I
「まつりごと」という日本語が示唆するように、政治には、しばしば宗教的オーラが伴います。古代オリエントの王たちは、自らを「神の息子」たちとして演出しました。古代ローマ皇帝たちは、属州ではすでに生前に、今の流行りの言葉でいう「神っている」存在として、独自の祭儀の対象になりました。
イスラエルの王たちも「神の息子たち」と呼ばれました。そして王制が廃止された後の時代は、神がやがて就任させるであろう未来の王(メシア)への期待が生まれました。この期待は、外国人による支配下にあって何度も燃え上がりました。
平和聖日であるこの礼拝では、イエスが弟子たちを派遣するさいに「狼の群れに子羊を送る」と言ったことの意味を、ごいっしょに考えてみましょう。
II
イエスが導いた運動は、平和的でした。メッセージの伝達には、軍事的な実力行使ではなく、さまざまなシンボルが使われました。
そもそも、師である洗礼者ヨハネの「洗礼」――字義通りには「(水の中への)沈め」――も、「水」をシンボルとして用いるものでした。このシンボルが力を発揮するための前提は、罪と穢れが民族全体に及んでいるという共通理解、そして間もなく「火」の審判が到来するという切迫した期待ないし不安です。そのとき初めて、「水」に沈められるという行為は、いったん象徴的な死を経験することで、罪と穢れから解放されるというメッセージを伝えることができました。
イエスもまた、さまざまなシンボルを平和的なメッセージの伝達手段として用いました。
例えば、彼は「十二人」という中核的な弟子集団を選びました。「十二」という数字は、王制導入以前の「イスラエルの十二部族」という民族伝承にちなんだものです。従って「十二」は、失われた民族の再建ないし再統合というメッセージを伝えるためのシンボルです。じっさいには彼らは漁師や農民、徴税人などの平民出身者でした。このことには、ローマ帝国の傀儡となってしまった、イスラエル民族に伝統的な大祭司制度に対する暗黙裡のプロテストが込められているかもしれません。
またイエスは、過越祭というイスラエル民族創設にまつわる巡礼祭にさいして、ゼカリヤ書の預言を踏まえてロバに乗り、エルサレムの東側から都市に入城しました。そのとき彼は、住民と巡礼者たちから、「私たちの父祖アブラハムの来るべき王的支配に祝福あれ」という歓呼を受けたと伝えられています。しかし同じ祝祭にさいして、都市の西側から同じように「王権」との関わりを示しつつ入城する人がいました。通常は地中海沿岸の異教的都市である海のカイサリアに駐在している、ローマ帝国による支配を代行するユダヤ総督です。総督は祭の間の治安維持のために、巨大な軍隊を率いてエルサレムの西側から入城しました。イエスの入城の仕方は、暴力によらない平和な支配というメッセージを伝達するためのシンボル的な行為です。
さらにイエスは、エルサレム神殿の崩壊を予言し、「人手によらない」新しい神殿の到来を告げました。これは、天上世界に存在すると信じられた「天のエルサレム」が、「神の王国」として降臨して地上世界を支配する、というメッセージを伝えるためです。このことに関連して、イエスは悪霊たちを追い祓いました。この行為は、「神の王国」が悪霊による支配に終焉を告げ、また穢れと差別からの解放をもたらすというメッセージを伝えるためのシンボルです。
こうしたメッセージが人々に効果を発揮するための前提は、じきに到来する「神の王国」が大きな転換をもたらすという神話的な期待です。この期待があって初めて、イエスが提示するさまざまな小さなシンボルは、たいへん大きな意味を伴うものとして伝達されたのです。
III
本日の聖書箇所で、イエスが弟子たちをメッセンジャーとして派遣することも、シンボル的な効果を伴うアクションです。
彼は「収穫のための働き手を、収穫の主に願う」よう弟子たちに指示します。これは行く先々で、新しいメッセンジャーをリクルートすることで、失われたイスラエルを「集めよ」という意味でしょう。
またイエスは「財布も袋も履き物も持って行くな」と命じます。平和のメッセージを告げるには、自らが無防備でなくてはいけません。イエスが伝えたい平和は、衣の下に鎧が隠れているような平和とは別の種類のものです。
「途中で誰にも挨拶するな」とは、親の死に目に会いに行くのと同じくらいに、急げということだと思います。
そして「家」に入ったら挨拶せよ、そこに平和の子をさがせ、そして泊めてもらえたら食事をもらえ、「働き人が報酬を受けるのは当然だから」とあります。無防備で行くようにという教えは、自発的な賛同者だけを募り、自分が穢れることを恐れずに出されたものを食べ、そして自ら働いて食い扶持を確保することすら禁じることとして徹底されます。
同様に「町」に入ったら同様に食べ、病人を癒し、「神の王国は君たちに近づいた」と告げるよう言われます。病気がサタンの手下である悪霊たちによって引き起こされる一方で、「神の王国」は悪霊による支配に終わりをもたらします。なので、治癒奇跡と王国到来の告知はワンセットです。病気癒しによって、「神の王国」の到来という神話的な期待が歴史的なできごとになるとも言えるでしょう。
興味深いのは、「拒絶」に対するメッセンジャーたちの怒りが言及されることです。「足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の王国が近づいたことを知れ」と言うようにと、また「かの日には、その街よりまだソドムの方が軽い罰ですむ」と言われます。彼らも、拒絶されると怒るのです。この指示は、この怒りを最後の審判に委ねるようにと教えています。つまり直接的な暴力の行使は、回避されます。おそらく言われた方は屁とも思わないでしょうけれど、「神の王国」を拒絶する者たちは、最終的にはサタンの側に属する者たちとして滅ぼされる、という意味合いでしょう。
IV
ユダヤ教外典である『ソロモンの詩編』に、イエスとほぼ同時代のメシア期待について言及があり、そこには、イスラエル十二部族のカリスマ的支配者としての神権的な権力、敵を追い払って勝利することによる平和の樹立、そして言論による敵対者の克服などの要素があります。
イエスの「神の王国」宣教において、神権政治への期待は、次のように表現されます。
つまり「神の王国」という神権政治は、極貧者に権利や権力への共同参加が約束されることを通して実現するのです。
平和の樹立については、次のようなイエスの言葉をお聞きください。
平和を樹立することは、もともと「王」の役割です。ローマ皇帝たちも「神になった先代皇帝の息子」として平和の樹立を告げました。イエスの発言では、「平和創設者」という王の息子たちの役割を弟子たちが担当し、彼らが「神の息子たち」と呼ばれます。ここには王権思想の脱中央集権化があります。
さらに敵の克服は、イエスにあってはとても平和な仕方で達成されます。すなわち、
つまり、自分よりも圧倒的に強い敵ないし迫害者への愛と祈りが、敵の克服をもたらします。
非暴力的なシンボルを用いたメッセージの伝達方法を、イエスは「狼の群れに子羊を送り込むようなものだ」と要約します。
この発言は、か弱い羊たちに危ない仕事をさせる、あるいは君たちは注意深く狼たちを避けよという意味ではありません。そうではなく、狼から君たちのような羊を作るように、という意味でしょう。つまり暴力によらず、無力さによって生きる者たちが平和の担い手になります。イエスにとって、神の王国の権力に参加するのは極貧者たちであり、平和創設という神の息子たちの役割を果たすのは弟子たちであり、敵の克服は敵への愛だからです。
私たちもそのような教えに従う者でありたいと願います。