2019.09.01

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「戦争の現実」

田中健三

イザヤ書22,1-5マタイ5,9-10

 本日の聖書箇所イザヤ22,1-5は、戦争が終わった後の民衆のあり方への批判です。歴史的にどの戦争をこの箇所の背後に持つのかということについては諸説あります。前8世紀のアッシリアとバビロニアの戦い、アッシリアの南ユダ王国への侵攻、その後200年近く経ったバビロン捕囚の終結などでありますが、どの説が正しいかは確定されておりません。5節に出て来る「幻の谷」を引いたであろう1節の「幻の谷」もヒンノムではないかと言われておりますが、これも定かではありません。4節の「わたし」はイザヤという設定になっており、イザヤが終戦に喜び浮かれる民衆に対して、「わが民は滅びたのだ」という現実を直視するようにと批判しております。5節には将来起こる神の裁きが述べられておりますが、この裁きがユダヤの敵についてなのか、あるいはユダヤについてなのかも文脈からは明確ではりません。いずれにしても戦争とそれに付随する破滅に際して、簡単に忘れ去るだけではなく、その意味や原因と向き合うべきであることが記されています。

 この聖書箇所を読み、現在の日本に当てはめた時、わたしたちは74年前の敗戦に、あれだけの悲劇に、きちんと向き合ったのだろうか、何もなかったかのように浮かれて今にいたっているのではないか、という問題提起がなされ得るでしょう。最近では3.11の原発事故後の成り行きを見ますと、結局何が問題で、誰が責任をとるべきなのかということが必ずしも明確に共有されず現在に至り、一時の反原発の気運も徐々に薄れ、まだ原発を稼働させようとし、海外に原発を売り込もうとさえする現実を見るにつけ、戦争についても同じような対応がなされてきたのではないかと連想させます。そしてその事が何か今に至るまで禍根を残しているのではないか、ということを考えさせられます。

 数年前に特攻隊員についての映画が大ヒットしたように、戦争における死に美学を見る人が少なくないですが、戦争はスポーツの勝負のような清々しいものでは決してなく、必ずしも白日の下に曝されないような内実が付随していることを見逃すわけにはまいりません。イザヤ22,2-3に「お前の死者たちは、戦って死んだのではない」と記されていることが先の戦争でも起きました。日本軍人の戦死者は約230万人と言われておりますが、何とその約60%の140万人は餓死だったというのです。つまり戦って死ぬ以前に、補給されないことにより命を失ったのです。また日本軍による民間人への虐殺、虐待については韓国だけではなく、台湾、フィリピン、インドネシアでもなされたのであり、かつて私がフィリピンでフィリピン人の自宅に招かれ、とても厚くもてなされた際に、実はその方の親族が日本軍人に殺されたということを聞かされ、愕然とした経験をしました。戦争という一言では済まされない様々な事柄を何も無かったことにすることに問題はないのでしょうか。

 皆さんご存知ないと思いますが、渡部良三さんという方は『歌集 小さな抵抗 −殺戮を拒んだ日本兵−』(岩波書店、2011年)を出しておりますが、1922年生まれで、1943年中央大学3年生の際に学徒出陣で現在の中国河北省深州市に派遣されました。彼は内村鑑三の薫陶を受けた父の影響下で、クリスチャンとして生きることを戦場においても貫こうとしました。彼の派遣された部隊で、初年兵の訓練の一環として、中国人捕虜を銃剣で刺し殺すことによって度胸をつけるということがなされたのです。渡部は自分が学んだ聖書や父の言葉によって、この訓練を拒否したのです。上官の命令に背くことが命がけのことであったのは当然承知の上でした。彼はリンチを受けるのですが、奇跡的に生きのびて日本に戻ることができました。そのいきさつを歌ったものからいくつかを取り上げてみます。

朝飯を食みつつ助教は諭したり「捕虜突殺し肝玉もて」
(助教・・・新兵教育担当の将校の下士官)

稜威(いつ)ゆえに八路を殺す理由(ことわり)を問えぬ一人の深きこだわり
(稜威・・・神聖なる天皇の命令。八路・・・中国共産党第八路軍)

「殺す勿れ」そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく

虐殺をこばめばリンチは日夜なし衛生兵のみなぜか優しも

生きのびよ獣にならず生きて帰れこの酷きこと言い伝うべく

 虐殺を拒んだ渡部は、現地の中国人の間で噂されるようになったとのことですが、終戦後彼は罪の意識を持つようになるのです。それは自分は何とか虐殺を拒否したが、他の新兵の虐殺を止めるということができなかった、という念です。

 以上は無名の一人のクリスチャンの告白ですが、このように戦争には「人を人ではないようにする」おぞましいことが付随するものであるということを決して忘れてはならないと思います。そういう意味で戦争は罪悪の頂点です。

 戦争責任は東京裁判によって一つのけじめがついたとされており、実際に7名の指導者の絞首刑が1948年12月23日になされ、その他18名が終身刑や有期刑の判決を受けました。この裁判の正統性については様々な立場から問題視されていますが、いずれにしてもこの裁判だけで戦争責任問題を終わらせることはできないのは明らかです。アメリカの政治的圧力や、罪を構成する「平和に対する罪」の根拠などが問題とされますが、明白なのはこの裁判に潜む大きなテーマが「天皇の戦争責任の回避」であったということです。東京裁判後現在に至るまで天皇の戦争責任について曖昧にしてきたことが目に見えぬ形で日本人に禍根を残しているのではないでしょうか。その禍根の声がイザヤ22,5の「山に向かって叫ぶ声」のように現在のわたしたちに問いかけてはいないでしょうか。

 さて東京裁判の中でも指導者達の責任の自覚は希薄でした。そしてトップであった天皇の責任が不問にされたことにより、日本人は無責任性をその精神の中に継承してしまったということはないでしょうか。

 ナチス政権に批判的であったドイツの牧師であり神学者であるディートリッヒ・ボンヘッファーは、ナチス政権を助長させたドイツに欠けていたものは一人一人の「責任」であった、と獄中で記しました。

 「責任」とは一人一人の中で完結する事柄ではなく、他者との関係性の概念です。英語でも(responsibility)、ドイツ語でも(Verantwortung)、「責任」とは「応答すること」を意味します。大切な他者との関係性こそが責任の内実です。ボンヘッファーもそうでしたが、キリスト信徒にとって、その他者とは聖書の神であり、今も生き給う神であります。その神への応答としての生き方が重要なのです。

 そして聖書の神は「平和を実現する人々は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれる」とイエスが述べる方であり、自らの力を源泉として「幸いかな」と説得的に呼びかけてくださる方です。その方の大いなる赦し、立て直し、その方にある希望を根拠として、わたしたちはその方に応答することができます。そのような方への応答として「責任」ということがわたしたちにとって感謝と喜びを伴う生き方となり得るのです。

 そのような方が今も生きており、わたしたちを見守ってくださっていることを再び思い起こし、この9月も歩んでまいりましょう。


 
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