2005・12・4

待降節第2主日礼拝「神の力強い御業」

村上 伸

イザヤ書63,15-19テサロニケ第一5,4-11

 「どうか、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか、あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは抑えられていて、わたしに示されません」イザヤ書63章15節)。

 これは、待降節第2主日の説教テキストとして定められた聖句の一部である。預言者は憐れみ深い神を信じているが、その「熱情と力強い御業」が自分には中々示されないのに業を煮やしている。現代の私たちにも同じ苛立ちがあるのではないか。

 そんなことを考えていた時、11月18日の朝日新聞で懐かしい人の名前を見た。2面の「ひと」欄に、「スーダンの盲学校に支援を続ける元大学教授の牧師」という見出しで武岡洋治さん(68歳)のことが書いてあったのだ。私が「懐かしい」と言うわけは後で述べることにして、この人のことをざっと紹介しよう。

 彼は名古屋大学農学部の教授であった。栽培原論・育種学が専門である。1992年8月、同僚の先生と一緒にアフリカのスーダンに赴いた。「農業の生産システムと砂漠化の実態」を調査するためである。この旅行中に「抗マラリヤ薬」の副作用でひどい目に遭う。その時の苦しい体験を、彼は『遥かなる旅路の果てに――マラリヤ薬禍生還の軌跡』(1994年、七賢出版)という本に書いた。読み続けるのが辛くなるほどリアルで、しかも感動的な文章である。

 スーダンは日本の国土の9倍もあるアフリカ最大の国で、しかも、その当時は内戦が激化しつつあった。そのためにあらゆる困難に出遭うが、その中で何とか調査を始めた矢先、武岡さんは自分の体の異常に気づく。全身がだるく、眼が真っ赤に充血し、口の中にも炎症が起きている。急遽、予定を変更してハルツームの病院で診察を受けたのだが、その時はもう全身に赤い斑点が広がっていた。体温は41度5分。

 最初マラリヤ感染が疑われたが、極めて強いアレルギーと診断された。病名は「スティーブンス・ジョンソン症候群」である。マラリヤを予防するために服用していた「ファンシダール」という薬の副作用であることも分かる。

 「スティーブンス・ジョンソン症候群」とは、別名を「皮膚粘膜・眼疾症候群」といい、その症状は最も顕著な形で眼に現れる。彼によると、「全身の皮膚、粘膜及び眼に激しい炎症や浮腫、それに潰瘍が現れる。同時に、涙腺がやられて涙が出なくなる。眼が渇いて涸れ、視力が次第に失われていく」。しかも、口内炎のために食事が咽喉を通らない。そこで彼は、出される食事を一々スプーンですり潰し、液状にして胃に流し込むというやり方で体力の維持を図ったという。強い精神力である。

 この病気に対しては、有効な治療法がまだ確立していないために、患者の95%は死ぬという。多くは「鼻膜の炎症から鼻づまりを起こし、口内炎がひどくなると浮腫が口一杯に拡がって、ついには喉を塞いでしまう」。そうして窒息死に至るのだ。せいぜい、ステロイドの投与と、抗生物質の点滴、全身の皮膚(特に股間と両足指)の消毒ぐらいしか打つ手がない。武岡さんは、この中で死線をさ迷った。

 そこから「奇跡的に生還」できたのはなぜか? 彼はいくつかの理由を挙げている。先ず、調査を直ちに中止して彼をハルツームの病院に担ぎ込み、必要な手続きの一切をとってくれた調査チームの仲間たち。それから、治療に当たってくれたドクターや看護師たちの適切な処置。さらに、在スーダン日本大使館の人々の親切。それに、たまたまそこに居合わせた日本青年海外協力隊の人たちの助力。そのお蔭で、彼は3週間後には何とか日本に帰ることができるまでに回復したのであった。これら「命の恩人」たちに対する武岡さんの感謝は尽きることがない。

 しかし、彼の本を読むと、これらすべてを貫いて、そこには「神の力強い御業」が働いていたと思わずにはいられない。あの言語を絶する苦しみの中で、彼は度々聖書の言葉を思い起こしたという。最初は、「罪が支払う報酬は死です」ローマ6,23)という聖句であった。胸中には、「神は罪を裁くためにこのアフリカの地まで自分を誘い出し、死を宣告したのか」という思いが渦巻いていた。これは死の掟だ。眠れぬままに、彼は自分が死ぬ時のこと、遺される妻子のことをあれこれ考えた。

 しかし、その何日か後、今度は突然、「たとえわれ死の蔭の谷を歩むとも、災いを恐れじ」詩23編)という言葉が頭に浮かんできた。これは救いの約束である。死の掟と救いの約束と、そのどちらを神は選び取るのか?

 そのうちに、「主われを愛す」という歌が口をついて出るようになった。30年来、教会学校の子供たちと一緒に歌ってきた讃美歌である。それをベッドの上で歌っていると、看護婦さんが英語で唱和してくれる。そんな日々を送るうちに、徐々に希望の光が射し始めたらしい。だが、最も感動的な経験は、ある日の未明、産室から洩れてくる赤ん坊の産声を聞いたことであったと彼は言う。「自分がもしこの地で果てることがあれば、この命はあの赤ん坊の中に蘇るに違いない」。

 こうしたことはすべて、イザヤが待ち焦がれていた「力強い神の御業」だ。だが、もっと驚くべきことがある。武岡さんは定年退官の後、あらためて同志社大学神学部大学院で神学を学び、牧師になって安城教会に赴任したのである。しかもこの教会は、私が若き日に開拓伝道を始めた所、そして、彼に洗礼を授けた教会である。武岡さんはあの苦しみから生還したばかりか、数々の貴重な経験を持つ牧師として母教会に帰って来たのだ! これを「力強い神の御業」と言わずに何と言おうか。

 「アドヴェント」とは、主が私たちのもとに「来られる」のを待つ時である。私たちは、神がこういう形で私たちのところへ「来て」下さる、と信じる。そして「主よ、来たり給え!」と祈るのである。


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