作・画: 土田 潤子



 わたしは、ワタナベ・モミともうします。

 ワタナベさんのお家の庭に長いこと住んでおります。ここは、静かで、日あたりがよく、とても気持ちのよいところです。からだのすみずみまで陽の光を浴びて毎日すごしております。 わたしは、ここにもうずいぶん長く生きているので、幹はしっかりと太く、葉の色も濃いみどりです。時々やってくる嵐にも負けなくなりました。

 ワタナベさんが時々肥料をくださったり、暑い夏には毎朝たっぷりのお水を下さったおかげでここまで元気に生きることができました。

 高い塀に囲まれた広いお庭の中で毎日すごしているわたしの楽しみのひとつは、子どもさんたちの声を聞くことです。

 朝夕、塀の向こうを子どもさんたちが通ります。その楽しそうな笑い声やケンカの声などを聞くのが楽しみなのです。

 子どもさんたちの話では、どうも朝になると「ガッコウ」というところへ出かけ、夕方になると帰ってくるようなのです。何人かでかたまってつつきあいながら通るようすがあまり楽しそうなので、塀の外の世界はどんなだろうか、見てみたいものだと思うことがあります。

 けれども、こうやって毎日、朝がくれば伸び伸びと葉を広げ、夜になるとぐっすりと眠り、何ひとつ困ったことのない暮らしをしているわたしは幸せです。

 わたしは自分で自分を見る事は出来ませんが、ワタナベさんが時々わたしを眺めながら「本当にりっぱなよい木になった。」とほめてくださるので、1本のモミとして今がいちばんよい時なのかしら、と思う事があります。自分でもからだの中から力がぐんぐんみちあふれる感じがしているのです。

 しかし・・・

 このごろ、時々思うのは、「わたしはなぜここにいて、なんのためにここに立っているのだろう。」ということです。

 この庭には、わたしばかりではなくほかの種類のいろいろな木も立っています。みなさん、すばらしい木です。


たとえば春・・・

 竹さんはこの庭で一番背の高い木ですが、すうっと伸びた美しい木の節や葉の緑の鮮やかさばかりか、なんと「竹の子」というものを生やすことができるのです。

 「竹の子」というものは、大変めずらしくおいしいものだそうでワタナベさんが深い穴を掘って大事に大事に取り出し、今年もたくさん採れたと喜んで持っていかれます。不思議なことに、掘っても掘っても毎年必ずこの「竹の子」というものは生えてくるのです。


 また夏には・・・

 桃さんのところに、まあるい黄色と赤の混ざったなんともいえず美しい実がなります。はじめにヒヨドリがやって来て、「ギャッギャッ。そろそろおいしくなるよおー。」とさわいで知らせます。そうするとワタナベさんは子どもさんたちを呼んできます。

 それほど高くはない桃さんの肩にはしごをかけ、一番大きくて元気のよい子どもさんが登り、次々に実をもいで下で待っている子どもさんたちに放って渡します。その楽しそうなようすに、ほかの子どもさんたちも「わたしものぼりたいっ!」「ぼくも!」とたいへんな騒ぎです。交代で次々に全部の子どもさんが桃さんに登っていきます。

 桃さんはそれとなく子どもさんが登りやすいように落ちないように、しっかりと枝をはってしばらく肩をいからして立っています。とてもうれしそうです。


 そして秋・・・

 この季節、わたしは目を見張ります。この庭にあるさまざまな木がいっせいに美しく変わってしまうからです。柿さんはその中でもみごとな変身をします。まず、葉っぱが鮮やかな赤になります。

 それだけでもすばらしいのに、大きな赤い実をならせることができるのです。枝が折れんばかりにたくさんの実がなると、ワタナベさんが長いはしごをかけ大きなはさみを持って実をとっていきます。子どもさんたちが登るにはこの木は折れやすくてあぶないのだそうです。そして、全部の実を取ってしまわずに上のほうの実を少し残しておきます。この実が甘くておいしいことを知っていて楽しみにしている鳥たちへのおくりものです。

