではありえません。ヘロデの態度は、マタイ福音書がこれから語るであろう、イエスに対するイスラエル民族による拒絶の原型です。この態度は、イスラエルをイスラエルたらしめるものに対する否定であり、母ラケルの嘆きは、反逆的なイスラエル民族に対する批判になっています。

V

 さて、ヘロデ王は前4年に死去し、長子アルケラオスがユダヤとサマリアを統治しますが、わずか10年後の紀元6年には、ローマによって廃位されました。これ以降、ユダヤ・サマリア地域はローマによる直轄統治の時代に入ります。

 私たちの福音書では、ヘロデの死を受けて、ヨセフに御使いが再び夢に現れ、「起きて、子どもとその母を連れよ、そしてイスラエルの地に行け。子どもの魂(命)を求めている者たちは死んでしまったから」と告げます(20節)。それでもアルケラオスを恐れるヨセフに、またも「夢で神託が降り」、一家は「ガリラヤの諸地方に退いた。そして来て、ナザレと呼ばれる都市に定住した」(22節)とのこと。

 当時、ガリラヤ(とペレア)を統治していたのは、アルケラオスの兄弟アンティパスです。ガリラヤの方がユダヤよりも比較的に安全というのは、私には、とってつけた理由のように聞こえます。アンティパスの王宮のあったセッフォリスは、ナザレから目と鼻の先でしたので。むしろ、イエスがもともとガリラヤのナザレ出身であったので、そのことに平仄を合わせたというのが真相かもしれません。

 続いて、この段落でつごう3度目の、旧約聖書にもとづく解釈句が現れます。

こうして預言者たちによって、「彼はナゾライ人と呼ばれるであろう」と言われたことが満たされた。(23節

 じつは、この箇所にピタリと対応する旧約聖書の箇所はありません。それでも敢えて、箇所を上げるとすれば、よくご存じの次の預言です。

エッサイの株からひとつの芽が萌え出で、その根から若枝が育ち…。(イザヤ11,1

 この箇所で「若枝」と訳される言語が「ネーツェルnezer」というヘブライ語で、「ナザレ」と子音が同じです。そして、このイザヤ預言は、広くメシア預言と認められていました。マタイ福音書は、イエスの出身地ないし生育地の名を、セム語の語呂合わせを通して、少し無理やりにメシア預言と結び合わせたのでしょう。

 これに加えて、「ナザレ(/ナゾライ)人」とは、とりわけシリア地域ではキリスト教徒を指す名称でした。マタイ共同体もシリアにあったと思われます。すると「彼はナゾライ人と呼ばれるであろう」とは、当地のキリスト教徒たちの自己理解に直結する発言であったことになります。

VI

 子どもたちの虐殺の主題に戻りましょう。

 出エジプト記12章には、エジプト脱出に先立って、神がエジプトの初子を家畜も人間も撃つというストーリーがあり、「主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われた」(出エジプト12,27)と言われます。私たちの物語も、これと同様に、ヒーローが神の助けにより、危機から「救われた」というだけのことなのでしょうか?

 もし私たちが、〈自分のせいで他人が死んだ〉という体験をするなら、おそらく深い自責の念と負い目の感情に襲われるでしょう。2017年3月に発生した那須雪崩事故では、春山登山講習会に参加した高校生たちが雪崩に直撃され、48人の参加者のうち、7人の生徒と1人の引率教員が亡くなりました。遺族のみならず、生き残った人々もまた、心に深い傷を受けたに違いありません。――ならばイエスも、彼の家族も同様であったと想像してよいのではないでしょうか。

 考えてみれば、現代社会においても、貧しい地域や難民キャンプの子どもたちが、医療の手が届かないため、また栄養状態の悪さなどが理由で、短い命を閉じるという現実があります。豊かな国に暮らすキリスト教徒たちは、〈サタンはヘロデを利用したが、神はその裏をかいて勝利した〉などと、のんきに自らを正当化していてよいのでしょうか? むしろ私たち自身が、子どもたちの緩やかな虐殺にどこかでつながっているかもしれません。

 エジプトへの逃亡、ベツレヘムの幼児虐殺、そしてガリラヤへの帰還という3つの個別エピソードに付加された、旧約預言にもとづく3つの解釈句はすべて、マタイ福音書のナレーターの口に置かれ、読者にできごとの意味を説明する役割を果たします。3つのエピソードすべてはイエスの「弱さ」ないし「無力さ」の徴です。そして、3つの解釈句は、神がそのことを通して、最終的に「救い」をもたらすと教えます。

 2つのことを思います。ひとつは、マタイ福音書のイエスは幼子のときも、また長じた後も、悪を追い払う物理的な暴力を行使しません。「剣をとる者はすべて、剣で滅びる」は、マタイのイエスの言葉です(マタイ26,52)。もうひとつは、悪に対して抗うことをしない、否そうできない人間の無力さと負い目を通して、神が働くことです。マタイによる福音書は、イエスが救いをもたらす新しいモーセであると告げます。これと同時に本福音書は、エジプト逃亡という創作されたストーリーを通して、イエスが人間には避けがたい無力さと負い目の中を生きたことも告げていると思います。

 


 
礼拝説教集の一覧
ホームページにもどる