2018.06.03

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「アレオパゴスの真ん中で」

秋葉正二

詩編135,15-18使徒言行録17,22-34

 私たち信徒同士の間では「神様が共にいてくださる」というような言い方をよく使います。 そうした言い方をする時には、その人のうちにきっと「神様が私の近くにおられる」という実感があるに違いありません。 そうだとすると、そのような実感がない時もあるわけで、そういう時は多分「神様のことは忘れているか、少し遠くにおられる」という感じなのでしょう。 遠い近いというのは私たちの感覚の話で、問題は「自分が神様とどういう関係を保っているか」ということでしょう。

 感覚というのは、人間にとって物事を感じ捉える心的現象ですから、神様を「近い」とか「遠い」とか表現した方がピンと来ます。 事実、聖書には人間のそうした感覚が赤裸々に記録されています。 代表は「詩編」でしょうか。 たとえば22編などには、神様が「遠く離れる」という言い方が何度も繰り返されています。 ダビデの詩とありますが、イエス様が十字架の上で『わが神、わが神、なにゆえ私を見捨てられるのですか』と冒頭の部分を引用されていますので、「受難の詩編」としてよく知られているのですが、詩編の詩人はそれに続けて「なぜ私を遠く離れ、救おうとされないのですか」と詠んでいます。

 こうした詩編の、もろに感情を吐露するような言い方に比べますと、新約文書は詩ではありませんので、感情的には冷静で、苦しみを絞り出すというような言い方はいたしません。 きょうのテキストは使徒パウロがアテネのアレオパゴスの真ん中で、ギリシャの哲学者たちを前に語った説教です。 その当時、アテネはソクラテス・プラトン・アリストテレスの伝統が息づいていた哲学の町ですが、アレオパゴスというのは有名なパルテノン神殿がある丘の、神殿より一段下がった位置の、ある時期にはギリシャ議会が開催されていた場所です。 そこにはストア派がおり、エピクロス派もいるという状況で、パウロがどんな風に語ったかは、説教者にとっては興味津々なのですが、意外にパウロはあまり力まず語り始めている印象です。

 22節から26節あたりにかけては、別段特別なことを言っているとは思えません。 アテネの人たちが『知られざる神に』と刻んで拝んでいる神は、実は世界万物をお造りになった神ですよと、彼らの目線を自分がこれから証ししようとしている神の方へ向けようという誘導です。 相手の拝んでいる神を利用して、相手の興味の対象をこちら側の神に引きつけるというやり方は、他の宗教でも行われる方法ですから、ありふれていて平凡かも知れませんが、パウロはパウロなりに結構必死だったと思います。

 と言うのも、何しろ相手は伝統を背負っているギリシャの哲学者たちですから、生半可なことを言っても彼らはちっとも関心を示さないだろう、とパウロも予想していたと思うのです。 しかし、27節辺りから彼は自分の信じている神を、意識的に少しずつ力を込めてアピールし始めます。 聴衆は「あれあれ、ちょっと話の内容が変わってきたぞ」と感じたことでしょう。 私たち人間は、この神のうちに生き、動き、存在していると、28節では異教の詩人の詩を引用します。 この詩の出所は分かっていますが、問題は、この詩がギリシャの主神ゼウスを詠んだ詩であるという点です。

 パウロがそうした詩まで引用できるということは、彼のインテリぶりを示していますが、異教の人々の神を詠んだ詩を自分が信じている神様を証しするために引用しているわけですから、これは考えようによってはかなり危険だろうと思います。 もともと汎神論的なギリシャの哲学者たちに、同列で聖書の神様を理解させてしまいかねません。

 パウロの大きな狙いは、神をどう考えたらよいのかということと、人間をどのように見たらよいのか、という二つの問いに答えを提供しようとするものだと思うのですが、これをギリシャの哲学者に適用するのは至難の業でしょう。 なぜなら彼らはすでに神をあるいは絶対者を哲学してきているからです。 いくらパウロが優秀でも、ゼウスを詠んだギリシャの詩を引用するのはミイラ取りがミイラになる危険をはらんでいたと思います。パウロはギリシャの哲学者たちが、「神は存在するのか、しないのか」という命題を立てて議論してきたことを当然知っていたはずです。 そういう人たちに自分の伝えたいことを理解してもらうには、彼らの世界で詠まれている詩人の詩を引用するしかなかったのかも知れません。

