2013.9.29

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「神殿の崩壊」

廣石 望

ミカ書3,5-12; マルコによる福音書13,1-2

I

 神はこの世と、この世の政治システムや神殿や教会などの宗教組織と、どのように関わるのでしょうか? 世の荒波にもまれて信仰共同体が生きてゆくとき、神はどのように理解されるでしょうか?

 先週私たちは、教会カンファレンス「キリストの平和を求めて〜戦争責任告白とこれからの代々木上原教会」を行いました。

 説教を担当された村上伸牧師は、「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません」(1ヨハネ1,8)という聖句をとりあげました。そして戦争責任についてあれこれと言い訳しながら自分を正当化することに代えて、神の前で謙虚に罪を認め、心から悔い改めることこそが「光の中を歩む」者にふさわしいと言われました。日本のキリスト教会は、第二次世界大戦にさいして一度決定的に挫折したということです。――もっともこの点で、日本基督教団内部の意見は必ずしも一致していませんけれど。

 またグループに分かれて話し合いをしたとき、参加された方々の発言のうち、次の二つのものが強く心に残りました。ひとつは「戦争に反対するために〈No!〉と言うべきときには、イエスさまの後押しをいただきながらそう言いたい」というもの。もうひとつは、「例えばヘイトスピーチに参加する若者には、社会から恩恵を蒙っていないと感じている人が多い。〈自分が正しい〉と思いこんでいる人は、他者からのアプローチに反応しない。そうした人たちとの対話やケアが、民主主義を内実あるものとするために大切だ」というものです。

 その通りだと思います。そしてそのためには、まず私たち自身が「自分たちが正しい」という思い込みから解放されなければなりません。私たちを勝手な思い込みから解放し、真の悔い改めをもたらすのは神への信頼です。

 イエスや旧約聖書の預言者たちが「神殿」に対して示した態度を手がかりに、そのことを考えてみましょう。

 

II

 「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(マルコ13,2)――イエスの神殿崩壊預言です。エルサレムのヤハウェ神殿はその基礎の基礎まで破壊されるだろう、という意味です。イエスがこの預言を行ったのは紀元30年ころでしょうか。そしてこの預言は40年後の紀元70年に実現しました。第一次ユダヤ戦争の結果、エルサレム神殿がローマ軍によって破壊されたからです。

 その間の40年間に、いくつかのできごとがありました。まずイエスが、神殿に対する冒涜的な言動を行ったかどで告発され、虐殺されました。つぎにイエスの死後、エルサレムに最初の教会が成立した当初、信徒たちはそれでも定期的に神殿参拝を続けました(使徒言行録2,465,12を参照)。この段階の原始キリスト教は、まだユダヤ教の一部です。しかし少しく後に、異教徒をキリストへの信仰に基づいて「救い」の中に受け入れる人々が現れます。ヘレニストと呼ばれる人々、とくにその一派が築いたアンティオキア教会――パウロはその主要メンバーの一人です――などです。彼らはユダヤ教の内部にありながら、律法遵守と血統というユダヤ教の枠を超える普遍主義的なユダヤ教としてのキリスト教を提唱しました。

 しかし第一次ユダヤ戦争での敗北により、神殿を中心とした貴族祭司の勢力(サドカイ派)と王家を中心とした地方エリートの勢力(ヘロデ党)というユダヤの二大権力は瓦解しました。そのあおりを受けて、エルサレムの原始教会も消滅します。そして敗戦後のユダヤ教が再編成されてゆく過程で、キリスト教はユダヤ教からしだいに分離していったのです。

 

III

 今度は、もう少しレンズを絞って、イエスと神殿の関係に焦点を当ててみましょう。

 イエスの両親は、長男の誕生後に産褥の期間が明けると、息子イエスを神に献げるために神殿に上っています(ルカ2,22以下)。また両親は毎年、過越祭にエルサレムに巡礼したと言われています(ルカ2,41)。

 長じて後のイエスはガリラヤで、神殿税を徴収するために巡回してきた者たちに税金を納めています(マタイ17,24以下)。もっとも、ガリラヤ湖で釣り上げる魚が「銀貨」を咥えているだろうから、それをイエスとペトロの二人分として払うがよかろうとイエスが言ったという、ちょっと人を喰った話として。

 そしてイエスはおそらく何度か過越祭のためにエルサレムに巡礼したことでしょう。

 さて、イエスの神殿崩壊預言としては、「私は人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を立ててみせる」という言葉も伝えられています(マルコ14,58)。現行のマルコ福音書では、告発者による偽証とされています。しかし少なからぬ研究者が、この発言が真正なものである可能性を認めます。「人間の手で造ったこの神殿」とはエルサレムのヤハウェ聖所をさしますが、「手で造らない別の神殿」とは何のことでしょうか? おそらくイエスが宣教した「神の国」のことでしょう。イエスは「神の国(/支配)」が、現在の神殿体制にとって代わると期待していたようなのです。

 すると「神」への信頼こそが、イエスにとって自由と悔い改めの根拠だったのです。

 

IV

 ここで旧約聖書に目を転じましょう。週報のコラム欄で紹介した山我哲雄『一神教の起源――旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房、2013年)によれば、旧約聖書における一神崇拝の歴史は、信仰上ないし思想上のさまざまな「革命」が繰り返され、積み重なるかたちで――逆境を突破して共同体・国家・民族の存続を可能ならしめるような「革命」を通して――実現したものであるそうです。山我氏があげる幾つかの信仰「革命」の中から、印象的なものを二つだけご紹介します。

