2009.3.8

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「この世のやり方への異議申し立て」

村上 伸

歴代誌下36,11-16;マルコ福音書12,1-12

ぶどう園の管理を委ねられた農夫たちは、主人が収穫を受け取るために派遣した僕たちを次々に袋叩きにしたり、頭を殴って侮辱したり、殺したりした。それだけではなく、最後に遣わされた主人の愛する息子を、ぶどう園の乗っ取りを企んで殺したという。これが今日の譬え話である。

この「農夫たち」とは誰のことか? 差し当たりはイエスを殺したイスラエルの指導者たち、すなわち、祭司長・律法学者・長老たちのことであろう。12節に、「彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいた」とあることからも、それは明らかだ。

だが、この言葉が当てはまるのは、イエスの時代の祭司長・律法学者・長老たちだけではない。旧約聖書を読むと、いつの時代にもそのような人々がいたことが分かる。イザヤ書5章「ぶどう畑の歌」を思い起こす。神が肥沃な丘のぶどう畑を「よく耕して石を除き、良いぶどうを植え・・・良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった」(1-2節)。ここで預言者イザヤは、ある特定の指導者の不実をなじっているのではない。イスラエル民族全体が神の期待に背き、与えられた使命を裏切って来たことを嘆いているのである。

今日の旧約聖書・歴代誌下36章15節に、「主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した」と言われているのも、同じ趣旨である。

マタイ福音書23章では、イエスも同じことを語っている。彼はここで律法学者とファリサイ派の人々を批判しているのだが、その批判は特定の個人にというよりは、イスラエルの歴史の総体に向けられている。「わたし(=神)は預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へ追い回して迫害する。こうして、正しい人アベルの血からあなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる」(34-35節)。正しい人の血を流す! これがイスラエルの歴史であり、その頂点がイエス自身の十字架であった。

しかし、ここで我々は、イスラエル民族だけが特別にそういうことをした、というのではなく、それはこの世の姿でもあったということを忘れてはならない。中世以来、キリスト教会の中には「ユダヤ人はキリストを殺し・神を殺した極悪民族である」とか、「ユダヤ人は品性劣悪な守銭奴である」などということを殊更に強調して、ユダヤ人への憎悪を煽る風潮がはびこった。このようにして何世紀もの間煽られてきた「反ユダヤ主義」の素地があったからこそ、「ホロコースト」のような恐ろしいことも起こったのである。ヒトラーが「ユダヤ人こそは諸悪の根源だ」と叫んでその絶滅を図ったとき、人々がさしたる抵抗もなくそれを受け入れたのは、そのためである

だが、これは重大な間違いだった。1980年、ドイツの「ラインラント州教会」はこの罪責を認め、「教会はホロコーストに対して責任がある」と告白した。以来、ユダヤ教とキリスト教との間に相互理解と和解の動きが始まったのはせめてもの慰めだ。

ユダヤ人の中には、律法学者やファリサイ派の人々のように律法本来の精神を履き違え、結果として神に背いた人々もいたが、預言者たちのように神に忠実に、律法の本来の精神に従って生きた人々も沢山いた。イエスご自身もユダヤ人であった。「ユダヤ人は本来邪悪で劣等な種族である」などということは、根拠のない偏見に過ぎない。預言者やイエスやパウロがイスラエル民族を厳しく批判したのは、ファリサイ派的な過ちを防ぐためであって、「反ユダヤ主義」という偏見を吹き込むためではない。

 

もう一つの点を指摘しておきたい。

農夫たちは「息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった」(8節)。これに対してぶどう園の主人は、「戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与える」(9節)と言われている。その意味は、「この世界は主イエスを殺すようなことをする」ということであり、そして、そのような世界に対しては「神の裁きがある」ということであろう。

新共同訳は、息子を殺したというのと同じ日本語を使って、主人は農夫たちを殺すと訳したが、もとのギリシャ語は違う。主人は息子を殺した農夫たちに報いるが、そのやり方は農夫たちとは全く違うのである。「滅ぼしてしまう」(佐藤研)、あるいは「打ちのめす」(本田哲郎)と訳した方がよいかもしれない。

神はこの世の心ない人々に報いられるが、彼らと同じ方法は決して取らない。神は人間の不義を裁かれるが、イエスを無残にも殺したようなこの世とは全く別のやり方でそれをなし給う。神は、正しくない考え方・不正なシステムを「滅ぼし」・「打ちのめす」が、それは人間性を踏みにじるためではなく、回復するためなのである。この世のやり方に対して異議申し立てをすることは、神の御心に適っている。

昨夜、サラ・ロイ『ホロコーストとともに生きる――ホロコースト・サヴァイヴァーの子供の旅路』という文章を読んだ。彼女の両親はユダヤ系ポーランド人でホロコーストの生き残りだ。その苦しみを知らされた彼女は、いかなる意味でもナチス・ドイツのやり方を認めることが出来ない。だから、イスラエルが今もパレスチナ人に苦しみを押し付けているやり方に対して、「それは違う」と異議申し立てをせずにいられない。そのことに我々も共感するのである。



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