I
アレクサンドリアのクレーメンスという古代キリスト教著述家に『テオドトスからの抜粋』という作品があり(紀元200年頃の成立)、そこに次のような文言が現れます。
私たちは、何者であったのか?
何に、私たちはなったのか?
どこに、私たちはいたのか?
どこに、私たちは投げ込まれたのか?
どこへ、私たちは急ごうとしているのか?
どこから、私たちは解放されたのか?
誕生とは何か、再生とは何か?
テオドトスは、初期キリスト教の「異端」であるグノーシス主義の教師の一人で、ヴァレンティノス派という流派に属していました。それでも彼の立てた問いは、宗教の本質にふれています。「私たちは何者であったのか」とは、遠い過去、神話的な過去を問うことで、私たちの由来を問うことに他なりません。「何に、私たちはなったのか」「どこに、私たちは投げ込まれたのか」という問いは、私たちがどのような世界の中で、何者として生きているのかという、現在に係わる問いです。そして「どこから、私たちは解放されたのか」「どこへ、私たちは急ごうとしているのか」という問いは、私たちを待ち受けている未来への問いです。そしてこれら三つの問いを、ひとまとめにしているのが「誕生とは何か、再生とは何か」という問いです。
人が生まれるということ、そして死んだ後にもう一度生まれるということ。――キリスト教は輪廻転生を謳う宗教ではありませんが、例えば洗礼式は、〈古い自分に死んで、新しい自分に生きる〉というかたちで「再生」のシンボリズムを含んでいます。テオドトスが示したような視点から、イエスの「自ずと成長する種」の譬えと呼ばれる今日のテキストに取り組んでみましょう。
II
イエスの譬えは、〈人が種を蒔くと、種は成長して植物はやがて実を結び、刈入れのときがくる〉という非常に単純な構造を備えています。そして「種」「成長」「実り」「刈入れ」「鎌」といったモチーフは、イスラエル文化史の中でシンボリカルな意味合いをもっていました。
「私たちは何者であったのか」「どこに、私たちはいたのか」という問いと触れ合うのは、「土はひとりでに実を結ばせる」(27節)というコメントです。この言葉は、原初の楽園(パラダイス)の神話を思い起こさせます。さきほど朗読した箇所です。
神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。……神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる」。(創1,11.29)
今はガーデニングが大変なブームですね。皆さんの中にも、土いじりの好きな方は大勢おられると思います。古代中近東の人々は、天国をしばしば庭(楽園)のイメージで捉えました。今でも地中海沿岸の諸地域には、中庭の文化が住宅建築に生かされています。古代イスラエルの人々は、この豊かな伝統を受け継ぎながら、パラダイスについて想像したのでした。かつて人間はパラダイスにいた。そこではまだ肉食の習慣はなく、人は農耕労働をしなくても、大地が自ずともたらす実りを食べて生きていた、と。このことは、イスラエル民族に属する誰もが知っていました。
もう一つ、古代イスラエル人が知っていたことがあります。それは、私たちも知っている失楽園の神話です。創世記3章には、アダムに対する次のような神の言葉が現れます。
「お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(創3,17-19)
大地は、人の罪のゆえに「呪われるものとなった」。私たちは、失楽園後の世界に生きている。私たちの世界はポスト・パラダイス的な世界です。この世界では日々の糧を得るには、人は汗水たらして死ぬまで働かなければなりません。
ところがイエスはどうでしょう。「土はひとりでに実を結ばせる」と彼は言います。あたかも、この世界がパラダイスであるかのように。イエスは嘘つきなのでしょうか。単純化された比喩は、常に現実を裏切ってしまうものなのでしょうか。
III
「何に、私たちはなったのか」「どこに、私たちは投げ込まれたのか」という問いと触れ合うのは、「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」(27節)という不思議なコメントです。