 まず紀元前12世紀ころ、パレスティナで「イスラエル」と呼ばれる部族連合的な共同体が生まれました。彼らは「エル」という名の神を奉じていました。この時期のパレスティナは、カナン地方の都市国家が互いに戦争をくりかえし、ペリシテ人と呼ばれる「海の民」の侵入も相次ぎ、政治的・社会的な大変動の時期であったそうです。その中で出エジプト伝承に由来する「ヤハウェ」という神が「エル」神と同一視されるようになり、それと同時に他の神々に対する崇拝が自覚的に放棄されたと思われるのです。――つまりイスラエルは敢えてヤハウェひとりを崇拝することで、危機的状況を乗り切ろうとしたのでした。こうして〈イスラエル民族にとっての神はヤハウェだけ〉という民族的な「拝一神教」が生まれました。

 もうひとつの信仰上の「革命」は、南北王国の存亡に関連して生じました。紀元前9-8世紀、北王国イスラエルでは、フェニキアと同盟を結んだ結果、バアル崇拝が盛んでした。他方で南王国ユダは、王家が宗主国であるアッシリアの国家祭儀をエルサレムに導入したため、完全に多神教的な状況にありました。しかし両王国は相前後して滅亡します。そのとき〈ヤハウェは異教徒の王を僕として用いて自らの民族を罰した〉〈ヤハウェはイスラエル民族の枠を超える世界神だ〉という理解が生まれたのです。先ほど朗読したミカ書はその先駆けです。

 〈エルサレム神殿を破壊したのは異民族の神々ではなく、我らの神ヤハウェに他ならない〉――これは〈キリストの神が教会を破壊した〉と言うに等しい認識です。何という自己批判的なスピリットに溢れる神理解であることでしょう!

 こうした経験を踏まえて、南王国崩壊後のバビロン捕囚の時期、次のように語る預言者が現れます。「私はヤハウェ、ほかにはいない。私をおいて神はない」(イザヤ45,5参照)。第二イザヤと呼ばれる預言者です。ヤハウェ以外に神は原理的に存在しない。従来、崇拝されてきたさまざまな神格は端的に非存在だというのです。こうした神理解は「唯一神観」とも呼ばれます。

 傲慢で鼻もちならない態度だとお感じになるでしょうか?――しかし山我氏によれば、この神観は、「国家も王も土地も神殿も失い、絶望の淵に追い込まれた捕囚民の間から、無力な民に力を与え、絶望を希望に変える起死回生的、一発逆転的な究極の論理として語りだされた」ものであり、それは「最も非力な集団が絶望的な状況を克服し、生存と信仰を維持するための〈生き残り〉のための論理」であったそうです(同書364-365頁)。

 

V

 〈ヤハウェひとりが私たちの崇拝する神だ〉という民族的な拝一神教、〈ヤハウェ以外に神は存在しない〉という第二イザヤの唯一神観は、ともにその後のユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教に継承されました。

 日本のキリスト教、とりわけ明治以降のプロテスタント・キリスト教の場合、こうした旧約聖書における信仰「革命」の遺産は、キリスト教信仰が神道や仏教などの文化伝統の中に吸収され消滅してしまうことがないように、つまり少数派が生き延びるために援用されました。〈カミや仏を拝んではならない。彼らは偽物だ〉〈キリスト教の神こそが本物だ〉。

 しかしいつまでも、このままでよいものでしょうか? ユダヤ教のヤハウェ神殿はかつて二度に亘って破壊され、今に至るまで再建されていません。かつての日本のキリスト教は国家の戦争政策に全面的に協力することで、ひとたびその本質を喪失しました。

 ならば今は、平和を実現するために、他宗教を否定することではなく、むしろ宗教の違いを超えて互いのよいところを認めながら共に働くことが、キリスト教にとっても重要な課題なのではないでしょうか?

 7月末に私たちの教会で説教を担当したトマス・マシュー氏は、南インドのマルトマ教会に属するキリスト教徒です。彼はしばらく前まで、IARF(宗教的自由のための国際協議会)というNGOの世界議長でした。その職に彼を推薦したのは南アジア部会のヒンドゥー教とイスラム教の指導者たちです。南アジア社会でキリスト教は少数派です。そこで生き延びるには、多数派である他宗教を尊重しなければなりません。社会の対立の「旗印」として宗教が悪用されることが最も恐ろしい。同じことを心配する心あるヒンドゥー教の指導者とイスラム教の指導者の両方がマシュー氏に信頼して、自分たちの間の「橋渡し」をする役割を彼に託したのです。

 私たちの教会では、「平和をつくり出す宗教者ネット」のご縁で、日本山妙法寺大僧伽の上人さまたちが毎年、クリスマス礼拝に参加されます。平和活動に真剣に取り組んでいる団体です。先の教会カンファレンスで、参加者のお一人が「いったいどのような信仰が、あれほどの活動を支えているか知りたい」と思って、渋谷にある彼らの質素な住処を訪ねたときのようすを話されました。「私たちは〈殺すな!〉という教えを守りぬきたいだけです」と仰ったそうです。それを聞いて、「私自身の信仰が問われている気がした」とその方は言われました。その通りだと思います。

 神は神殿を、私たちの宗教的な思い込みを破壊される。「自分だけが正しい」「自分には罪がない」という思いを打ち砕かれる。ならば、自分以外の宗教を端的に否定するという従来の一神教の伝統を超えて、他宗教の方々と共に働くことを通して、私たちの信仰を新たにする神の力に信頼したいと思います。

 

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