2008.1.6

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「主イエスの命とわたしたちの命」

村上 伸

アモス書5,14-15;ヨハネ14,15-24

 一年最初の礼拝に当たり、心から皆さんに新年のご挨拶を申し上げたい。

 今年の正月は、皆さんもご存知のアンネリーゼ・カミンスキーさんから贈られた自叙伝『満たされた人生』(2007年)を読んで過ごした。胸を打たれ、また、考えさせられるところが多くあったので、先ずそのことを話したい。

 この自叙伝によって彼女のこれまでの人生を紹介すると、彼女は1936年にナチス支配下のベルリンで生まれた。間もなく第二次世界大戦が始まり、1942年には父親が軍に召集されて東部戦線に送られる。ベルリンの空襲も激しくなり、一家は近郊の町に疎開したが、その町も敗戦の直前に米軍の猛烈な空襲で焼かれるなど、幼い頃に戦争の惨禍を体験した。敗戦後、東独は旧ソ連の支配下に入り、彼女は10代から20代にかけての多感な時期を全体主義的な体制の中で生きることになった。しかし、彼女はその中でもキリスト教信仰に立って、凛とした姿勢を崩さなかった。後に才能を認められて月刊の神学雑誌『時の徴』の編集主任に抜擢され、東独の教会のために重要な役割を果たすようになったが、その傍ら世界の諸教会と交流する機会に恵まれた。1989年に社会主義政権の崩壊と東西ドイツ再統一という歴史的激動を経験してからしばらくは、他の東独の人たちと同じように不安定な生活を送っていたが、やがてその経験や見識が認められて、1997年に東独出身の女性としては初めてベルリン=ブランデンブルク州教会の総会議長に選出され、3年前までこの要職にあった。「波乱万丈」の半生と言うべきだろう。

 この本の副題は「狭さと広さの間での体験」である。「狭さ」とは、東独時代に経験した困難のことであろう。彼女はキリスト教信仰を公に告白したために東ベルリンでは上級学校に進むことを認められなかった。これは「狭さ」の一例だ。ただ、当時はまだ西ベルリンの高校に通うことが出来たし、西側の大学に進むことも可能だったので、彼女はその道を歩み始めたのだが、1961年8月13日の深夜に突然構築された「ベルリンの壁」は、その道を途中で塞いでしまった。

 それでも、彼女は決して希望を捨てず、信仰をもって明るく生きていた。そして、こうした「狭さ」が思いがけなく「広さ」に通じるものだということを経験したのである。例えば東独の教会には、「壁」で大いに妨げられたとはいえ、西側の諸教会との交流の道はまだ残っていた。時々、西側からの来客がある。すると、語学の達者な彼女はその度に通訳を頼まれる。その結果、彼女は世界の多くの教会指導者の知遇を受けるようになった。東独の信徒としては極めて異例である。

 鈴木正久牧師との出会いも、そのようにして起こった。彼は、日本基督教団とドイツ教会との間の交流に道筋をつけるために、1961年から1年間ベルリンに滞在したのだが、その間、説教や講演の通訳・ドイツ語原稿を書く手伝いなど、多くの面で鈴木牧師の仕事を助ける内に、彼女は鈴木牧師を「心の父」として心から尊敬するようになった。だから、鈴木伶子さんは「日本の妹」だとカミンスキーさんは言う。

 だが、私は今日、なぜこの本のことを語るのか? それには理由がある。

 彼女はこの自叙伝の最後に、鈴木牧師が1961年の9月にベルリンで行った説教をそのまま収録している。説教のテキストは、偶然にも今年の年間標語と同じで、「わたしが生きているので、あなた方も生きることになる」(ヨハネ福音書14章19節)であった。私は、新年礼拝ではその年の年間標語について説教することにしているが、その私にとって、これは単なる偶然とは思われなかった。

 カミンスキーさんによると、鈴木牧師はこの説教を「壁」が構築された直後のベルリンの異様な緊張の中で語ったという。彼は、次のように語り始める。「今日、我々は、人類は、一つの壁の前に立っている。特にこのベルリンではそうである。それは、死の壁である」。そして、「死の壁」のもう一つの実例として、戦争中の日本で彼自身が体験したことを語った後、こう述べている。「今こそ、我々は主が語り給うた言葉、すなわち『わたしが生きているので、あなた方も生きることになる』という言葉に聞かなければならない」

 さらに言葉を継いで彼はこう語った。「主は、ご自分が永遠に生きていると言っているだけでない。死を、十字架上の彼の死を克服すると言っているのである。イエス・キリストの十字架は、実に死の壁であった。だが、我々は知っている。我々の主イエス・キリストは十字架の死を克服されたということを。そして復活の力によって今も生きておられるということを」

 これらの言葉は、「壁」の直後、落ち込んでいた東ベルリンのキリスト者たちに大きな勇気を与えた。この説教は「大きな市民的勇気の一つの徴であった」とカミンスキーさんは言う。だから、彼女はこの本に収録するまで大切に保存しておいたのだ。

 つまり、今年の年間標語の意味は、既に1961年に、鈴木牧師によって正確に捉えられていたのである。そして、それは2008年の現在にも当てはまる。「ベルリンの壁」は今から19年前に既に崩壊し、今日では跡形もない。だが、人間性を破壊する「死の壁」は世界の至る所に新たに造られている。事実、パレスチナでは「ベルリンの壁」よりもさらに長大で強固な壁が築かれた。それだけではない。アフガニスタンでもイラクでも、パキスタンでもスーダンでも、目には見えない「死の壁」が日ごとに構築されている。それは「敵意という隔ての壁」(エフェソ2章14節)である。

 だが、その中で私たちは「十字架によって敵意を滅ぼされた」(エフェソ2章16節)主イエスの落ち着いた声を聞く。「わたしが生きているので、あなた方も生きることになる」。今年、私たちは、この約束によって「死の壁」を克服したいと願ってやまない。



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