2008.4.20

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「小羊の歌」

村上 伸

出エジプト記15,1-5;ヨハネ黙示録15,2-4

 『ヨハネ黙示録』が書かれたのは、ローマ皇帝ドミティアーヌスの頃(在位81〜96年)と言われている。それは、キリスト教徒に対する激しい迫害があり、小アジアの教会指導者であったヨハネ自身もパトモス島に囚われの身となるという、全く先の見えない不安な時代であった。そのような状況の中で、ヨハネは、「世界はどうなるのか? 歴史はどこに向かうのか?」と問い、その末に「新しい天と新しい地」が来るという希望を天から示されたのであった。「黙示」とは、「隠されている意味を明らかにする」ということだが、彼はその点から歴史の隠された意味を明らかにしたのである。

 2節「わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た」とある。これは一種の暗号で、解読を必要とする。佐竹明さんによると、「ガラスの海」というのは、モーセの「紅海の奇跡」と関係があるという。「火が混じった」というのは稲妻がきらめいたときの様子を指すらしい。実際に『出エジプト記』を読んでみよう。

 モーセが生まれた頃、イスラエル民族はエジプトの絶対君主(ファラオ)のもとで奴隷であった。主なる神ヤハウエによって使命を自覚したモーセは、神から与えられた力を発揮してこの民族を奴隷の地から解放し、エジプトを脱出する。約束された土地を目指して40年の荒れ野の旅を始めるが、やっと紅海のほとりまで来たときエジプトの軍勢が追いかけて来る。前は海だ。「絶体絶命」である。

 その時、海の上には「真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた」(出エジプト記14章20節)という。ヨハネが「火が混じったガラスの海」と言ったのは、このことを暗示しているらしい。そして、「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた」(同21節)。こうして奇跡的に海の中に道が開かれ、その道を通ってイスラエル民族は危機を脱したのであった。この紅海の奇跡は「民族の記憶」として長く子孫に語り伝えられた。それをヨハネはここでもう一度思い起こさせたのである。

 目の前には絶望的に海が広がり、闇夜を稲妻の光が切り裂いていたその夜、つまりヨハネが言う「火が混じったガラスの海」のほとりで起こったのは何だったのか? 後ろからはファラオの精強な軍団が迫り、前にはどんな人でも呑み込んでしまう海がある。誰もが「もう駄目だ」と諦めかけたとき、思いもかけず神が道を開かれた。そしてその道は、遥かに約束の土地に向かって続いていた。この「民族の記憶」を、ヨハネは紀元1世紀末の困難な状況にいたキリスト者たちの心に新たに呼び起こしたのだ。

 彼は続けて、「さらに、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た」と言うが、この暗号にも深い意味がある。「獣」とは、13章1節以下にあるように、絶大な権力をもって悪を行う国家(ローマ)のことである。「その像」とは、皇帝礼拝の対象として神格化された支配者の像であろう。そして「その名の数字」も、暴虐な支配者を意味する。ローマ帝国の暴君ネロは、666という数字で表された(13章18節)。

 だが、主イエスを信じて生きる者は絶望しない。たとえ悪の力がどんなに強くても、歴史は神の支配のもとにあり、最終的な勝利に向かって進んでいると信じるからである。彼らは神の竪琴を手にしてその海の岸に立ち、「神の僕モーセの歌」「小羊(主イエス・キリスト)の歌」(3節)を歌う。これは勝利の歌だ(3-4節)。

 私は、2003年4月6日に、このテキストで説教をしたことがある。イラク戦争が始まった直後であった。私はその説教の中で、この戦争に対し、特に、「アメリカの平和」(Pax americana)という思想に対して疑問を呈し、こう述べた。

 「これによって得られる平和は、真のシャロームであろうか? … 米国はこの戦争には間違いなく勝つだろうが、問題は内にこもるだろう。 … 反米の傾向が世界中に広がり、深く根を張り、その結果テロは根絶されるどころか、陰湿な形でますます増えるだろう。世界はどうなるのか? 誰もが不安を感じないわけにはいかない」。

 私は、このような不安を、黙示録の著者ヨハネと共有しながら説教したのだが、その3日後、4月9日には、米英軍はバグダッドを制圧した。民衆がフセイン前大統領の銅像を引きずり倒すという象徴的は映像が世界に配信された。同じ日、米英軍はイラクにおける制空権を完全に握ったと発表している。軍事作戦に限って言うならば、それはヒトラーの「電撃作戦」にも比べられるような「成功」であった。得意満面のブッシュ大統領は、5月1日、誇らかに戦争終結を宣言した。

 だが、この軍事的な成功にもかかわらず、「我々の世界は、一体、どうなるのか?」という不安はなくならなかった。むしろ増大した。そして5年後の今日、この不安は原子爆弾による巨大なキノコ雲のように全世界を覆っている。テロが世界中に拡散しただけではない。兵器生産で大儲けする人がいる傍らで、「サブプライムローン」の破綻に象徴されるような経済の矛盾が露わになり、貧富の格差は拡大し、社会不安は深まっている。まだ健康な国々が少しはあるが、それらの国々を除けば、全世界はまるでブレーキが利かなくなった車のようだ。石油や穀物の価格がかつてなかったほどの勢いで暴騰し、歯止めがかからない。特に我が国では、年金や医療にもしわ寄せが来ている。食料品をはじめ、あらゆる物の値上げが続く。不安は止まらない。

 この中で、我々は今日、『ヨハネ黙示録』15章を読んでいるのである。我々はここからどのようなメッセージを受け取るか? 「あなたの正しい裁きが、明らかになる」(4節)という終末の希望以外にはない。


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