今、「罪を告白すること」に関連して説教しているが、なおそれを続けたい。
人はいろいろ間違いや失敗を犯すが、「だから駄目だ」とは言えない。我々は、むしろ失敗を通して初めて、何か大切なことを学ぶ。失敗こそ人生で「最良の学校」である。どこがいけなかったのか。今後失敗しないためにはどうすればいいか。痛い思いをしながらこういう問題と向き合い学習することによって、人は成長するからである。だから、家庭でも学校でも、失敗をした子供を無闇に責めて萎縮させてはいけない。むしろ進んでその現実と向き合うように励ますのが、真の教育であろう。「罪責告白」にもこのような積極的な意味があることを強調したい。
ここで、1967年の「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(略称「戦争責任告白」)をもう一度取り上げたい。その中に、次のような一節がある。
「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい批判をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを内外に向かって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました…」。
この部分は、マタイ5,13以下の「地の塩」・「世の光」という言葉の解釈、あるいは具体的な応用と言ってもいいであろう。
周知のように、「塩」は腐敗を防ぐ。また、ほんの一つまみ加えるだけで食べ物のうま味を引き出す。正にそのような役割を教会は果たすべきだ、と「戦争責任告白」は言っているのである。「世の光」についても同様だ。たった一本の蝋燭の明かりでも、「家の中のものすべてを照らす」(15)。そして、物のあるべき場所を明らかにする。教会は、この世でそのような役割を果たすことが出来るし、また、果たさなければならない。
日本のキリスト教徒の数は、全人口の僅か1%だ。頼りないほど小さな少数者に過ぎない。しかし、たとえどんなに少数であっても、教会には「創造的少数者」としての使命が与えられている。ちょうど少量の塩が重要な役割を果たすように。また、たった一本の蝋燭が「家の中のものすべてを照らす」ように。この考えに立って「戦争責任告白」は、「『世の光』『地の塩』である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした」と言ったのである。これは、聖書に照らして全く正しい。
旧約の預言者たちは、イスラエル王国が間違った方向に進み始めた時、面と向かって王に対し、また王の周りにいる多数の取り巻きをも恐れず、「それは間違っている」と批判した。主イエスは弟子たちに苦難を預言して、「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる」(マタイ10,17)と言ったが、そういう場合でも「何をどう言おうかと心配するな」(19)と勇気づけた。神の「霊があなたがたの中で語って下さる」(20)のだから、というのである。
時流に流されたり、時の支配的な言論に支配されたりしてはならない。「戦争責任告白」が、「まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい批判をなすべきでありました」と言うのは、このことである。教会は「地の塩」・「世の光」でなければならない。だが、戦時中の教会は、残念ながらこの役割を放棄した。1941年、「日本基督教団」の成立がその実例である。この点について、「戦争責任告白」はこう述べている。
「わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。…当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました」。
教団は、政府の要求に従って「戦争に協力するために」成立した、というのである!そればかりではない。尻馬に乗って「あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努め」た。指導者たちの中には、当時支配的であった「天皇絶対主義」にすり寄って、怪しげな「日本的キリスト教」を唱える者が続出した。
宮田光雄氏(政治思想史)は、近著『権威と服従』の中で、こうした人々の発言を丹念に資料に当たって紹介している。それによると、ある人は『古事記』の神話を用いて、天照大神と「世の光」イエスとは同じだとか、天照大神の「天岩戸隠れ」はイエスの復活に類似しているとか、「天孫降臨」は神の子の受肉と同じだとかいう「こじつけ」を行なった。彼らによれば、日本は本物の「神の国」なのである。「満州事変は天の摂理だ」と言った軍部指導者の主張に全面的に同意した人も多くいた。驚く他はない。
むろん、「地の塩」・「世の光」として立派に役割を果たした人々もいた。宮田氏は彼らのことも敬意をこめて紹介している。内村鑑三、高倉徳太郎、畔上賢造、黒崎幸吉、政池仁、矢内原忠雄、村田四郎、鈴木正久等々。私は、中でも柏木義円(1860-1938)に注目させられた。柏木は同志社を出て群馬県安中で牧師となり、生涯一貫して戦争反対を唱え、天皇制国家を批判し続けた人物である。この人々のことを考えると、我々は感謝に満たされる。彼らは、我々の教会にとって疑いもなく「正の遺産」であり、これを正しく相続することによって大きな力を受けることは間違いない。
しかし、我々は「負の遺産」も相続しているのである。それを認めることは辛い。できるなら目をそらしたい。しかし、過去の罪責を乗り越えるためには、「臭いものに蓋」をするわけには行かない。それと誠実に向き合うことが、唯一の道なのである。