待降節第3主日 2007.12.16

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「来るべき方」

村上 伸

ゼカリヤ書9,9-10;マタイ11,2-6

 洗礼者ヨハネは、この時、「牢の中」(2節)にいた。その事情は、少し後のマタイ14章に明らかである。「実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕えて縛り、牢に入れていた。ヨハネが、『あの女と結婚することは律法で許されていない』とヘロデに言ったからである」(14,3-4)。

 ここで「ヘロデ」と言われているのは、イエスが誕生した頃にユダヤを支配していたヘロデ大王のことではない。その息子ヘロデ・アンティパスである。彼は、B.C.4年からA.D.39年までガリラヤの領主であった。「兄弟フィリポ」(14,3)とあるのはマタイの勘違いであって、正確には彼の腹違いの兄弟ヘロデ・ボエートスであることが分かっている。アンティパスは、ボエートスがまだ生きている間にその妻ヘロディアと結婚した。兄弟が続けて同一の女性を妻としたことになる。こういうことはモーセ律法によって固く禁じられていた。「兄弟の妻を犯してはならない。兄弟を辱めることになるからである」(レビ記18,16)。

 そこで洗礼者ヨハネは、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とアンティパスを諌めたのである。これがアンティパスの怒りを買った。ヨセフスの『ユダヤ古代誌』によると、そのためにヨハネは死海東岸のマルケス要塞の牢に幽閉された。やがて、宴会の座興のように首を切られた。これは良く知られている通りである。

 ところで、「牢」というのはどんな所だろうか。

 現代の文明社会では、「刑務所」は「教育刑論」に基づいて運営されているので、受刑者がそれ程ひどく扱われることはない。少なくとも、それが「たてまえ」である。スウェーデンなどの刑務所は暖房完備の快適な施設で、一般市民が「入りたく」なる程だという。場合によっては、妻子と会うことも認められているらしい。

 しかし、古代社会においては、絶対的な権力を持つ王(領主)が人民の生死を恣意的に決定したから、権力者の不興を買った者は牢に閉じ込められ、拘留期間も知らされずに当てもない月日を獄房で過ごさねばならなかった。自白を強要するために拷問されたり、ろくに弁明の機会も与えられないままに首を切られたりすることも珍しくなかった。牢獄は「自由」や「人権」とは全く無縁の場所だったのである。

 ヒトラー支配下のドイツの刑務所は、ややそれに近かったかもしれない。むろん、ナチス・ドイツも一応「法治国家」である。だが、その「法」そのものがヒトラーの意志に従って作られたのだから、牢獄の状況は大よそ察せられよう。ボンヘッファーがテーゲルの軍刑務所に投獄されてから1年目に書いた「報告」にはこうある。

 「・・・最初の夜は新入り用の獄に閉じ込められた。木の寝台の上の毛布は、まるで野獣の匂いのようにひどく臭く、いくら寒くてもそれで身を覆うことはとてもできなかった。次の朝、一切れのパンが房の中の私に投げ込まれた。コーヒーは、四分の一がカスであった。最初に外から私の房内に飛び込んできたのは、未決囚を罵る役人のあの野卑な声で、これはそれ以来毎日、朝から晩まで聞こえてくる。・・・[我々は]ごろつきなどと呼ばれた。・・・最初の夜は、ほとんど眠れなかった。隣の房の囚人が何時間も続けて大声で泣いたためだ」(『獄中書簡集』、292頁以下)。

 自由も人格の尊厳もプライドも奪われ、しかも、これから先どうなるかという情報も与えられない。そのような状況の中に置かれた時、大の大人でさえ「何時間も続けて大声で泣く」ということが起こったのである。

 洗礼者ヨハネは剛毅な預言者であった。しかも、イエスこそ「聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける方」(3,11)だと人々に教えていたように、イエスが「来るべきメシアである」と信じていた人である。このような人物が、弟子たちを遣わして「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(11,3)と訊ねさせたという。ヨハネがいくら剛毅な預言者であるといっても、牢獄内の精神的・肉体的な緊張によって動揺したのではないだろうか?

 それに対してイエスは答えた。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らせられている。わたしにつまずかない人は幸いである」(11,4-6)。

 ここに列挙されていることの多くは、イエスが実際に行った業として福音書に記されている。イエスは、これらを自らのメシア性を証拠立てる事実として示したのだろうか? そうとも考えられる。当時、多くの自称「メシアたち」は、自己の偉大な力を誇示することによって民衆を惹きつけようとしていたのだから。

 しかし、私には、イエスがそのような「自己顕示欲」に駆られるような方であったとは思えない。むしろ彼は、注解者たちが指摘しているように、ここでは預言者イザヤが神の永遠の約束として度々語った言葉を引用したのではなかったか。

 「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒地に川が流れる」(イザヤ35,4-6)。これはやがて必ず救いが来るという神の約束である。さらに、「主であるわたしはあなたを立てた・・・見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」(イザヤ42,6-7)。あるいは、イザヤ61,1-3

 この神の約束は永遠に真実だ。決して反故にはならない。この真理! それを証しすることに自分の生涯(十字架と復活)の意味がある、とイエスは確言したのではないか。



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