受難節第四主日(2004・3・21)

「約束を信じて」

村上 伸

創世記12,1-4; ヘブライ書11,8-12

 アブラハムは、世界の三大宗教、つまりユダヤ教・イスラム教・キリスト教の共通の先祖として今日に至るまで尊敬されている。神話の主人公ではない。紀元前17世紀ごろ実際に生きていた歴史上の人物である。彼の一族が住んでいた場所は、最古の文明発祥地であるメソポタミア地方の、「カルデアのウル」という都市であった。これは、今自衛隊が駐屯しているサマーワから余り遠くないユーフラテス河西岸にあり、当時としては高度に発達した文明都市であった。

 ところが、アブラハムの一族はある時、この都市の暮らしを捨てた。創世記11章によると、彼らは「カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった」31)。ハランはユーフラテス河上流の町であるが、アブラハムにとってはここが故郷になった。だが、ここで暮らしていた時、彼は、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」創世記12,1)という神のお告げを聞く。そこで彼は、「妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方に向かって出発した」(同5)。この時、彼は75歳だったといわれる。ちょうど今の私ぐらいの年齢である。歳をとると腰が重くなるものだが、よく旅立ったものだと思う。

 もっとも、旧約聖書の年齢の数え方は現代とは違う。先祖のセムなどは、100歳のときに子供が生まれ、それから何人も子供をもうけて、なお500年も生きたと言われる(創世記11,10)。彼の父親テラも205歳まで生きた(11,32)。だから、相当割り引きした方がいい。75歳といっても、案外まだ若かったのかもしれない。

 だが、ヘブライ書11章8節「行き先も知らずに出発した」とあるのは、この時のアブラハムの不安な心理を暗示している。住み慣れた故郷を捨てて未知の土地に行くということは、容易なことではない。先のことがいろいろ心配になって、眠れぬ夜を過ごすことも度々あったのではないか。

 ところで、「行き先も知らずに」という不安は、現代の我々にも無縁のものではない。昨日は、米英軍がイラクに戦争を仕掛けてから1年目の記念日だったが、この1年間を振り返ると、先の見えない混迷がいよいよ深まったと感じる。

 3月11日に、スペインのマドリッドで、朝の通勤時間帯を狙った同時爆発が起こった。200人以上が死に、何百人という人が負傷した。犯行声明の中で、犯人グループは次の標的としていくつかの国の名を挙げたが、不気味なことに、その中には日本も入っている。当のイラクでも、テロは収まる気配すらないし、パレスチナではイスラエルがやりたい放題だ。世界の政治指導者たちはテロを根絶すると息巻いているが、「暴力には暴力で」というやり方で果たしてテロを無くすことができるだろうか? 我々の世界は、どこに行くのか?

 世界経済も難しい状況にある。牽引役である米国は、イラク戦争とその後始末に巨額の出費を強いられて財政赤字に苦しんでいるし、第二位の日本は、景気がやや上向きになったというものの、中小企業は苦しいし、若者の失業率は相変わらず高い。環境問題(地球温暖化・産業廃棄物など)も深刻だ。我々の世界はどこへ行くのか?

 食の不安もある。霞ヶ浦の鯉。牛のBSE。鶏のインフルエンザ、等々。これら生き物の病気が我々の健康に影響を及ぼしたら大変だ。事実、鳥インフルエンザは人間にも感染することが分かった。新種の病気も流行っている。エイズは増え続けているし、新型肺炎(SARS)の脅威も全くなくなったわけではない。一体、我々の世界はどこに行くのか? 我々は、行く先を知らないのである。

 だが、今日の聖書は、アブラハムは「行き先も知らずに出発した」結果、不安が的中して挫折した、とは言わない。「約束の地に住んだ」(9)と言っている。それだけではない。一緒にいた子供たち、つまり、将来の世代も、「同じ約束されたものを共に受け継ぐ」と言う。アブラハムは、「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望」(10)した。つまり、神の約束を待望する生活を続けたのである。そして、彼は「約束をなさった方は真実な方である」(11)と信じていた。

 これらの言葉を、我々は自分たちのための言葉として受け取ることが許されるであろう。我々は先が見えない混迷の中におり、誰もが大きな不安を抱えているが、実は「神の約束」の下にある! これが、今日の聖書のメッセージなのである。

 だが、一体どうしてそんなことが言えるのか? 世界には、余りにもひどいことが多過ぎるではないか。

 確かに、世界の現状はひどい。だが、神はこの世界を本来、美しく・善くお造りになった。自然の美しさを見てもそれは分かる。桜の花。輝くような若葉。山々の連なり。海の色。太陽の温もりや星たちの煌めき。少数ではあるが真実な人々もおり、優しい愛もある。その神が、この世界を滅びるに任せるということがあるだろうか?

 20世紀の初め頃、南ドイツにブルームハルトという優れた牧師がいた。ある青年が神の存在を信じられなくなったという悩みを打ち明けたところ、「君には本当に嬉しくなるようなことがないかね?」と聞かれた。「あります。自然とか、音楽とか…」。するとその人は、「そこに君の神様もいらっしゃるではないか」と言ったという。

 詩編19,2は、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す」と歌う。これは、我々の世界が神の約束の下にあるということを讃美しているのである。そして、その最大の根拠は、イエス・キリストである。我々のために代わって苦しんで下さった方がいる! これが、神の約束の徴なのだ。



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