はじめにきょうのテキストの舞台について地図で確認しておきましょう。 聖書の巻末に地図があります。 「7.パウロの宣教旅行1」という地図を見てください。 このパウロの最初の宣教旅行1は、後の第2第3の宣教旅行に比べると、内容がもっとも宣教旅行にふさわしく思われます。 パウロはバルナバと共に、アンティオケア教会から派遣される形でこの旅行に出かけています。 後の旅行ではフリーになります。
地図には順路が示してありますが、最初はバルナバの故郷であるキプロス島を経由して、小アジア・パンフィリアのペルガに上陸しています。 そこから陸路を北上して、アナトリア高原にあるピシディアのアンティオキアを訪れています。 使徒言行録13章16節以下には、このアンティオケアで行なったとされるパウロの演説が紹介されています。
当時ユダヤ人は、10人の居住者がいれば、一つの会堂をつくることが許されました。 彼らは安息日ごとにそこに集まって、聖書を読み、祈りを共にしたわけです。 その場合、会堂に学者らしい旅人がいれば、会堂司はその人に、モーセ五書や預言書の中から巻物を渡して、朗読と感想を求めるのが習慣であったそうです。 ルカ4章(16-17)にはイエスさまが故郷ナザレの会堂でそのようにされている記事があります。 こうした礼拝様式が初代教会にも受け継がれたことも分かります。
パウロの演説はユダヤ人にも異邦人にも大きな影響をあたえたらしく、多くの人が信仰に入っているのですが、ユダヤ人の中にはパウロたちの活動を迫害する人たちも出てきて、最終的にはパウロたちはその地方から追い出されてしまいます。 きょうのテキストのパウロの演説は16節から始まっていますが、パウロはまずイスラエルの歴史が神によって直接支配され、導かれたことを整然と、しかし情熱的に語っています。 きっとパウロの方がバルナバより演説が上手だったのでしょう。
パウロがきょうのテキストの前段階で語ったことを簡単に整理しますと、アブラハムの選びから始まって、出エジプトの出来事、荒野の放浪、カナン侵入、ダビデ王国の誕生……と、一言で云えば、それこそ旧約聖書の内容です。 パウロはそうした出来事の中に、神様が生きて働かれていることを熱く語ったのです。 そして旧約の締めくくりに、洗礼者ヨハネが救い主イエスを示すという形で、神様が救い主イエス・キリストをイスラエルに送ってくださったことを述べています。
それに続いて語ったことがきょうのテキストです。 ここでパウロはそれまで語ったイスラエル民族の歴史を、イエス・キリストと結びつけていきます。 まず指摘したことは、せっかくイエスさまがお出でくださったのに、エルサレムの住人や指導者たちは、なんら死に当たる理由が見出せず、それでも総督ピラトに強要して、イエスさまを殺してしまった、という点でした。
おそらくパウロは話の筋を分かりやすく整理しながら、しかし情熱を込めて語ったことが想像されます。 視聴覚機器などない時代のことですから、人の話がはっきり分かりやすく、しかも整然と語られれば、強力な影響力を発揮したのだと思います。 こうした情景は我々現代人にはなかなか理解しにくいのかもしれません。なにしろ私たちの周りにはテレビ・ラジオと言わず、パソコン・スマホが溢れていて、そこからは四六時中音や文字が流れているわけです。 人の話に直接興味をもって聞き入るなどということは、現代人の中からはとっくに奪われてしまっているのではないか、と思われます。 直接人から人へと何かが伝わりにくい時代に私たちは生きていると言えるかもしれません。
パウロはアンティオキアの人たちに自分の言葉で自分の口で、分かりやすく旧約聖書から説き起こして福音に結びつけていきます。 プロテスタント教会の礼拝に説教が中心に置かれているということは、牧師の口を通して神の言葉が直接その場に集う人々に伝えられるという出来事を表しています。 この意味で私は礼拝はライブだと考えています。 後で文字化した記録を読むことができるし、音声も録音で聴くことができますが、それは教会という場所に集められて、その限られた時間と場所の中で、人から人とへと福音の言葉が直接伝わっていくこととは異なります。
