04:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。 05:家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。 06:妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。 07:わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。 08:イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。 09:彼らは、わたしの名を使って偽りの預言をしているからである。わたしは、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる。 10:主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。 11:わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。 12:そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。 13:わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、 14:わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
今日は、「敗戦記念日」です。私たちは、65年目の敗戦記念日を迎えています。
ところで歴史をふりかえろうとする時、私たちは「傲慢」にならないように注意すべきです。
「過去をふりかえり、何も反省することなしに、自分たちはこれだけのことを成し遂げた」とか、「自分たちの力で、これだけの進歩を遂げることができた」と考え始めると、私たちは傲慢になってしまいます。
日本は、戦後65年間、「平和に」歩み続けることができたと、主張する人たちがいます。確かに日本の領土内では、他国との軍事的衝突が起こるようなことはありませんでした。私たちは、そのことを神さまに感謝しなければならないと思います。しかし「自分たちの手で平和を維持することができたのだ」とか、「この道をそのまま歩めば、今後も平和を維持することができるのだ」と考えることは、傲慢で、とても危険なことだと思います 65年間うまくやってきたのだから、このまま75年目、あるいは100年目を今までどおり、平和のうちに迎えることができると考えることは、赦されないことだと思います。皆さんはどうお考えでしょうか。
私は、巨大な軍事基地のある沖縄で28年間を過ごしましたが、沖縄にいていつも感じたことは、「日本は平和から遠ざかりつつある」、「再びあやまちを繰り返そうとしている」ということでした。これは何も沖縄にいなくても感じられることなのかもしれません。皆さんも感じておられることなのではないでしょうか。
昨年、日本基督教団を含む日本のプロテスタント教会は、「日本プロテスタント宣教150年」を覚え、記念礼拝や行事を行いました。昨年から数えて150年前、今年から数えますと151年前の1859年に、長崎や神奈川に、聖公会、改革派教会、長老派教会などのプロテスタントの宣教師が上陸したことは、定説が覆されない限り、歴史的事実と考えてよいと思います。しかしそれよりも13年前の1846年に、当時「琉球」と呼ばれていた沖縄で、ベッテルハイムというプロテスタントの宣教師が宣教を開始し、その後の沖縄のプロテスタントの歴史に大きな影響を与えました。ベッテルハイムについては、いずれまたお話する機会があると思いますけれども、彼は、琉球を去った後に、アメリカに渡り、琉球や日本での宣教活動をサポートし続けましたから、日本の宣教にも大きな影響を与えたと考えることもできます。そのベッテルハイムをどう位置づけるのか、また「プロテスタントの諸教会が、特に明治以降の近代的国家の中でどのような役割を果たしたのか」、特に日本基督教団の場合は、「1941年の教団成立、1969年の沖縄キリスト教団との合同をどうとらえるのか‥‥」などを改めて問い直し、反省すべき点を反省し、改めるべき点を改めることが大切です。そういうことなしに、150年を記念したり、祝ったりすることは、愚かなことだと思います。
150年間うまくいったから、次の50年間もうまくいくだろう、また、200年目をめざしてがんばろう!と考えるのは、私はとても傲慢なことだと思います。私は、「戦争責任告白」に表明されている、「再びあやまちを繰り返さない」という強い決意を受け継ぐことなしに 200年はあり得ないとさえ考えています。
さて預言者エレミヤが登場した時代は、王国が南北に分裂していました。その時代に活動した指導者ら、つまり北王国イスラエルならびに南王国ユダの政治家や宗教家、特に南王国ユダの首都であるエルサレムにいた人々の中には、傲慢な思いをいだいたり、傲慢な態度をとる人たちが多かったと思われます。
王国は、それ以前には、戦争に敗北したことはありませんでした。その当時の人たちは、「自分たちは神さまに選ばれた選民である」という意識を持っていました。もしそうだとするなら、当然、神の民としてふさわしく歩んでいるかをたえず検証し、神さまの前に謙虚に歩まなければならないはずですが、そうはしませんでした。むしろ彼らは、傲慢になり、不正を犯しても、あるいは軍事大国、経済大国の道を歩もうとも、神さまが平和を維持してくださると考えていました。国民が重税に苦しみ、貧富の格差が広がろうとも、神さまは自分たちに味方し、生活を豊にしてくださると考えていました。
エレミヤは、当時の預言者から祭司に至るまで、指導的な立場にある人々が、「民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う」(8章11節)と警告しています。みずからの不正や罪をそのままにしておいて、みずからの過ちを反省することなしに、今までうまくいったから、これからもうまくいくに違いない、自分たちは今後も「平和」を維持することができるだろうと語る人たちに対して、エレミヤは、はっきりと「それは「平和」ではない!」、「すでに平和は存在していない!」と告げたのです。つまり預言者エレミヤは、自分たちが戦争に勝利をおさめることはないと、敗北すると、語りました。そしてその通りになりました。
さて、そのエレミヤが、当時のバビロンとの戦争に敗北し、エルサレムを追われ、バビロンに強制連行され、労働を課せられた人々に「手紙」を書きました。それがさきほどお読みしましたエレミヤ書の29章4節以下です。
