2020.08.30

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「平和の福音」

廣石 望

イザヤ書32:15〜20エフェソの信徒への手紙2:11〜18

I

 新型コロナウイルスがもたらした混乱は、私たちの社会関係のあり方に大きな挑戦を突きつけます。助け合いや連帯は、たしかに存在しています。しかしどちらかというと、孤立と分断と差別の方が、より強く浮き彫りになったという印象があります。

 日本では、寮生活で集団感染を引き起こした高校生たちに向かって、「日本から出て行け」と罵声が浴びせられます。「陰性」の検査結果をもらった上で、地方の実家に帰省した人の庭先に、「東京の人間が来るのは迷惑」という投げ文が放り込まれます。

 アメリカでは人種差別の問題が顕在化しています。ウイルスは自然現象ですが、治療その他には社会格差が反映し、アフリカ系米国人の死者数は白人のそれを大きく上回るそうです。その一方でトランプ大統領は、「チャイナ・ヴァイルス!」と何度も叫んで、支持者から喝采を受けています。自分の失敗を他者に責任転嫁し、国民を分断することで選挙に勝とうという作戦ですね。そのせいで米国では、日本人を含むアジア人一般に対する憎悪が強まっていると聞きます。

 とても悲しいです。いったいどのように、私たちのもとで「平和」は可能なのでしょうか?

II

 本日の聖書箇所であるエフェソ書は、ディアスポラ・ユダヤ教から生まれた混成教団、つまりユダヤ人と異邦人から成るコミュニティーに向けて書かれています。彼らは異教的環境の中で、ユダヤ民族主義を超える、キリスト教的な新しい共同体の形成を模索しています。

 11-13節では、異邦人キリスト者の「かつて」と「今」が対比されます。すなわち彼らは、かつては「包皮」と呼ばれ、イスラエルの市民政体から排除され、約束の諸契約に対しては「よそ者」であり、「キリストの外側」にいて希望を持たず、この世にあって「神なき者たち」――一言で言えば「遠い者たち」でした。

 そのさい、ユダヤ教の契約共同体にあった割礼の習慣は、それが異邦人を排除する限りにおいて、「肉にあって、手で作られた、いわゆる割礼」と批判的に相対化されます。

 しかし今や、異邦人キリスト者たちは、キリストないし彼の血にあって、「近い者たち」になりました。

 冒頭で「君たちは想起せよ」と言われますが、これは私や先祖たちがなしたあれこれのことを憶えておくようにというより、神がなした行為を信仰の地平で現在化せよという意味でしょう。分断を克服するのは人でなく、神です。

III

 続く14-18節は、敵対から平和への転換について語ります。

 すなわちキリストは、垣根の分離壁、つまりいろいろな細則からなる様々な戒めの律法を「解体」ないし「無効化」しました。そうすることで、ユダヤ人と異邦人という二つの社会集団の両方に「平和を福音告知し」、二つを一つに、両者を「一人の新しい人間」に造り変え、神と和解させ、両方に父なる神への接近を可能にしました。

 「接近」とは、もともと神殿での動物供儀を通して祭壇に、つまり神に近づくことを意味します。エフェソ書にとって、復活のキリストは天上世界にある神の神殿にあって、父の右に座す存在です。そのキリストの人格にあって、敵対関係の「解体」ないし「抹殺」、積極的には「平和の創設」と「父への接近」が生じました。キリストの人格がそのための場であることは、「彼の肉にあって」「彼にあって」「一つの身体にあって」また「杭殺柱(十字架)を介して」と何度も強調されます。

 本日の聖書箇所に続く部分では(19-22節)、ユダヤ人と異邦人の両方から成るキリスト者たちに、「聖なる者たちの共同市民権」あるいは「神の家人たち」という身分が賦与されるとあります。そしてこの共同体は建造物として、「聖なる神殿」ないし「神の住処」へと成長ないし建造されてゆきます。

 このコミュニティーは天を目指した成長プロセスの中にあり、最終的な目標は天上世界の神の神殿で神と共に住まうこと、すなわち究極的な神との平和ないし父への接近にあります。そして、そのための地上における道筋が、分かたれた者たちの統合と和解なのです。

