3章には、宣教活動を開始されたイエスさまの運命を決定付けるような出来事が記されています。テキストのすぐ前には、イエスさまが安息日に手の萎えた人を癒す奇跡を行っているのですが、この行為はファリサイ派の人々たちにとっては律法違反であり、看過できないことでした。もっともファリサイ派は、命の危険があるときには安息日でも治療を認めていましたから、萎えた手を癒すことはそれほどの緊急性を要することでもないことを考慮すれば、イエスさまの方で癒す行為を別に日に移せば、ファリサイ派との衝突は回避できたろうと思われます。しかしイエスさまはそうされませんでした。イエスさまの中には、安息日こそ苦しんでいる人々が解放されるべきである、との確信があったのです。律法に縛られて生きることが、どんなに人を自由に活気に満ちて生きることから阻害するか、よく分かっておられたからです。あえて安息日規定を破ることを意識的にされたのだと思います。
洗礼者ヨハネもエルサレムやユダヤの人たちに悔い改めを説いて神に帰ることを指導しましたが、奇跡は行っていません。そこはヨハネとイエスさまが決定的に違う点でしょう。ともあれ、イエスさまの決断は、ユダヤ社会の宗教的指導者たちとの亀裂を決定的にしました。ですから6節にはこうあります。『ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ党の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた』。こうした状況を背景にして、きょうのテキストの出来事が記されます。イエスさまは自分を殺そうとしている動きを察知して、いわば逃げるように湖の方へ立ち去られました。するとガリラヤから来たおびただしい群衆がついてきたのです。ガリラヤからだけならまだしも、「エルサレム・イドマヤ・ヨルダン川の向こう側・ティルスやシドンの辺りからも」 とありますから、これはもう異邦人地域まで含めたパレスチナ全域から群衆が押し寄せたことを表しています。
奇跡を起こして病人を癒すというイエスさまの評判は全土に広がっていたことをマルコは記したのです。マルコはまた、イエスさまの働きが諸民族に及ぶものであることをも明らかにしたのでしょう。現代のように医者や病院があるわけではないので、人々が癒しの奇跡を聞きつけて集まってきたのは当然です。しかし私たちは、ここに人間の本性を見ている思いがいたします。人間というものは、自分の要求を満たすものであれば、すぐに飛びつきます。世に宗教はたくさんありますが、要求を満たしてくれると見なされた宗教は、どんな時代でも大歓迎されるものです。しかし私たちが信じるキリスト教の本質は、人間の生まれつきのままの思いを満足させることにあるのではなく、まず神さまの意志を尊重し、これを第一にすることにあります。しかし現実には、このことが明らかにされると、多くの人たちは去って行くのです。きょうのテキストではそういうことがテーマになっていると思います。イエスさまが多くの病人を癒されたことは、1章2章にもすでに述べられています。
それと、テキストの11節12節には汚れた霊どものことが出てきます。汚れた霊、悪霊と言ってもいいのですが、この霊がイエスさまを見ると、ひれ伏して「あなたは神の子だ」 と叫んだと言うのです。当時の人たちは、病気は悪霊の仕業と考えていました。おびただしい群衆の中に悪霊に支配されていた人がいて、そういう人がイエスさまを見ると「あなたは神の子だ」 と叫んだというのでしょう。これは悪霊こそが真っ先にイエスさまが神の子であることに気づくということでもあります。私たちがぼんやりしていても、悪魔は人間の誰よりも敏感にイエスさまの本質に気づくのです。悪魔とか悪霊と呼ばれるものこそが、神さまの対極にいるので、イエスさまと神さまの関係にもっとも鋭敏に反応します。12節では、この霊どもにイエスさまは、「自分のことを言いふらさないように」 厳しく戒められています。つまり結果的にですが、宣教活動はするなと命じられているわけです。「お前たちの頭はベルゼブルであって、わたしではないよ」 と示されています。汚れた霊どもが大勢の群衆の中にまぎれてイエスさまに相対した時、彼らはイエスさまにその本性を暴かれました。この汚れた霊どもへの言及は、悪霊は追放され、反対にイエスさまに従うことを願って病気を癒された人たちは、それから先、イエスさまの宣教者になることを許されている、と理解してもよいと思います。
