受難節第4主日は「ラエターレ/喜べ」という名で呼ばれます。カトリック教会やルター派教会で、この主日のために用いられる式文が「喜べ」という言葉で始まるからです(イザヤ66,10-14を参照)。受難節は悔い改めの季節とされ、その間の日曜日には断食、じっさいには肉食を断つことが行われました。悔い改めを象徴する色は「紫色」です。他方、この第4主日は別名「薔薇の日曜日」とも呼ばれ、「ローザ色」に象徴されるように、喜びが主題です。悔い改めの季節にあって、いわば〈中休み〉のようなこの主日には、肉食が許されたそうです。
私たちの教会は、教会歴にちなんだ諸習慣をもはや持っていません。それでもこうした伝統をふりかえりつつ、パウロのテキストを手がかりに、教会にとって受難節を祝うとはどういうことなのかを、ごいっしょに考えたいと思います。教会は、キリストの受難と何の関係があるのでしょうか。受難節のさなかの「喜び」とは何でしょうか。
I
コリント教会は若い教会です。パウロは紀元50-52年頃、この町に滞在して教会を設立しました。その後彼は当地を去り、おそらく54年頃、エーゲ海を挟んで小アジア側にある都市エフェソで第一コリント書簡を書いています。コリント教会が、ようやく数年の歩みを経ようかという時期に当たります。
最初の部分(1-4節)で、パウロは「霊の人」と「肉の人」を区別します。そしてコリント教会の信徒たちに向かって、君たちは以前も今も「肉の人」のままだとたしなめるのです。一般的に「肉」に従って生きるとは、人間の被造物としての有限性を生きる根拠にすえること、他方「霊」によって歩むとは、そうした限定性を遥かに超える神の創造性に照準を合わせることです。君たちは神の力に信頼せず、人の有限性に頼って生きている。
このネガティヴな評価の根拠として、パウロはコリント教会に分裂があること――「私はパウロにつく」「私はアポロに」――、そしてそれにともなう「妬みや争い」があることを指摘します。これは神でなく人の権威に頼ったやり方、「人間的な仕方で歩む」ことではないのか。まさに「君たちは人間である」ことにならないか(両節を新共同訳聖書は「ただの人として歩んでいる」「ただの人にすぎない」と訳しますが、「ただの」は原文にありません)。
さらにパウロは、コリント教会の信徒たちを「乳飲み子」と呼びます。もともと「未成人」「幼子」という意味の言葉です。この表現は、古代の教育学で「初等教育」の段階にある者たちを指したそうです。「キリストとの関係では乳飲み子」(原文は「キリストにおける乳飲み子」)とは、キリスト教信仰の「初心者」を意味するのでしょう。
コリント教会の人々は「霊」に関する知恵を誇ろうとした形跡がありますので、これらの言葉は、彼らの宗教的なエリート志向に対して、創設者パウロが浴びせた〈冷や水〉なのだと思います。二千年ほど後の時代に生きる私たちは、ちゃんと「成人」して「霊の人」になっているでしょうか。もしかして相変らず、「どの指導者につくか」などと思ったりしていないでしょうか。もしそうであるなら、私たちも「未成人」であることになりかねません。
II
次の段落でパウロは、教会指導者と神、そして信徒たちの関係を「植物」ないし「農耕」の比喩で描きます(5-9節)。
指導者たちは「奉仕者」と呼ばれます。パウロもアポロも、「その人たちを通して君たちが信じ(るに至っ)た奉仕者たち」であると(5節――新共同訳は「あなたがたを信仰に導くために・・・仕えた者」と訳しますが、「導く」は原文にありません)。つまり彼らは、かなり単純に、人々が信仰者になるために神が用いる道具なのです。
なるほどパウロとアポロの間には、「植える者」つまり教会を創設する役割と、「水を注ぐ者」つまり持続的に指導する役割という機能上の区別があります。しかし「成長させる者」が一人の同じ神であることの方が、よっぽど重要だとパウロはいいます。パウロもアポロも、同じ神の働きを出現させるための二つの器官だからです。教会の指導者は、同じ神がその人たちを通して、信徒たちを成長させるための道具です。
だから私たちは神の「同労者」だ、とパウロは言います(9節)。この箇所は「神の」という表現がたいへん強調されています。そのまま訳せば、「なぜなら神の同労者なのだから私たちは。神の畑、神の建物なのだから君たちは」。
ちなみにアポロという人物は、エジプトのアレクサンドリア出身のユダヤ人キリスト者で、パウロとは無関係にクリスチャンになりました。そしてパウロとは無関係にコリントに来て活動しましたが、後にパウロの活動拠点であったエフェソに移動し、パウロの支援者であったプリスキラとアキラ夫妻の「家の教会」に迎え入れられたようです(使徒言行録18,24以下参照)。――つまり「同労者」という表現はたんなる抽象概念ではなく、共同の支援体制の中にじっさいに受け入れることを含んでいます。
III
「神の建物」という表現につなげてパウロは、今度は「建物/家」の比喩を用いて、コリント教会および後継伝道者の働きを記述します。そして、そこに最後の審判の主題が現れます(10-15節)。
再びパウロは、教会創設者である自分と後継指導者を区別します。すなわち自分を「知恵ある建築家」にたとえて、教会設立の行為を「土台を据える」ことと表現し、後継者による指導を「その上に(家を)建てる」と言います。そして「土台」とは、イエス・キリスト以外ではありえないと。要するに、後継者は土台であるキリストにふさわしく教会形成をすべきだと言いたいのでしょう。ちょっと偉そうな言い方ではあります。
