2003・4・6

「驚くべきしるし」

村上 伸

ダニエル書 7,9−10; ヨハネ黙示録 15,1−8

 ヨハネは「天に一つの驚くべきしるしを見た」(1)という。黙示文学においては、やがて地上に起こるべきことの「しるし」(前兆)が、先ず天に現れる。この「しるし」を指し示して人々の注意を促し、その意味を解明するのが、旧約の預言者たちであり、主イエスご自身であり、ここではヨハネなのだ。そして、今の時代においては、教会がその役割を果たさねばならない。

 ところで、これまでも度々指摘したように、紀元1世紀末のキリスト教徒たちにとっては、「世界史の行く先はどうなるか」ということが深刻な問題であった。当時のローマ帝国は政治的にも、経済的・軍事的にも絶大な力を持っていて、それに対抗できる勢力は地上のどこにもなかった。だから、帝国による理不尽なキリスト教迫害も止めようがなく、キリスト教徒たちの心は、「これから先、世界は、教会は、そして私たちはどうなるのだろうか?」という、先の見えない不安で一杯だった。

 それと全く同じではないが、似たような不安が今の世界にもある。冷戦後、アメリカが唯一の超大国として事実上「一極支配」を押し進めているが、これは世界の諸問題を望ましい方向で解決するというよりも、むしろ不安を呼び起こしている。

 当時のローマは、自分たちの圧倒的な力によって世界の平和は守られていると誇り、「ローマの平和」(Pax romana)と称していたが、この「平和」は、実は敵対する勢力を無理やり抑えつけた状態に過ぎなかった。その結果、不満ははけ口を失い、内にわだかまって残った。これは、聖書の言う平和(シャローム)とは違う。すべてのものが真に和らぎ、争わず傷つけず、愛し合って共に生きるという本当のシャロームではなかったのである。

 今の状況は、これとよく似ている。国連を無視してイラクに戦争を仕掛けた背後には、「ローマの平和」とそっくりの「アメリカの平和」(Pax americana)という考え方がある。圧倒的に強いアメリカの経済力・軍事力こそが世界に秩序をもたらし、平和を守るという思想である。世界の世論の70%以上がこの戦争に反対しているのにブッシュ大統領が耳を貸そうとしないのは、この使命感に凝り固まっているからだ。だが、これによって得られる「平和」は、果たして真の「シャローム」であろうか? 表面上の平和に過ぎないのではないか。

 米国はイラクとの戦争には間違いなく勝つだろうが、問題は内攻するだろう。既にアラブ世界にその兆しが現れているように、このまま行けば反米の傾向が世界中に広がり、深く根を張り、その結果テロは根絶されるどころか、陰湿な形で益々増えるだろう。世界はどうなるのか? 誰もが不安を感じないわけには行かない。

 ヨハネにも似たような不安があり、その中で彼は、天に大きな驚くべきしるしを見たのである。世界の行く末についての「しるし」が天に現れた。それは1節後半にあるように、差し当たりは「災い」「神の怒り」である。今のバグダットの悲惨な状況を連想する人も多いかもしれない。しかし、天に現れた「しるし」は、災いと神の怒りだけではなかった。

 ヨハネの目には「火が混じったガラスの海のようなもの」が見えた。佐竹明氏によると、「ガラスの海」とはもともと「蒼穹」のことであり、「火が混じった」というのは稲妻がきらめく様子を示しているそうだが、ここでは要するに、あの「紅海」の奇跡を暗示しているという。

出エジプト記14章19節以下に生き生きと描写されているように、モーセによってエジプトの奴隷という境遇から解放されたイスラエル民族は、「葦の海」(紅海)のほとりでエジプトの軍勢に追いつめられた。目の前は行く手を阻む海であり、もはや絶体絶命かと思われた。そのとき、奇跡が起こる。‐‐‐

 同じように先が見えない絶望的な状態の中で、ヨハネは紅海の奇跡を思い起こしているのである。それが、「火が混じったガラスの海のようなものを見た」という言葉の意味なのだ。奴隷であったイスラエル民族。何の力も持たない弱小な流浪の民。しかし、彼らはエジプトの絶対君主ファラオの強大な軍勢にも破れなかったではないか!

 これに続けてヨハネは、「獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た」(2)と書いている。「獣」とは、13章に出てきたように、絶大な権力をもって悪を行う国家のことであり、「その像」とは神格化された絶対君主のことであり、そして「その名の数字」とは、「666」が暴君ネロを示す数字であったように、暴虐な支配者のことである。「泣く子と地頭には勝たれぬ」と昔の人が言ったように、「絶対的な権力者にはとても勝てない」というのが世の常識というものだが、ヨハネはここで、「それによっても滅ぼされない者たちがいる」と語る。これが真実ではないか。

 この者たちは、紅海のほとりに立って救われた感謝を歌った人々のように、「神の僕モーセの歌」を歌う。そして、それは「小羊(キリスト)の歌」でもある。3-4節 ヨハネが見たのは、このような「天に現れたしるし」であった。

 どんなに世界は暗くても、遂には神の支配が完成される。その「しるし」が、既に天には現れている! このことを我々も信じたい。



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