礼拝の業は、その場所、その時にのみ起こる出来事です。 ある時に起こった出来事をそっくりそのまま、後で同じ出来事として再現することはできません。 録音や文字はデータとして有力な参考とはなりますが、人から人へと伝わる出来事とは別物であると言わなければなりません。 教会はこの出来事がそこで起こるという姿勢を決して崩しませんでした。
米国でテレビ伝道が流行った時、わざわざ教会へ出かけなくてもお茶の間で礼拝ができることが強調されました。 確かに献金もマウスのワンクリックで済ますことができるし、聖歌隊の歌や荘厳なオルガンの響きも立派な音響装置さえあれば、臨場感をもって味わえます。 しかしそれは礼拝のコピーではあっても出来事ではありません。
神様が礼拝に人を招かれることから礼拝は始まるのです。 そして集められた人が神様の前に共に額ずき、頭を垂れ、賛美し、み言葉に共に耳を傾ける時に聖霊は働きます。 そのひとときは、世俗から完全に分離された神様が備えられた空間と言えます。 それはある面とても不思議なことですが、そこにはライブとコピーの違いがはっきりあると思います。 この特別な空間を大事にしなかったら、キリスト教は消えていくのではないでしょうか。 ですから教会は、昔から、今も、そしてこれからも、礼拝を大切な時として守っていくはずです。
使徒言行録のパウロやペトロの演説はそうした教会の礼拝における説教の原型を示していると私は思っています。 パウロは実に見事にイスラエル民族の歴史を語りながら、それをイエス・キリストの生きて働かれた生涯に結びつけています。 洗礼者ヨハネの活動から始まって、イエスさまの十字架の死、イエスさまの復活を述べ、その括りを証人となった弟子たちのことで結ぶのです。
あえて言えば、これは新約聖書の内容でしょう。 これこそがキリスト教の信仰内容なのだ、ということです。 弟子たちは、12弟子のみならず、ガリラヤからずっと従った女性たちも含めて、彼らはみな主イエス・キリストの証人なのです。 十字架に死に、死からよみがえったイエスさまの証人です。 その意味で新約聖書はイエス・キリストについての証言集です。
私たちはこの証言の言葉をどう聞いているのでしょうか。 情熱をもって語るパウロやペトロやバルナバの声がどのように私たちの耳に響いているでしょうか。 聖霊が臨む時、彼らの語る真理が私たちの耳を通して心に入ってきます。 私たちは神の言葉によって導かれ、力を頂いてこの世に出て行きます。 礼拝はそのように成り立っています。
私がイエスさまの復活を信じる理由の一つは、聖書にたくさんの復活の証人がいるということです。 弟子たちは命をかけて福音を宣べ伝えました。 ところが、ヤコブもペテロもパウロもみな殉教しています。 私は彼らが嘘を残したとは思いません。 命をかけて嘘を残すとは思えないのです。紀元1世紀の教会は迫害だけでなく、信仰内容の理解を巡って混乱し、なかなか一つにはまとまれませんでしたが、それでも様々な荒波を超えて、十字架と復活の信仰は失われませんでした。 そこには神様の導きがあったと私は信じています。
昨年末から教会では訃報が相次ぎました。 私はプライベートでも恩師や先輩、友人たちの相次ぐ訃報に驚かされています。 けれども私たちは身近な方も含めて、そうした悲しい知らせも受けとめなければなりません。 私たち人間はいずれ死にますが、生きている時から自らの生も死も神さまのみ手にあることをもっと意識すべきだと思わされました。
きょうは復活後の第1主日です。 私たちは、これからこの復活節を、聖書を通してたくさんの証人に出会いながら過ごしていきます。 離散のユダヤ人だけでなく、異邦人の中にも、砂に水が浸み込んでいくように、福音が広がっていった記事を読むのは心が踊ります。 機会を得るごとに大胆に福音を語っていった弟子たちにあやかって、私たちも福音を力強く語る者になりたいものです。 祈ります。