IV

 以上のような、エフェソ書が提示する極めて理想化された、かつ神話論的なヴィジョンは、私たちの世界の現実との間に大きなギャップがあります。今の私たちは「不要不急」の人間関係は削り、バッシングと人種差別は激化し、同じ屋根の下で暮らす者たちの間ですらギクシャクします。

 エフェソ書は、二つのことをはっきり言っていないという印象を受けます。ひとつは、違う者同士がひとつの共同体を形成するとき、そこに不可避的に生じるであろう葛藤と緊張について明言されません。もうひとつは、いったいどのような意味で、キリストの十字架の死が社会構造に根ざす敵対関係の克服を、また「神との和解」をもたらすのかが明言されません。

 ここから先は私の想像で、そのための手がかりとして、有名な『アンネの日記』(増補改訂版、深町眞里子訳、文春文庫2003年)を用います。

 アンネ・フランクは1942年7月、彼女が13歳のとき、アムステルダムで家族その他とともに隠れ家生活に入ります。そして1944年8月、彼女が15歳のとき、隠れ家の住民全員が逮捕・連行されるまでの2年ちょっとの間、日記を記しました。

 隠れ家となった建物の3Fにフランク一家4人、4ヶ月遅れて50歳代の歯医者デュッセルの計5人が住み、4Fにファン・ダーン家3人――その息子がアンネの初恋の相手となるペーター――プラス猫が一匹が暮らしました。4Fの居間は、全員の共有スペースでもありました。つまり計8人が、狭い空間で2年と少しの間暮らしたのです。

 そこには、コロナ禍における私たちのstay at homeをはるかに超える、大きなストレスがあったことでしょう。最終的に、絶滅収容所を生き延びたのはアンネの父オットーただ一人です。姉マルゴーと妹アンネ、そしてペーターの3人の子どもたちも、全員が死にました。

V

 日記の中のアンネは、子ども扱いされて猛烈に怒ったり、母親を含む大人たちを辛辣に批判したりします。読んでいて痛快な感じすらします。しかし同時に、彼女にはユーモアに満ちた優しさがあります。例えば、

以上のくだりを書いている時には、まだ筆者の怒りが収まっていませんでした。どうか読む方はこのことに留意ください。

 あるいは、支援者の一人であったクレイマンが、きっと大きなストレスのせいでしょう、胃の出血が理由で入院することになったとき、まるで買い物にでも出かけるように、さりげなく出て行ったそうです。その気遣いをアンネは、感嘆の念を込めて記しています。

 こうした批判精神とユーモアないし繊細さのバランスが、エフェソ書の共同体にも必要だったのではないでしょうか。この書簡は、共同体外部の異教的な生活様式に対する猛烈な批判で溢れかえっています。他方で、内部メンバーに向かっては、互いに慈しむよう繰り返し勧められます。このアンバランスは、異なる者たちから成るコミュニティー内部の葛藤と緊張を、何とかもちこたえようとする努力に由来するかもしれません。

VI

 1944年4月つまり連行の4ヶ月前、アンネは「わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!」と書いており、逮捕直前の8/1には次のようにあります。

なおも模索し続けるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです。

 残された彼女の最後の言葉のひとつです。このひたむきな向上心は、天上のキリストに向かって、神の神殿で神と共に住まうことへと「成長する」という、エフェソ書のヴィジョンに通じるものがあります。今の自分を乗り越えることで本当の自分になりたいという憧れです。しかしアンネは栄養失調で痩せ細り、15歳のまま、ベルゲン=ベルゼン絶滅収容所でチフスに感染して落命しました。

 キリストの十字架刑の死もまた、「神の王国」の到来という真理を求める激しくも柔らかい希望と、それゆえの孤独と、そうした夢を平気で捻り潰す残虐な罪のモニュメントとして経験され、それでも殺されたイエスは神の命の中に受け入れられたという経験に基づいて、あらゆる分断を克服する希望のモニュメントにもなったと感じます。

 さらに私たちの国にあっても、死を超えた命への希求は、有名な原民喜の詩「永遠のみどり」に現れます。

ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ

 「とはのみどり」とは、復活の命であるように感じます。エフェソ書は、キリストが「平和の福音」を告げたと言います。私たちも、あらゆる分断を超えて、このことを願い求めたいと思います。


 
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