聖書が「時」という場合、その意味には二通りある。一つは、普通に10時半とか午後3時とかいう「時刻」や1時間とか3時間という「時間」、つまり「時の長さ」である。ギリシャ語では「クロノス」という。「人が生きている間」(ローマ7章1節)などというのは、それに当たる。
もう一つは「カイロス」である。これは「決定的に重要な時」を意味する。例えば、主イエスが、「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1章15節)と言われたとき、そこで考えられていた「時」は「カイロス」であった。のんびりと時間が流れて、自然に「なるようになる」というのではない。神が備えられた時が、今や充満した! 今こそ、「悔い改めて福音を信じる」決断をするべき時である ―― そのような「時」、決定的に重要な「カイロス」が来た、と彼は言われたのである。
さて、今日の箇所でパウロは、「あなたがたは今がどんな時であるかを知っている」(11節)と言っている。今はどんな時か? あなたがたはそれを知っているはずだ。今は、「あなたがたが眠りから覚めるべき時」なのだ。新しい一歩を踏み出す時。あなたがたにとって決定的に重要な「カイロス」。それががもう来ている、というのである。
第4世紀の優れたキリスト教指導者アウグスティーヌスが『告白録』に書いていることを思い起こす。彼は若い頃、思想的にも実際生活の面でも、さんざん迷った人であった。母親は信仰深いひとであったが、彼女にとってこの息子は心配の種であって、彼のために涙を流して祈るのが常であったという。
ある日、彼が街を歩いていると、「取りて読め、取りて読め」という子どもたちの歌声が聞こえてきた。彼は直ぐ家に帰り、机の上にあった聖書を「取って読み」始めた。開けた所は、ローマ書13章の今日の箇所であった。「あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ている」。彼は、雷に打たれたようになり、長い間の眠りから覚めて新しく生き始める。彼にとって、正に「カイロス」が来たのである。
さて、パウロはこの言葉に続けて、さらに慰めに満ちた真理を語る。「夜は更け、日は近づいた」(12節)。夜が更けて、闇が最も深まったと思われるその瞬間に、東の空が白み始める。神がお造りになったこの世界には、そのように不思議な転換がある。暗さが極まったと思われるそのどん底に、光が勝利し始める時(カイロス)が来る。我々は、このことを知らねばならない。
後で我々は讃美歌243番を歌うが、これはドイツの優れた詩人ヨッヘン・クレッパーが書いた詩に基づいている。クレッパーは、待降節にその詩心を最も生き生きと働かせた。そのために彼は「アドヴェントの詩人」と呼ばれた。多くの詩や小説を書いたが、その中でも代表的なものがこれである。
この詩は1937年に書かれた。1937年といえば、ドイツではナチスの暴力的な支配がいよいよ強まり、ヒトラーが得意の絶頂に達しようとしていた頃である。「告白教会」による抵抗は、有力な指導者マルチン・ニーメラー牧師がこの年にダハウの強制収容所に投獄されたことによって挫折した。日増しに悪しき権力の横暴は強くなり、良心の声は抑えられて、時代は暗くなる一方であった。
この暗さの中で、彼は待降節第1主日を迎えた。『ローズンゲン』を開くと、この日の聖句はローマ書13章11-12節であった。彼の詩心は強く刺激された。いくつかの習作を書いた後、言葉は磨きぬかれて、12月18日に詩が完成した。
第1節を直訳してみよう。
「夜は更けた。日はもはや遠くはない。だから今、明けの明星に向かって讃美の歌を歌え。夜通し泣いた者も、喜ばしく声を合わせよ。明けの明星はあなたの心配や苦痛をも照らしている」。
夜は更けた。闇はいよいよ深い。だが、朝はもう遠くはないのである。だから、今は眠りから覚め、「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けよう」(12節)とパウロは言う。ヨレヨレになった、だらしない夜の寝巻きは脱ぎ捨てて、昼の生活を始めるためにキチンと服装を整えよう、というのである。「日中を歩むように、品位をもって歩もうではないか」(13節)。
「光の武具を身に着ける」とか、「品位をもって歩く」というのは、テキストを読む限り、「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨てる」という意味に受け取れる。あるいは、「欲望を満足させようとして、肉に心を用いる」のを避けること。それが、「主イエス・キリストを身にまとう」(14節)という言葉の内容であろう。
だが、パウロの勧めの根本は、「隣人を自分のように愛する」(9節→レビ記19章18節)という点にあった。主イエスは、旧約聖書にはいろいろな掟が書いてあるが、すべてはこの一つの言葉に要約されると教えられた(マルコ12章29節以下)。それを、パウロはここで繰り返したのである。「愛は律法を全うする」(10節)。
確かにパウロは、大酒を飲むことや性的乱行を戒めるなど、道徳的なことも教えている。しかし、彼は狭い意味の「道徳主義者」ではなかった。彼が渾身の力をこめて説いたのは、「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはならない」(8節)ということであった。
「闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けよう」というパウロの言葉を、13節後半の「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨てる」という言葉と結びつけて理解するのは間違いではない。しかし、もっと大切なことは、「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはならない」と結びつけることではないか。