2021.03.21

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「嵐にも死にも動じない土台」(山上の垂訓・最終回講解説教)

陶山義雄

詩編22:1〜9,20〜24マタイによる福音書 7:24〜29

 山上の垂訓・講解説教も本日・16回を数え、これがこのシリーズ・最終講解となりました。マタイ記者が持ち合わせていたイエスの言葉集の中から、「山上の説教」を編纂し、その結びに置いたのが、「家と土台」と題の付けられた本日のテキストです。尤も、これはルカ福音書に記されている、いわゆる「平地の説教」もこれと同じ結びの物語で閉じておりますから、両福音書記者が資料として用いた元の共通・言葉集(Q資料)がそのような結びとなっていた、と云うべきでありましょう。

 今まで、ルカ福音書に収められている「平地の説教」について、その概要について殆ど触れて来なかったので、少し「平地の説教」についても振り返って見たいと思います。「平地の説教」はルカ福音書の6章20節から49節にわたって収められています。僅か29節であるのに対して、マタイ福音書の「山上の垂訓」は5章の初めから、本日のテキスト・7章28節まで3章にわたり収められています。両者を比較すると、マタイ記者が元の資料を拡大させていることが良く分かります。最初に掲げられている、「幸いなるかな」で始まる有名な祝福の言葉についても、ルカ福音書では4種類の人々(すなわち、貧しい人々、今、飢えている人々、今、泣いている人々、そして、迫害されている人々)への呼び掛けであるのに対して、マタイ記者はこれら4種を7種類の人々に拡大しています。

 新共同訳聖書がそれぞれのテーマに見出しを付けていますが、ルカの「平地の説教」では5つのタイトル、すなわち、「幸いと不幸」、「敵を愛しなさい」、「人を裁くな」、「実によって木を知る」、そして本日のテーマと同じ「家と土台」、など5つでまとめられています。マタイの「山上の説教」の方は全部で18のタイトルで説教集は区切られています。およそ4倍に拡張されていることが分かります。恐らく、分量の少ない「平地の説教」の方が元の資料集に近いものであったと思われます。

 有名な「主の祈り」はルカ福音書では「平地の説教」ではなく、ずっと後の11章にありますし、「思い悩むな」と云うイエスの言葉はルカでは12章の「富と財産を巡る生き方」の中に収められています。しかし、マタイ記者がユダヤ教に勝るキリスト教律法としてイエスの教え集を「山上の説教」として纏め上げる際に、元の資料集には点在していた「祈り」や「財産を巡る生き方」の教えを説教集の中に移し替えることによって立派なキリスト教律法集に仕上げているのです。私達はその優れた手腕を過去15回にわたり、講解説教で見て参りました。そして、今日はその結びのテキストに注目しようとしています。

 マタイが「山上の説教」の締めくくりに置いた「家と土台」は、如何にも良く、譬話を得意としておられたイエスに相応しい結びではないでしょうか。これはイエスがお作りになった物語であると同時に、編集者マタイの手も加わった労作であります。説教序文にあたる「幸いなるかな」を7つに広げたように、しかも、詩文になっていて、歌うにも覚えるにもそうし易くしていたように、ここでもマタイ記者は「家と土台」の譬えを、詩文にして閉じようとしています。「雨が降り、川があふれ、風が吹きよせる」嵐の有様を「岩の上に建てた家」と「砂の上に建てた家」の両方について同じように繰り返して語っています。また、二つの家のコントラストを、建てる際に表わした「賢さ」と「愚かさ」、また、土台についても「岩」と「砂」の対比、更に、物語の結論部では「聞いて行う人」と「聞くだけで行わない人」、そして雨、洪水、嵐が押し寄せて「倒壊しない家」と「ひどく損壊してしまう家」など、イエスの譬話を「山上の説教」結びに据えるために一層際立たせて、編集の手を加えていることが、ルカによる「平地の説教」と比べると一層良く分かります。

 ルカ(6:46〜49)では、以下のように記されています。:

「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」

 マタイが描いているような、二つの家のコントラストや、また、嵐が三段階に分けて襲う有様などはルカには見られず、淡々と物語が進行しています。マタイでは「聞いても行わない人」への裁きと亡びのメッセージとして譬話を利用しているのですが、これもルカの記述にはありません、マタイに特有の主題であることが分かります。

