2016.1.3

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「主の恵みの年」

秋葉正二

申命記6,4-9; ルカによる福音書4,16-21

 イエスさまの時代、ユダヤ人たちはユダヤ教の規定に従って会堂(シナゴーグ)で安息日に礼拝を守っていました。 プログラムとして信仰宣言や祈りや聖書朗読があったのですが、聖書朗読はユダヤ人男性の誰にでも許されていました。 イエスさまは洗礼を受けた後、ガリラヤで活動を開始されたのですが、きょうのテキストによれば故郷のナザレに行かれて、そこの会堂に入って聖書を朗読されています。

 普通は旧約聖書の律法(モーセ五書)と預言書が読まれるのですが、ここではイザヤ書の巻物が手渡されています。 現代のような紙の本はないので巻物です。 17節によると「ある箇所が目に留まった」とありますから、ご自分で意識的にそこを選ばれたのでしょう。 その箇所が18〜19節なのですが、これはイザヤ書61章1,2節58章6節をくっつけ合わせた混合引用の箇所で、言うなればイエスさま独自の福音宣言です。 つまりイエスさまはそうすることによってご自分の活動の方向性をはっきり示されたのです。 マルコマタイに並行記事があるので、一緒に読み比べると比較することができます。 マタイとルカはマルコを基礎資料として、他にQと呼ばれる資料を用いたと言われているのですが、たとえそうだとしても最終的にはマタイもルカも自分の信仰を反映させた編集をしたわけですから、きょうのテキストは言わばルカ版のイエスさまによる福音宣言だということになります。

 ルカはギリシャ語に訳された旧約聖書「70人訳」を使っていますから、実際にはアラム語を話されていたイエスさまがこれと同じものを読み上げたとは言えないでしょう。 「目の見えない人には視力の回復を告げ」という部分などは70人訳の表現です。 ということで、ルカ版の福音宣言は単純に旧約聖書を引用したのではなく、かなり明確にイエスさまないしはルカの主張が込められていると言ってよいでしょう。 さてイエスさまは18節でまず『主の霊がわたしの上におられる』と言われます。 これはイザヤ書の61章1節にもあるのですが、イエスさまには主の霊が注がれているのだということを強調した言い方です。 歴史を導いておられる神さまの力がイエスさまには満ち満ちているということでしょう。 そしてそれは『貧しい人に福音を告げ知らせるため』とはっきり言われるのです。

 貧しい人と訳されている言葉(プトーコイス)は文字通り「富める者」に対する対立概念ですが、財産の乏しい人、特に社会的抑圧の結果貧困と悲惨のうちに生活せざるを得なくなった人々を指します。 考えてみれば、イエスさまはしばしばこの「貧しい人」について言及されていることに気がつきます。 レプタ銅貨二枚をささげる貧しいやもめの話(マルコ12,41以下、ルカ21,1-4)がありますし、富める者より神の国へ入りやすい貧しい人の話(ルカ6,20同16,19以下、マタイ19,21以下)もあります。 それにイエスさまの説教が向けられる対象は貧しい人(マタイ11,5等)であることもはっきりしています。 エルサレム教会では経済的に困窮している寡婦は特に援助されたことも使徒言行録の記事(6,1)から窺えます。 「富める者」に対して「貧しい者」がなおざりにされることを戒めたのはルカの教会でもきっとなされたことだと思います。 では、そのような貧しい人への福音とは一体何なのだ、ということが18節の後半に出てきます。 それは貧しい人たちの実態と言えばよいでしょうか。

 囚人の解放、目の見えない人の開眼、圧迫されている人の自由などなど、大づかみに表現されている現実の貧困や障害や抑圧からの解放がそれなのだ、とイエスさまは言われるのです。 これは宗教的な精神性を強調するような信仰の在り方へのかなり痛烈な批判ではないかと私は感じました。 すごく激しいイエスさまのこの世の不条理への憤りが溢れていると思うのです。 例えて言うとですね、宗教世界ではよく断食が行われます。 イスラムでもユダヤ教でも仏教でもキリスト教でも行われます。 あえて誤解を恐れずに言えば、そうした宗教的「行」よりも、何か社会的な不正義によって苦しんでいる人たち、搾取によって借金を背負わされてしまった人がいるならば、借金を肩代わりして証文を破り捨ててあげることの方が神さまは喜ばれるのではないか、というようなことなのです。 イエスさまの頭の中には貧しい人たちを助ける具体的なイメージがおありになったのではないでしょうか。 と言うのは、19節で『主の恵みの年を告げるためである』とイエスさまは結ばれているからです。 この言葉はヘブライ語聖書にも「70人訳」にもあるのですが、これは明らかにレビ記の25章8-17節に出てくる「ヨベルの年」を意識した言葉でしょう。