私たちはこの湖の岸辺の群衆の記事から、病気が癒されるかどうかだけにとらわれるのではなく、また、信じればどんな利益があるのかなどと信仰の結果だけに惑わされないで、ひたすらイエスさまのみ言葉に信頼すべきことを学ばなければなりません。結果は神さまのみ手の中にのみあるのであり、私たちの信じる神さまは、ロマ書にあるように、「万事を益としてくださる」神さまです。さて、13節からは場面が湖から山に移ります。マルコはここで伝承の中から12人のリストを取り入れて、彼らをイエスさまが特別に選ばれる場面を描いています。イエスさまが12人を選ばれ、彼らを弟子に、即ち使徒に任命された理由が、14節と15節に書かれています。その理由の第一は、イエスさまの側に置いて、イエスさまご自身の教訓やら業やらを彼らが見聞きして、イエスこそが救い主キリストであることが、後になって明らかにされるためでした。第二の理由は、彼らがイエスさまから聞く神の国の福音を宣教し、さらには悪霊に迷わされている人々の目を覚ますことにあります。そのために、悪霊を追い出す権能を与えられたのです。16節以下には12人の名前が列挙されています。いわゆる12弟子の名簿です。
12という数が出てきたのは、ルーツはおそらくイスラエル12部族に由来しているのでしょう。新しいイスラエルとしての自覚を持っていた教会にとっても、12は特別な意味があったはずですから。この名簿は共観福音書の他、使徒言行録1章にもありますが、4つを比較すると、名前の順序が多少異なり、名前自体にも相違があります。使徒言行録のリストではタダイの代わりにヤコブの子ユダが記載されています。まあ、このことについては、ユダが本名でタダイはニックネームであったろうとかいう解釈もあって、確かなことは不明です。ペトロやヤコブやヨハネなどは福音書に繰り返し名前が出てくるので、かなりのことが分かりますが、バルトロマイなど、どんな人物かほとんど分かりません。ペトロとヤコブとヨハネにはイエスさまから直々に綽名がつけられていますから、12弟子にも何か序列のようなものがあったのかなア、と思います。しかし単純に序列リストというよりは、後に誕生する教会での用いられ方、働き具合がすでに先取りされているのだとも思います。
私たちとしては、序列云々よりはペトロたち3名に特別に綽名がつけられたわけを考える方が意味があるように思います。シモンにはペトロという綽名がつけられました。これなどは、信仰的に何度もぐらついている性質に、岩という意味のペトロが与えられ、岩のようであれとのイエスさまの励ましも込められているのでしょう。さらにそれだけでなく、今後は岩のような存在として扱うよという意味も含まれていたと思います。ヤコブとヨハネ兄弟の綽名はボアネルゲスでした。これはアラム語で「雷の子ら」の意味です。イエスさまは、二人の激しい性格を直そうとされたのかもしれません。人間には誰しも性格的な欠点がありますから、イエスさまが綽名をつけられて、その性格をも含めて弟子たちを用いられたことには、私たちもホッとします。もちろん治せるものなら治したほうが良いと思いますが、生まれつきの性格は遺伝子を通して親からもらった側面もあるのでしょうから、私たちは自分の性格にあまり悩まなくてもいいのでしょう。必要ならば、そうした性格ごと神さまは私たちを用いるということです。また弟子たちに二つの名前が与えられたことは、私たちにも形こそ違え、二つの使命が与えられているのかもしれない、と思いました。キリスト者として使命を与えられるのは、12弟子だけではありません。
現代の私たちにも使徒と同じように使命が与えられていると思うのです。もちろんその使命の一つは、イエス・キリストの福音をこの世に証言することであり、もう一つは、心の不自由に苛まれ、罪に悩み、慰めや癒しを必要としている人々に、イエス・キリストにある自由と解放と平安とを与えることでしょう。私たちは神さまを信じ、イエスさまに信頼する者ですが、自分の不完全さや未熟さを理由にして、前に進むことをためらってはなりません。というのも、きょうのテキストにはイエスさまが弟子たちを岩と呼び、あるいは雷の子らと呼んだように、信じる者一人ひとりを、「取るに足りない者を働き人のように見做し」てくださって、力を与え、性格を補い、神の器として用いてくださるからです。リストの最後19節にはイスカリオテのユダの名前があります。しかもちゃんと、『このユダがイエスを裏切った』 と書かれています。マルコはこの謎とも言うべき出来事に読者の注意を引いています。後にイエスさまの身に起こる受難の一つのテーマがすでに先取りされています。当時の教会にとっては、イエスさまの傍に12人の弟子たちが使徒として任命されていたということは、とても重要なことだったのでしょう。イエスさまの死後、20年たち30年たつうちに、教会は使徒の位置付けを広げていきました。パウロも使徒と呼ばれ、バルナバ(cf.使徒言行録14,14)もアンドロニコもユニアス(cf.ローマ書16,7)も使徒と呼ばれるようになります。 ですから、私たちも現代の使徒なのです。
その自覚を持って歩んでまいりましょう。祈ります。