興味深いのは、家の素材として「金、銀、宝石、木、草、わら」があげられることです。これらは、共同体形成の質に関わるメタファーです。じっさいに金・銀・宝石を建材に用いる人を、私は知りません。日本の伝統家屋は、それこそ木や草やわら(そして土)で建てられました。地中海世界の代表的な建材は石と木です。草で葺いた屋根もありました。それにもかかわらず、ここで貴金属が名指されるのは、最後の審判における「火」の精錬という連想が、最初から働いているからなのでしょう。つまり「木」「草」「わら」は、最後の審判で消し飛んでしまうような、お粗末な教会形成を指しています。
コリント教会に限ればパウロはなるほど創設者であり、たしかに「土台」を据えたと言えるかもしれません。しかし彼自身が「土台はキリストだ」という以上、パウロもまた、キリストという土台の「上に建てた」者たちの一人と見てよいと思います。いったいどの建物が、「火」の審判にさいして「燃え尽きる」ことなく、その土台の上に残るのでしょうか。――これはすべてのキリスト教会が、したがって私たちの教会も問われていることです。受難節における悔い改めとは、私たちが自らの歩みを謙虚に省みることを含んでいます。
しかしいったいどうすれば、「金」「銀」「宝石」による教会形成をすることができるのでしょう・・・。
IV
最後の段落でパウロは、「建築」の比喩につなげて、コリント教会の人々を「神の神殿」になぞらえます(16-17節)。「あなた方は自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」。
冒頭の「肉の人」「乳飲み子」云々というネガティヴな評価とはうって変わって、これはたいへんに高い評価です。ユダヤ教で「神の神殿」と言えば、エルサレムのヤハウェ聖所、より正確には聖域の中心に建っていた神殿本体、つまり最も聖なる場所のことです。そして神殿には、神の霊が宿ると信じられていました。パウロはユダヤ戦争より前の時代に生きていますので、ヤハウェ神殿はまだ現存しています。その神殿をさしおいて、異教都市コリントにあるキリスト教会を、彼は「神の霊が宿る神殿」と呼ぶことができました。
そもそもこの時代の教会には、礼拝堂などの建造物はまだありません。コリントにも、いくつかの小さな「家の教会」の連合体があっただけです。ですから「神の神殿」とは共同体であって、建造物ではありません。その「土台」であるイエス・キリストは霊的な存在であって、お店にいけば手に入るような建材ではありません。そうした土台にふさわしい建築のあり方は、キリストへの信仰における一致に基づいて、またその一致を目指して歩むことなのでしょう。でもそれは、具体的にはどういうことなのでしょうか。
パウロは、「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです」と言います。この発言の基底には、「聖なるもの」を壊す者は罰を受けるというアルカイックな観念があるようです。しかし「神の神殿を壊す」という大胆な表現に注目しましょう。つまりこの共同体の聖性は、ダイヤモンドのように硬質で傷をよせつけないものでなく、柔らかくてとても傷つき易いものなのです。私たちもまた、キリストにおける一致を目指すとき、傷を受けることがありえます。
もとより受難節の記憶は、生前のイエスが十字架刑に処せられたこと、つまり志半ばにして、あたかも「燃え尽きて」しまうかのごとくに挫折したという物語と結合しています。「わが神、わが神、なぜあなたは私をお見捨てになったのですか」(マルコ福音書15,34)。神を体現して生きたイエスですら、最後は自分の真価について神に問いかけつつ死んでいった。――イエスですらそうだったのですから、私たちの教会の歩みの真価がいかほどのものであるか、正直言って「分かりません」としか言いようがありません。しかし受難節の記憶は同時に、そのように死んだイエスが、あたかも「火の中をくぐり抜けて来た」かのように、神によって死者たちの中から起こされたとも物語ります。大いなる挫折を経験したイエスに、大いなる恵みを神は与えた。――このことに私たちは希望をおき、神による来るべき火の試練に安んじて身を委ねたいと思います。
V
その上で、教会の歩みがどのようなものであるべきかを、もう一度問いましょう。
先月末までの18日間、私は学生たちのスタディ・ツアーを引率して、再びインドに行きました。旅の中で学生たちは、私たちのホストであるキリスト教系NGOの主催者と、たくさん対話しました。そのひとつをご紹介します。
ある学生がこう問いました。「キリスト教徒でない人たちを含む社会的弱者をあなたが支援するのは、あなたが信じる神さまのためですか、それともその人たち自身のためなのでしょうか」。――これは、あなたのキリスト教信仰と他宗教はどのような内的な関係にあるのか、という問いかけです。インドは多宗教社会ですが、マジョリティーはヒンドゥー教です。
この問いに彼は、マザー・テレサの言葉を引用して、およそ次のように答えました。「君にはちょっと信じがたいかもしれないが、私はクリスチャンとして、すべての人間は神さまの子どもだと思っている。マザー・テレサもそう信じた。そして彼女は宗教の別なく、最も貧しい人たちと共に生きた。その彼女を支えたのが、〈私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである〉(マタイ福音書25,40)という審判者キリストの言葉だったと聞いている。つまりキリストご自身が、キリスト教徒とそうでない人間を区別しない。そして〈最も小さい者たち〉は私の目の前にいる。そうした人たちがちょっぴり幸せになることが、私の大きな喜びなんです」。――人間の有限性を超える神の力の現れであるキリストを「土台」とした教会形成がどのようなものであるべきか、私たちがどちらに向かって悔い改め、何を喜ぶことができるかについて、大切なヒントがここにあるように感じます。