 「ヨベルの年」、これはもう皆さんもご存知だと思いますが、古代イスラエル宗教社会が到達した一つの人間解放の理想像です。 土地の法律でもありますが、50年に一回、それは巡って来ます。 その年が来ると、すべての借金は棒引きにされ、土地は元の所有者に返され、奴隷は解放されます。 まあ、実際にそんなことは実現されなかったでしょうけど、少なくとも二千数百年前にそういう社会を思い描けたということが凄いと思います。 日本が縄文時代から弥生時代に移る頃のことです。 この「ヨベルの年」のことを思い浮かべるだけで、私はイスラエル民族は凄いなあ、と思います。 社会全体が平等化されるという発想は、近代の言葉で言えば一種の革命思想でしょう。 聖書学ではおそらくこの18-19節をルカはどこかから持ってきた、と分析するのでしょう。 マルコにもマタイにもないし、資料Qにもないわけだとすればどこからだろうとなるわけです。 そうした分析の一つに、これはルカの所属した教会で歌われていた賛美歌だったらしいという説があります。

 実はこれには先例があります。 このクリスマスで読まれた方もいらっしゃると思いますが、きょうのテキストの少し前、1章の46節以下に「マリアの賛歌」と小見出しがついた箇所があります。 ここをクリスマスに読まれた方は何か違和感を覚えなかったでしょうか。 こんな表現があります。 51節以下です。 『主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます』。 どうですか。 一言で言えば、極めて過激だと思います。 ここには、天使の受胎告知を戸惑いつつ慎ましやかに受け入れたうら若い女性のイメージはまったくないと言ってもよいでしょう。 ルカにこうした激しい傾向があったとも思えません。 なぜならルカという人は冒頭の献呈の言葉にあるように「敬愛するテオフィロさま」なんて言葉使いをする人ですから、どちらかと言えば穏やかに体制側に与する人だったのではないかと思うからです。

 でも自分が属する教会でこうした歌詞が賛美歌として歌われていたとなれば、福音書の編集作業の中で取り入れることはむしろ自然なことではないかと思います。 ですからルカが自分の思想をイエスさまの言葉として入れ込んだとは思えません。 まあ、この辺りのことを聖書学者がどう考えるかは、後で廣石先生に聞いてみてください。 私はイエスさまの考え方の中に、元々そうした傾向がおありになったのではないかと考えています。 別にイエスさまを革命家に仕立て上げようとは全然思いませんが、現実の貧しさの中で喘いでいる人の姿に接する中で、それに近いようなことをお考えになったのではないかと思いました。 なぜそんな風に考えたかと言えば、イエスさまが身を置かれたのは貧しい人たちの世界だからです。

 イエスさまは神の子としてまったく解放されていた方ですから「富める人」と「貧しい人」を偏り見ることは決してなかったと思いますが、ご自分が生きた世界は貧しい人たちの世界なのです。 そこからしか見えない真理というものがあるのではないでしょうか。 私は40代の頃、長年九州教区の宣教部で活動していたのですが、同時に教区のアジア委員会に所属していまして、何度かフィリピンに通う機会がありました。 フィリピン合同教会の宣教師であったヴィスミンダ・グランという女性牧師を鹿児島地区で半年間受け入れた際、私はコーディネイターを務めたこともあって、フィリピンを訪れる機会を何度か与えられ、あちらの貧しい現実を嫌という程みることになったのです。 ミンダ牧師はミンダナオのある町で民主化闘争の指導的役割を担っていたので、大地主が雇ったカフグーという兵隊崩れの用心棒に殺されました。 もちろん彼女も貧しい階層に属する一人です。 私の場合、フィリピンの牧師達から一つの聖書の読み方を学んだのです。 それは現場の視点から聖書を読むという方法です。 その現場というのは決して富める人たちの側ではなくて貧しい人たちの側でした。 そうした読み方を教わった時、私は書斎の中だけで聖書を読むことはやめようと思ったのです。 でも豊かな日本に生きていて、美味しい食事をし、自由な活動も保障されていると、底辺に徹底して立つことが難しいことも思い知らされています。

 話が少しそれましたが、きょうのテキストでイエスさまが読まれた巻物の内容は、私にとってかつて80年代の後半にマニラで起こったピープルズ革命を思い出させてくれました。 富を私物化して、権力を欲しいままにしたマルコス大統領が、コーリー・アキノという女性を担ぎ出して、最後には教会も味方につけた民衆に政権をひっくり返され、アメリカに逃亡しなければならなくなった事件です。 コーリーさんは大地主のお嬢さんですから大統領に就任してからの政治はもちろん理想通りには行きませんでしたが、少なくとも圧倒的多数の民衆は、あの時世直しの希望を抱いたのです。 それは決して無駄ではなかったと思っています。 私がこの20数年「在日」の人たちや外国籍の人たちと一緒に活動してきた理由はそこにあります。 イエスさまは奪われ、貧しくされた人たちに解放の福音を告げられた、そう私は信じています。 新しい主の年2016年を「ヨベルの年」を仰ぎつつ過ごすことが出来たらいいなと思います。 お祈りします。


 
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