2005・12・25

「イエスの誕生の意味」

村上 伸

イザヤ書9,1-60マタイ福音書2,1-15

クリスマスに聖書を読んで私たちが出会うのは、美しい話ばかりではない。当時の人々の胸騒ぎや心配、血も凍るような恐怖なども伝わって来る。

例えば、先ほど読んだマタイ福音書2章では、イエスが生まれた後で、天使が父親ヨセフの夢の中に現れ、こう告げたという。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(13節)。恐ろしい言葉である。

これにはわけがある。それに先立って東の方から遥々やって来た占星術の学者たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(2節)を探し始めた。このことを聞いたヘロデ王は、自らの権威を脅かす者が出現したのではないかと「不安を抱いた」(3節)。心配でたまらなくなった王は、配下の部隊を派遣して「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(16節)。血も涙もない「幼児虐殺」である。この災厄を避けて、両親は生まれたばかりの幼子を連れてエジプトに逃れた。つまり、主イエスは生まれると直ぐに「難民」になったのである。

そればかりではない。彼の生涯には、常にこのような苦しみが付きまとっていた。未婚で妊娠し、世間の冷たい目にさらされて母マリアが産気づいたのは旅先で、どこの宿にも泊めて貰えず、そのために赤ん坊は馬小屋で産まれ、ボロ布でくるまれて飼い葉桶の中に寝かされた。つまり、この若い夫婦は「ホームレス」のような状態だったのである。成人して宣教活動を始めてからは、自ら「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(マタイ8章20節)と言ったような「貧困」の中で過ごし、最後は十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(27章46節)と「絶望」の叫びを上げてその生涯を終えた。

このような一生を送るために、主イエスはこの世に生まれた。これは何を意味するのだろうか?

私は今、いくつかのキーワードを挙げた。幼児虐殺・難民・未婚の母・ホームレス・貧困、そして、絶望。これらの苦しみは、現代の世界とも無縁ではない。

幼児虐殺。ヘロデ王は、権力者としての自分の地位を守るために、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」式に二歳以下の男の子を無差別に殺した。自分にとって都合の悪い存在はことごとく抹殺したのである。これと全く同じ本質の悪が、規模こそ違え現代でも頻発している。私たちは最近、どんなにしばしばこのようなニュースを聞くことであろう。未成熟なまま親になった若い夫婦が、苛立ちに任せてつねったり殴ったり、放り投げたりする。あるいは、歪んだ欲望をコントロールできない大人が小さな女の子を誘拐し、悪戯した挙句に、始末に困って殺す。子供はすぐ傍にいて無防備だから、簡単に虐めの対象になる。容易に息の根を止められる。何ということか。

難民。20世紀は難民の世紀と呼ばれた。政治的迫害などのため故郷で安住することができず、助けを求めて他国へ逃げてゆく人々の総数は、全世界で2750万人に達するという。イエスの時代、国境などはあってないようなものだったし、パスポートもなかったから、両親はわりに簡単に赤ん坊を抱え、僅かな身の回りの物を持ってエジプトへ逃げて行ったのだろう。しかし、苦しいことに変わりはない。

未婚の母・ホームレス・貧困。これらは社会的矛盾が生み出す問題だが、昔よりも少しはマシになったとは言えないだろう。むしろ、「グロバリゼーション」の現代において貧富の差はさらに拡大し、苦しみはそれこそ「グローバルに」拡大したと言われる。そして、絶望した多くの人は自ら死を選ぶ。日本では、ここ数年自殺者の数が急増し、1998年の統計では年間31,700人余り、過去最大となった。集団での「インターネット自殺」も、単なる流行現象ではない。将来に希望が持てないからなのだ。

だが、主イエスはこうした苦しみを超越した所で涼しい顔をしておられたのではなかった。ご自分もその中で苦しみ、人々の苦悩を自らのものとして生きられたのである。イエスは、彼らの苦しみを誰よりも深く理解することができる方としてこの世に生まれた。これこそ、主イエスの誕生の意味に他ならない。

18日の夕方、私は J'Tracks という若者のグループに招かれて、渋谷のライブハウスで開かれたクリスマスのイヴェントに参加した。私の話の前に、売り出し中の若い歌手がクリスマスに因んだ歌をあれこれ歌ったが、その中に、"Not alone"(独りぼっちではない)というのがあった。彼が自分で作詞作曲したという。私には、歌詞が全部正確には聞き取れなかったが、好きになった人に向かって「君は独りぼっちではない」と言って上げたい、という意味の歌らしかった。

私は、この言葉を早速話の中で応用させて貰った。イエスは、あのような苦しみをご自分でも経験された方である。だから、この世で苦しんでいる人の辛さがよく分かる。イエスは、すべての苦しむ人に向かって「あなたは独りぼっちではない」( You are not alone ! )と言うことができる。「あなたは独りぼっちではない!」。このメッセージを伝えるために、主イエスはこの私たちの世界に生まれたのである。


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