私の実家は兼業農家です。今でも家族で食べるお米は、実家から送り届けられます。子どもの頃は、農繁期になると、遠くの親戚が田植えや稲刈りの手助けにやってきました。子どもたちも手伝いました。月明かりの中で田植えをしたこともあります。田んぼには水澄まし(あめんぼう)、ゲンゴロウ、タガメ、そして蛙と蛇がいました。用水路にはザリガニ。秋の肌寒い夕日の中で稲束を担ぐと、襟足がヒリヒリしました。稲刈りの後は、田んぼに積み上げられた藁の小山にトンネルを作って遊びました。冬には切り株と霜柱を踏み砕きながら、凧揚げをしました。しかし農繁期以外にも農作業はあります。時期が来るときちんと田んぼを耕し、苗代を作り、稲が育っている間も雑草を抜き取ったり、あぜ道を直したり、貯水池からの放水量を調節したり、農薬を散布したり、いろいろとすることはありました。ただ「夜昼、寝起きして」いたわけではありません。ちゃんと労働していたのです。
怠け者は冬になっても耕さず、刈入れ時に求めるが何もない。(箴20,4)
働きたくない者は、食べてもならない。(2テサ3,10)
農耕労働は、「顔に汗を流してパンを得る」(創3,19)のが人生だ、つまり〈生きるとは働くことだ〉〈この世は働くための場所だ〉あるいは〈たくさん働いた者には、より少なく働いた者よりも大きな報いがあるはずだ〉という根源的な世界理解のシンボル的な表現です。そして古代イスラエル文化にあって、労働とは農耕労働に他なりませんでした。
ところがイエスは言います、「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」(27節)。――この筆致は、〈人生とは労働である〉〈働きに応じた報いがある〉という世界観・人生観が、ともすれば見落としがちな世界の一つの深い位相に注目するよう、私たちに促しています。
イエスは、パラダイスが失われたこの世界においても、大地は自ら働くものとして実りをもたらし続けているではないか、と言っているのです。農夫が「夜昼、寝起き」しているとか、「どうしてそうなるのか、その人は知らない」というのは、この農夫が大地のこの働きに信頼していることの表現です。「実が熟すと」(29節)と訳されているギリシア語本文を逐語訳すれば、「実が許したそのとき」となります。刈入れを許すのは「実り」なのです。このことを示すために、〈労働〉はフェードアウトされています。
現代社会における農業は、産業革命以降の工業の発展を受けて、あたかもそれが製造業であるかのように営まれています。農家は「生産者」と呼ばれ、農産物は「製品」として流通し、販売されます。私は大学に入学したとき実家を離れ、都会で暮らすようになりましたが、お米は言わずもがな、野菜をスーパーマーケットでお金を出して買わなければならないことに、少なからずショックを受けました。野菜は、自分の畑でとれるものであり、お店で買うようなものではなかったからです。
イエスの譬えは、私たちがじつは「生産者」などではなく、自ずと実りをもたらす大地や刈入れを許す実りの「受益者」であることを教えています。この世界の中に、実りという現実が自ら働くものとして存在していなければ、農業そのものが成り立ちません。
IV
「どこへ、私たちは急ごうとしているのか」――私たちは、どこへ行くのでしょう。この問いと深く関係するのが、「刈入れ」というイメージです。とりわけ古代イスラエルの預言者は、審判の主題と結びつけて「刈入れ」のイメージを使用しました。ヨエル書に次のような言葉があります(ヨエ4,9-15)。
諸国の民にこう呼ばわり、戦いを布告せよ。勇士を奮い立たせ
兵士をことごとく集めて上らせよ。
お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。弱い者も、わたしは勇士だと言え。
諸国の民は皆、周囲から集まり
急いで来るがよい。__主よ、あなたの勇士を遣わしてください。
諸国の民が奮い立ち
ヨシャファトの谷に上って来ると
わたしはそこに座を設け
周囲のすべての民を裁く。
鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した。来て踏みつぶせ
酒ぶねは満ち、搾り場は溢れている。彼らの悪は大きい。
裁きの谷には、おびただしい群衆がいる。主の日が裁きの谷に近づく。
太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。