 「山上の説教」と「平地の説教」とを比較して、もう一つ面白い違いが分かります。それは家を建てる際に、その建て方に違いが見受けられることです。マタイの記事では「岩の上に家を建てる人」と「砂の上に家を建てる人」が対比され、前のような人は「賢い人」と呼ばれ、後のような人は「愚か者」扱いにされています。一方、ルカの記事では、建てる際に「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人」(6:48)と、「土台なしに土の上に家を建てた人」(6:49)が比べられています。マタイの方がやや非現実的であるように聞こえます。砂の上に家を建てる人などいるでしょうか。「砂上の楼閣」と云う言葉がある通り、愚かさの極みが良く言い表されていて、それだけに、マタイが作り上げた面白い工夫の跡が伺えます。ルカの方は、現実に、実際、有り得ることで、手抜きをすれば、土を深く掘って、岩のように堅固でしっかりした地盤の上に更に土台を据える代わりに、「土台なしに土の上に家を建てる」、そのような人は実際に存在しています。つまり、ルカの物語はイエスの話に近付いています。

 私達がそれぞれの人生を振り返ると、今までに、何回か、嵐に襲われたことがあった筈です。命の危険に晒されたこともあったのではないでしょうか。今、ここにこうして生きていると云うことは、その都度、そうした困難を乗り越えることが出来たからであろうと思います。譬話にあるように「岩を土台」としていたからでしょうか。私自身を振り返ると、そのように胸を張り、自信をもって皆さんの前で答えることはできません。

 しかし、他の人については思い当たる方々が居られるように思います。その中に私の両親を挙げることが出来るかも知れません。人間的に立派であったとか、人生で成功した、と云う観点から見れば、評価は出来ないと思います。マタイ記者が規準においている「山上の説教」を聞いて行う賢い人であったかどうかを、本人たちに聞いても同意してはくれないであろうと思います。「掟や教え」と云うものは、それに従う人々や集団があり、そのような集団の一員となって一緒に嵐を乗り越えて行くものです。教会という集団は、イエスを「岩や土台」と信じ、その上に教会と云う家を建てた交わりであります。その中で互いに支え合い、助け合う。そうした仲間集団中に私の両親もいた、と云うのが事実に近い姿であろうと思います。

 今まで受けた嵐の中で最も大きく、また、命の危険を感じた出来事は、やはり、あの戦争でした。1945年5月24日の東京大空襲で原宿、渋谷、代々木八幡、富ヶ谷から代々木上原の坂上まで焼け野ヶ原になりました。我が家も焼失したのですが、教会はかろうじて残ったことが、どれだけ助かったことでしょう。疎開をせず、東京に残って家を失った父は、他の罹災家族と一緒に教会の会堂で、暫く共同生活をして教会のお世話になりました。戦後は借家探しも大変でしたが、私達家族は12月に縁故疎開から東京へ戻ってくることが出来ました。しかし、次の嵐は食料難であったことは、戦争体験者であれば、どなたもお分りのことと思います。程なく、2歳年下の妹(陶山伎世子)が栄養失調で他界しました(1947年享年8歳)。この時も、嵐を乗り越えられたのは、赤岩榮先生と上原教会、私にとっては教会学校の先生方でした。妹が一人で墓地にいるのは寂しいと両親は判断し、教会の誰もが入れる共同墓地へと献じました。これも「岩を土台」とする信仰の証であるかも知れません。

 嵐との関連で、私事を申し上げる事、この教会とも関連する所もあるので、もう1点だけ触れさせて頂きます。次に到来した人生の嵐は1954年6月19日、私が、高校3年生の時でした。学校から帰宅して、疲れていたこともあり、少し横になろうとしたその瞬間、体中に震えが起こり、喀血したあと、暫く意識を失うような事態を迎えました。これは人生の一大転換点となりました。赤岩榮先生の推薦も頂いて明治学院へ入学を許された私でありましたが、そして、妹の死後、牧師になりたいと願いながら入学したにもかかわらず、大学受験を前にして、進路に迷いを起こしていたのです。献身への思いと、他方ではクラスメートや友人と同じように自分の能力を試して進路を決めたいと云う思いとが、自分の心の中でせめぎ合い、心を引き裂いていたことが、病気の最大の原因であると思います。ここでも「岩を土台」とする交わりが嵐を乗り越える支えと力になってくれたのです。今、こうしてここに居られるのも、この教会が無かったら今の私も存在していない事を想うと、只、感謝のほかありません。

 これを聞いておられる方々にも、過去を振り返ると、似たような嵐を体験しておられるのではないでしょうか。そうした体験を振り返ると、パウロがコリント前書10章13節で語る言葉を心から受け入れることが出来るように思います:

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

 神への信頼を土台に据えている限り、どのような試練と思える嵐が訪れても、私達は耐えることができるし、実際、こうして耐え忍ぶことが出来たので、今こうしてこの所にいるのではないでしょうか。そして将来について、これからどうなるか分からない中にあっても、主は必ずや逃れる道を用意して下さる。これが「岩を土台として生きる」私達の信仰であります。最も大きな嵐、それは恐らく、人生の終わりに訪れる死であるかも知れません。しかし、「岩を土台」とする人にとって、死は終わりではありません。主イエスはこの世を去るにあたり、告別の説教を語っておられます(ヨハネ福音書14〜16章)。その冒頭でこう語っておられます:

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(同14:1〜3

 また、告別の説教・結びの16章33節では力強く、こう結んでいます:

これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。

 ヨハネ福音書では命を誕生以前と死以降も、地上の命と共に連続して見るような視点で福音が語られています。体を備えた地上での命ばかりではありません。魂について見れば、誕生以前と、地上の命と、そして死後の世界、これら3つの世界が繋がっている。復活信仰もヨハネ福音書では大変分かり易く説かれています。

 コロナヴィールスで多くの方が、これまでに亡くなっておりますが、中でも、イタリアで大勢の方々が亡くなっている様子がマスコミで報ぜられました。パンデミックに襲われた5月21日の朝日新聞・朝刊によると、イタリアの主要紙では「コロナ犠牲者用の紙面」が設けられており、実名で亡くなった方々の氏名と生涯が載せられている、と云うことです。その解説として「背景には、感染により差別をうけたり、批判されたりしない文化があるとみられる」と書かれています。ニューヨーク・タイムスでも5月24日には4頁にわたり前日に亡くなった死者の氏名と享年、それに一言紹介が掲載されました。ただの数字だけでは実感が持てない読者に、実名と略歴を載せるだけで、その重みが実感できることを意図して編集部が企画したと云うことです。また、これを受けて、アメリカ各地のさまざまな新聞でも、訃報を集めて掲載するようになった、と報ぜられています。

 日本ではごく僅かの人が、それも有名人だけのコロナによる訃報が載せられるだけで、あとは伏せられています。その違いにはどんな訳があるのでしょうか。そこには死に対する見方に違いがあるようです。死は神の御許へ帰ることであれば、どのような終わりであっても、讃えられ、受け入れられなければならない、とする佇まいが死者を見送る背景にあるように思います。

 音楽に親しんで来た私ですが、西欧の音楽には死を忌まわしく思うのではなく、むしろ死者を褒めたたえる心が歌われている処に驚きを感じることが良くあります。大バッハが作曲した教会カンタータは200曲近く残されていますが、十字架や死について触れていない作品を探すのが難しいほど、随所で死を乗り越えて与かる平安が語られています。その最たる作品として、カンタータ161番「来たれ、甘い死の時」や、56番「私は喜んで十字架を担おう」などについて、本日の週報コラムに載せてありますのでご覧頂きたく思います。この後、ご一緒に歌う讃美歌518番にも、人生で最も大きな嵐である筈の死でさえも、信仰という岩を土台としている人々にとって、もはや、乗り越えられている状態が歌われています:

2節
主にありてぞ 死を迎えん(旧讃美歌:われ死なばや)
主にある死こそは いのちなれば
3節
生くるも良し 死もまた良し
主にある恵みに 変わりはなし
(旧讃美歌:生くるうれし、死ぬるもよし、主にあるわが身の さちはひとし)
フィリピ1:21

 このように約束されている恵みに向かい、既に御許に召された信仰の先達者に倣って、確かな救いの道をご一緒に歩んで参りましょう。

 本日のテキストの最後にマタイ記者が残している編集の言葉(7:28)「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。」は、この福音書記者が全部で5つにまとめた説教集のそれぞれの結びとしています(11:113:5319:126:1)。いずれの説教集も「山上の説教」ほど長くはありませんが、マタイ記者の特徴も良く表されています。折があれば、またご一緒に学ぶ言葉出来れば嬉しく思います。

 次週より受難週に入ります。主イエス・キリストにとって苦難と十字架は、死のトバリを打ち壊して永遠の命へと私達を招き入れて下さった栄光の道であります。その恵みを覚え、新たに与かる歩みを受苦日からイースターへ向かって、ご一緒に歩みを続けましょう。

祈祷 父なる神様
あなたの御独り子をとおして、豊かに命の御言葉を頂くことが出来ました。心より感謝いたします。主の生ける御言葉に聴き従うなかで、確かな信仰と云う土台を据えることによって、死の嵐さえも動じることのない人生を全うし、あなたが用意しておられる祝宴に、敬愛する先達者と共に御前で遭い会し、あなたの御栄えを賛美する者とならせて下さい。


 
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