本日の学びは、テキスト9章の小見出しに「エルサレムの信徒のための献金」とある通り、献金がテーマです。折角教会に来始めたのに、献金と聞いただけで引いてしまう人がおられます。私たち教会人はそのために丁寧に説明して差し上げる責任がありますが、実は教会人の中にも献金について十分に理解しておられない人もいるのです。一つの言い方をすれば、誰でも献金についてはチャレンジを受けることを自覚しておかねばなりません。自分で稼いだお金は自分で用いるというのが世 の常識ですから、それを自分以外の目的に使うと言えば抵抗があるのです。
けれども、この、この世的チャレンジをしっかり乗り越えない限り、喜びをもって信仰生活を送ることなど出来ません。使徒パウロが残してくれた言葉は、その意味でとても意味があります。テキストの背景について簡単に説明します。教会の出発は、いわゆるエルサレム原始教会ですが、エルサレム教会は出発当初「財産共有制」でした。このことは「使徒言行録」2、4章に記されています。しかしその原始共産制は社会的緊張を伴いますので、一時的な解決策で終わってしまいました。たとえば、アラム語と使う人たち(ヘブライスト)やギリシャ語を使う人たち(ヘレニスト)の中の寡婦を公平にお世話しようと奉仕者が任命されましたが、実際の生活扶助の方法をめぐってすぐに争いが生じました。その事情は「使徒言行録」6章の初めに出ています。
そんなこんなでエルサレム教会は貧しさを抱えることになってゆくのですが、それを異邦人教会の献金で救済しようということになりました。エルサレムで開かれた「使徒会議」で、パウロは異邦人教会から献金を集めましょうと約束したのです。「ガラテヤ書」2章にその経緯が記されています。この約束はアカイア州とマケドニア州で実行されました。その献金の回収のためにパウロはテトスと他の二人をコリント教会へ送ります。きょうのテキストの前の8章にそのことが書かれています。そうしてパウロは、彼の最後のエルサレム滞在中に、その献金を手渡しました。以上が「エルサレムの信徒のための献金」の背景です。
さて、どの宗教教団も内部では祭儀や慈善の名目で自発的な寄付を募ります。古代イスラエルの宗教も例外ではありません。最も古い記事は「モーセの人頭税」でしょうか。人頭税ですから各個人に対して頭割りに同額を課する租税方式です。「出エジプト記」30章11節以下に載っています。その15節以下にはこうあります。『あなたたちの命を贖うために主への献納物として支払う銀は半シェケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しい者がそれ以下支払うことも禁じる。あなたがイスラエルの人々から集めた命の代償金は臨在の幕屋のために用いる……』。このことがバビロン捕囚期以後も、ユダヤ教の税金の根拠となって行きました。
「ネヘミヤ記」10章によれば、毎年国内ユダヤ人からだけでなく、ディアスポラからも1/3シェケルの税金が神殿のために要求されたといいますから、「モーセの人頭税」というのは重要な役割を後々まで果たしています。もちろんイエスさまの時代になってもこの根拠付けは機能しました。新約時代の神殿税は銀貨一枚の1/2シェケルです。「マタイ福音書」17章24節以下には、イエスさまがペトロに二人分として納めなさいと言われています。だから神殿税のことをギリシャ語では2ドラクメという言い方で表現します。
ところで、こうした聖書に見られる献金関連の叙述から私たちが大切なこととして理解しておかなければならないことは何でしょうか。宗教団体内部の祭儀関連に献金を用いるというのは目に見える必要経費ですからよく分かります。けれども教会の献金という考え方は、決してそれだけが根拠ではありません。言うなれば貧しい人たちへの眼差しの問題なのです。そもそもイスラエル民族には、神の民としての自分たちの中には貧しい者があってはならない、という基本的な考え方がありました。だから実際に貧しい者が出ると、イスラエルの民はその人たちのことを心にかけたのです。
「申命記」15章は〈負債の免除〉について書かれている箇所ですが、7節以下にはこうあります。旧約の305ページ、ちょっと長いのですが、読みます。『あなたの神、主が与えられる土地で、どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。〈7年目の負債免除の年が近づいた〉と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう。彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい』。如何でしょうか? とても大切なことが指摘されていると思います。しかし当時、制度的な生活扶助はありませんでした。