29章の1節には、
「以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連行した長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である」
とあります。
手紙の最後の部分、つまり11節以下には、エルサレムの人たちがバビロンに連行されたのは、神さまが立てた計画であり、それは災いをもたらす計画ではなく、平和の計画であり、将来と希望を与えるものであるということが書かれています。神さまは決して人類を滅ぼそうとしているのではなく、人間を平和に満ちた交わりの中に招こうとしておられ、神の国を打ち立てようとしています。神さまは私たち人間に、希望と勇気をたえず与えてくださいます。しかし現在は、苦しみがあったり、悲しみがあったりするのです。今というこの時を、私たちはどのように生きたらよいのでしょうか。
エレミヤは二つの重要なことを手紙に書いています。ひとつは、5節以下にあるように、「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べ、家族とともに生活し、平和に生きる、ということです。その際に、エレミヤは、神さまの言葉として、こう伝えています。7節です。「あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」。
平安と訳されている言葉は、シャロームという言葉で、平和とも訳すことができます。でも戦争さえなければシャロームだということではありません。「一人ひとりのいのちが大切にされ」、「お互いに支え合ってともに生きられて」こそ、シャロームであり、飢餓や貧困がなくなり人々が安心して暮らせるようになってこそ、シャロームが実現します。
ここで注目すべきことは、歴史や文化が異なり、宗教も異なる「バビロンの町の平安を祈るように」と書かれていることです。昨日まで敵対し合い、戦争をしていた相手の国の人々の平和を求めるようにと主なる神さまが要求していることです。
自分たちをとりまく周辺の、その地域全体の平和があってこそ、自分たちも平和に暮らすことができるからです。
これは、「自国の平和があってこそ、周辺諸国の平和も守ることができる」とか、「自分たちが軍事的に勝利すれば、平和を維持し、その地域を平和にすることができる」という考えとは、まったく異なるものです。
エレミヤは、その手紙の中で、「自分たちだけの平和を求めようとする考え方、生き方」から抜け出し、「新しい発想で」平和の問題をとらえました。それはまさに「敗北」という苦い経験を味わう中で、神さまから与えられた認識でした。
重要なことは、たとえその相手が異教徒であろうとも、敵対し合っている相手に対して戦闘行為をやめて、「ともに歩もうとしなければ平和は訪れない」ということです。
主イエスは、「神は、善人にも、悪人にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる」と語られました。神さまは、自分の兄弟姉妹であれ、異邦人であれ、あらゆる人間にいのちを与え、支えてくださいます。その神さまのもとで、ともに愛をもって歩もうと努力しなければ、平和への一歩は始まりません。エレミヤの時代のバビロンの町で起こったことは、ほんの小さな一歩でした。
私たちは、「自分たちだけ平和に、安心して暮らしていけるようになればいい‥‥」と考えるのではなく、実際に、さまざまな国に囲まれ、私たちのそれぞれの生活の場においても、さまざまな人たち、キリスト者ではない多くの人たちに囲まれながら、自分だけ、自分たちだけ平和であればいいと考えるのではなく、「周囲にいる人たちが平和に暮らせるようになって、初めて私たち一人ひとりも安心して歩むことができるようになる」と考えるべきではないでしょうか。
敵対し合っている相手のために祈るとか、まして敵を愛するということは、現実には、考えれば考えるだけ難しいことのように思えます。
でも戦争は、勝利した側にも、敗北した側にも、大きな、とりかえしのつかない損失をもたらすことになります。たとえ戦争に勝とうとも、負けようとも、戦争をすること自体がすでに負けなのだという認識を持つべきだと思います。そしてそのためにも歴史に謙虚に学ぶ必要があります。
たとえ相手がバビロンの人間であっても、異教徒であっても、その人たちの平和を願いもとめ、ともに平和に生きる道をさぐるべきです。私たちは、仏教徒、イスラム教徒とも、あるはさらにほかの宗教の人たちとも、共に平和のために祈り、行動すべきだと思います。自分たちだけが平和になればいい、それ以外の人たちは滅んでも当然だというような狭い考えを抜け出すべきです。
しかしこのことは、もはやキリスト教はいらないとか、すべての宗教をひとつにしてしまえばいいということではありません。エレミヤはさきほどの手紙の続きの部分で、「あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない」と書いています。これが二つ目に重要なことです。
神さまのみを神さまとするという信仰は、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という十戒の第1戒の精神にもとづきます。十戒の精神は、ここでも貫かれています。エレミヤはほかの神に従っていいとは決して語っていません。私たちは、聖書の神さまに従うからこそ、その神さまがつくり、いのちを支えてくださるすべての人間の平和のために祈り、行動することができるのです。
主イエスは、「山上の説教」の中で、「狭い門」から入りなさいと言われました(マタイ7章13−14節)。「狭い門」から入り、主イエスに従って歩むからこそ、「私たちは、主イエスのようにさまざまな人たちのもとへと歩み寄り、顔と顔を合わせ、愛をもってともに歩むことが可能となるのです。主イエスに支えられてこそ、私たちは、自分の前にいる一人の人間を、主イエスがその人のためにも十字架にかかってくださった兄弟姉妹の一人として受け入れることができるのです。
傲慢にならずに、歴史に謙虚に学ぶ者となりましょう。自分たちだけの平和を祈り求めるのではなく、私たちの周囲にも具体的にさまざまな争いがあることを覚えながら、さまざまな人たちとともに歩むことができるようにと祈り、行動する者となりましょう。この「敗戦記念日」に、みずからの歩みをそれぞれふりかえり、「過ちを繰り返さない」ために、平和を実現するために、ともに祈り、ともに歩む者となりましょう。