とりわけ「鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した」という一言は、イスラエル民族を虐待した周囲の諸民族に対する報復のときが来る、という意味です。やがてユダヤ教黙示思想において、「刈入れ」のイメージは、世界全体に対する最後の審判を表現ために使用されるようになりました。この世界はすっかり失われていて、もはや救いようがない。救いは、この世界がすっかり刈り取られて「更地」にされ、新しく種蒔かれるとき、つまり世界が更新されるときに始めて期待できる、と考えられたからです。
イエスも、同じように考えているのでしょうか。そうだ、という学者もいます。「農夫を通して、世界審判者が顔をのぞかせている」(J.ヴェルハウゼン)。しかし私には、そうは思われません。「収穫のときがきたからである」(29節)とは、審判と滅びの宣言ではありません。むしろ命が保たれる時が到来したことへの喜びと感謝の叫びです。イエスの精神は、世界を灰色一色と見る黙示思想家よりも、「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる」(詩126,5)と歌った詩人の心に、より近いように感じられます。
V
「誕生とは何か、再生とは何か」――皆さんは、『小公子』で有名なイギリスの児童文学家フランシス・ホジソン・バーネットが書いた『秘密の花園』(1911年)という児童文学を、ご存知でしょうか。私はこの作品を、フランシス・フォード・コッポラが製作総指揮をとり、アニエカ・ホラントが監督した同名の映画作品(1993年)で知りました。
舞台は20世紀初頭のイギリス貴族のお城です。三人の子どもたちが登場します。一人は城主の息子。この子は背中に瘤があるとか、病弱でまともに歩けないとか言われ、目や皮膚が弱いせいで直射日光に体を晒すこともできず、召使たちが腫れ物にさわるように育てています。父親は、妻を亡くした悲しみを癒すために旅ばかりして、ほとんど城にいません。あとの二人は、突然に両親を失って孤児となり、伯父である城主に引き取られた少女と、城の使用人である庭師の息子です。一人の少女と二人の少年は友だちになり、城の探検を始め、やがて敷地の一角に、深い蔦に覆われた扉を発見します。扉の向こうには、荒れ果てた庭園がありました。それは、かつて少年の父が、健在であった妻とともに幸せな日々を過ごした愛の園でしたが、妻の死後は封印して、荒れるに任せていたものでした。子どもたちは、庭師の息子の指導のもと、この庭を手入れして見事に再生させます。美しいバラの花が咲くのです。城主の息子は、太陽の光に裸を晒してみると、病弱でも何でもない一人の健康な少年でした。父親は、再生した庭を通して回復した息子とその仲間たちと出会うことで、自らも回復してゆきます。
この作品は、人間の再生という主題を、「楽園」の再生というイメージを通して表現しています。荒れ果てた庭を発見したとき、少女が「この庭は死んでいるの?」と尋ねる場面があります。すると庭師の息子である少年は、枯木のようなバラの枝をナイフで切り、その切り口を見せながら、「この庭は生きている。眠っているだけだ」と言うのです。
この小さな場面は、イエスの譬えの素晴らしいコメンタリーです。世界は悲しみや差別あるいはさまざまな病や困難、そして苦しい労働という「蔦」や茨に覆われて、灰をかぶったように荒れ果てているかも知れない。しかしこの世界は、もはや救いがたいほどに、すっかり死んでしまったわけではありません。農業がまったく工業化されてしまった現代でも、大地は、今なお自ずと実りをもたらし続けており、私たちの命はそれによって支えられています。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ」という神の言葉は、決して失われていない。どんなに荒れ果てていようと、この世界は神の庭、パラダイスの痕跡をとどめているのです。
私たちは、何者であったのか?
何に、私たちはなったのか?
どこに、私たちはいたのか?
どこに、私たちは投げ込まれたのか?
どこへ、私たちは急ごうとしているのか?
どこから、私たちは解放されたのか?
誕生とは何か、再生とは何か?
この問いに、イエスの譬えは、私たちが生きている世界は「荒れ果てた神の庭」である、「神の王国」はそれを見抜くことを私たちに教える神の力である、と答えているのではないでしょうか。