 とにかくパウロは彼らに語りかけています。 “皆さんは神の存在について議論しているが、議論している我々人間こそが、実は「神の中に生き、動き、存在している」んですよ”と……。 これはもっと分かりやすい例を挙げれば、母親のお腹にいる胎児が、「まだお母さんの顔を見たことがないけど、いったいお母さんているのだろうか?」と言っているようなものでしょう。 このあたりまではアテネの人たちも好奇心で聴いていただろうと思います。

 ところが29節あたりから、パウロはどんどん熱が入ってきて、私の信じる神様は、神の正しさをもってこの世を裁きます、と言い切ったのです。 そしてひとりの人、イエス・キリストですが、そのキリストが死人の中からよみがえったのは、神の審判が確かにあることの証拠ですよ、だから悔い改めなければなりません、と言ったのです。 私などは、パウロはなかなかよく考えながら懸命に語っているなと思いますけど、聴衆であるアテネの人々はもともと好奇心でしかパウロを見ていませんから、「死者の復活」に話が至ると一斉に引いてしまっています。

 32節、『ある者は嘲笑い』、ある者は『いずれまた聞かせてもらおう』と言って、もうそれ以上耳を傾けようとはしなかったのです。 『神が選んだ人は、死者の中から復活したのだ』というところまで展開しても、あとは受け付けないという状況になっています。 ギリシャ人にしてみれば、「もうたくさんだ」といったところでしょう。 著者ルカはそのあたりのことを、聴衆の方が頑固だからだと言いたげですが、いずれにしても、結果的にはルカの判定もこの時の説教は失敗だった、ということです。

 どこがどのように失敗しているのかをもう少し詳しく分析してくれているといいのですが、ルカはそこまで詳しくは書いていません。 神についての宗教論をぶつけるところでは接点が出てくるけれども、話がキリストの復活のことになると、一転して「あざ笑う者」と「あざ笑われる者」の関係になっています。

 実はこのシーンに、この世というもの、この世が罪に沈んでいるという姿が浮かび上がっているように思います。 パウロの立場からすれば、本当の救いが語られているのに、ギリシャ人たちの反応は、人生の悲劇としか思えなかったでしょう。 キリストの降誕も復活も、この世では信じることができる人とできない人に分かれます。 その違いはどこから来るのか、私は信仰的センスを持っているかいないかだと思っています。 つまり普段から信仰的に過ごしていないと身につかないセンスです。 もっと言えば、ちゃんと聖書を読んで、よく祈り、礼拝生活を守り続けるということなどは代表的な信仰的過ごし方です。 パウロはこの世をよく見れば、創造主である神様を見出せると言うのですが、これは正確に言うと、人間がどんなに努力したところで見出すことなど出来ないということと裏腹です。 神様を信じることができるのは信仰の力ですが、それは神様から与えて頂くしかありません。

 パウロはおそらくギリシャ人たちの中に、そうした恵みが与えられていないことを見て取ったのかも知れません。 そうだとすれば、哲学をどんなに積み重ねても、それは信仰を得ることにつながるとは限らない、ということになります。 信仰には必ず祈りが必要になりますが、その祈り心を持っていたわずかなギリシャ人もいた、とルカは書き加えています。 アレオパゴスの議員ディオニシオ、ダマリスという女性などです。

 アテネ伝道は客観的には失敗だったと言えるかもしれませんが、このわずかな人たちがいたというだけで、成功だったのかもしれません。 そうした少数の人たちが足場になって少しずつ神の国は姿を見せ始めるからです。 私は少なくとも、神様の目には意味ある失敗として映っていたに違いないと思っています。   神の国は思いもかけない小さなところから始まると思います。 祈ります。


 
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