と言うのも、イスラエルは伝統的に家族あるいは氏族が一緒に暮らしてきましたので、彼らは連帯して貧しい者の世話をすることになっていて、基本的に扶助は不要だったのです。ところが、都市化が進んでくると、家族・氏族制度は崩壊していって個々の血縁による保護が失われてゆきます。そこで組織的な生活扶助の萌芽として、例えば3年ごとにその年の産物の1/10を要支援者のために用いるといったことが出てきました。そこで一部の預言者集団は持ち物を平等に利用する財産共有制を採用したりしています。少し後の時代に生まれたエッセネ派のような存在はそうした考え方を引き継いだとも言えるでしょう。
私は、こうした理想を実現することを試みた集団が生まれたことは、たとえ失敗に終わったとしても、後の時代にとっては非常に意味があったと思います。つまり私たちは献金について絶えずその意味を考えなければならないということです。その努力がなされないと、例えば「月約献金」なども毎月の月謝みたいになりかねません。現代の教会は大抵役員会が教会運営の直接的責任を担いますから、役員の中に会計担当を置いて献金を大切に管理します。毎月役員会では会計さんから当該月の収支状況の報告を受けて、その内容を検討します。教会総会では年度全体の予算案が決められますから、その計画から大きく逸脱しないように役員会は毎月チェックしているのです。
古代イスラエルでは、例えば南王国ユダの王ヨアシの時代、献金の無計画な浪費を防ごうとエルサレム神殿には穴のあいた献金箱が用意されています。中味を取り出すのも王の役人と祭司が一緒に取り出して勘定しました。列王記に出ています(列王記下12,9)。そうした過去の努力が踏襲されて、イエスさまの時代には全ての人が出入りできる神殿の宝物殿に13個のラッパ形の賽銭箱が置かれました。これはマルコ福音書12章にあるイエスさまの「やもめの献金」の話の舞台です。パウロは異邦人教会から献金を集めましたが、集め方は神殿税と似たような点が確かにあると思うのですが、実際に献金を捧げた異邦人キリスト者の心には、貧しさに喘いでいるエルサレム教会の人たちのことが強く意識されていたでしょう。献げる行為にはそうした意識がとても重要なのです。
ですから月約献金を捧げる時も、席上献金を捧げる時も、ほとんど無意識に習慣のように捧げるのはちょっと違うと思うのです。「やもめの献金」の話では、イエスさまは賽銭箱の向かいに座って群衆がそれにお金を入れる様子を見ておられます。その時イエスさまは何を見ておられたかと言うと、どういう思いで人々が献金しているのかをジッとご覧になられたのです。ですから大勢の金持ちが無意識的にたくさん入れるよりは、一人の貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を捧げている姿に献金の本質を見られました。貧しい人が、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れることがどういうことなのか、イエスさまはそこに献金の本質を見ておられます。
ですから私たちも習慣的に無意識に献金を捧げることがあるなら、それを改めようと思います。祈りを持って捧げる、これが必要です。キリスト教はその成立以前の古代イスラエルの時代から、自分のためではない捧げ物のことを重要視していたことに最初に触れました。自分のためではないということは、他の人のことを思うということでもあります。律法が弱い立場に置かれている人に目を注いだ伝統を、新しい形で人々に告げ知らせた主イエス・キリストの精神を、私たちも献金の形で表せたらと願っています。寛大に気前よく喜んで捧げる人には必ず神さまが報いてくださると、パウロは確信を持って異邦人教会から献金を募りました。この教会の伝統を継承しているのがキリスト教会です。新たな思いで、捧げる業を神さまの恵みと位置付けて、献金という種まきをしてまいりましょう。きっと豊かな信仰の収穫が与えられます。献金が文脈によって礼拝とか奉仕という意味の言葉で表されていることを確認して、きょうの学びの結びにしたいと思います。祈ります。