 誰もが見て美しく、実も食べて楽しむことができる・・・なんとすばらしいことでしょう。 春、夏、秋・・・。それぞれの季節、こんなにすばらしいみなさんとわたくしを見くらべてもしょうがない、とは思うものの、時々みなさんの持つその「わざ」をうらやましく思うこともございます。

 わたしは、といえばどうでしょう。一年中「おなじ」です。ずーっと葉の色は緑。実はなりません。子どもさんたちに囲まれるわけでもなく、ただ他の木を眺めることだけを楽しみに一年を過ごしているのです。

 こんな時、(なぜ、なんのためにここに立っているのか?)という考えがうかんでくるのです。


 そんなことを思っていると、わたしの前にゆっくりと降りてきたものがありました。ミノムシさんです。「こんにちわぁ。今年もお世話になります。モミさんのところは子どもさんもこないし、静かで安心なんです。」と小さい声でいいながら、一生懸命ミノ作りにはげんでいます。「わたしもお世話になります。」「わたしも・・・」とつぎつぎにミノムシさんたちがつーっと降りてきました。

 根っこのほうでは、もぞもぞと動くものがあります。カブトムシの子どもたちがおおぜいまるまっておとなになる前の大切な眠りの準備をしているのです。

 まあ、わたしもなんにも役にたっていないわけでもないのかしら、と思います。


 だんだん空気は澄んでつめたくなり、いよいよ冬が近いことが感じられるころになりました。ほとんどの木はみな美しい葉を落とし、黙ってやがて来る春を夢見ながら静かな休みの時をむかえます。

 ある日の夕方、淡い日差しにうつらうつらしていると、急に庭の入り口が騒がしくなりました。

 「ああ、これだ、これだ。このモミだ。枝もいいぐあいに広がっている。今年は、これにしよう。」

 大きなスコップをかついだひげの男の人と子どもさんたちがワタナベさんと一緒にやってきて、わたしを見ていいました。

 そして、「さて、作業始め!」というと子どもさんたちがわたしの根もとをほりはじめたのです。いったい何がおこるのでしょか。こんな真冬に肥料をくれるのでしょうか?わたしは急に心配になりました。

 根もとにはカブトムシの子どもたちがたくさん眠っています。こんな真冬に掘り起こされでもしたらみんな死んでしまいます。それに気持ちよくぶらさがっているミノムシさんたちだってびっくりして落ちてしまいます。

 そんな心配をよそにみんなは私のまわりをどんどん深く深く掘っていきます。こんなに深く掘られたらわたしはしっかり立っていることが出来ません。だいぶ掘り進むとぐらぐらになってきました。

 「よーし。これでなんとか抜けそうだぞ。鉢をもってきて。」
(えーっ。わたしは抜かれてしまうの。もう、この庭にはいられないということなのかしら。そういえば、わたしは人々を喜ばせることはなにもできない。美しい葉も実もならせることができないし・・・)
こんな事を考えているまにとうとう横に倒されてしまいました。
(もう、だめだ。)
と、思った時、さらに声がしました。
「根っこの土を少し落として鉢に入れよう。」

 落とした土の中から寝ぼけたカブトムシの子どもたちがおおぜい出てきました。掘った人たちはその子たちをうまく土の中にもどして土をじゅうぶんにかけてくれましたのでほっとしました。

 わたしは、しばらく横倒しになったままでしたが、みんなが力を合わせて持ち上げ、大きな鉢の中に入れてくれました。なんだかきゅうくつでへんな感じですがなんとか立っていることはできます。こんなものに入れられてこれからいよいよどこかにすてられるのかと思うと、なんだか悲しくなってきました。ミノムシさんだけは、なにも知らずに、まだわたしの枝にぶらさがったままです。


 「さあ、行こう。重いから気をつけて。」

 大きな鉢に入れられたわたしは、手押し車に乗せられ、しっかりとしばりつけられました。住みなれたワタナベさんのお家の庭の門をくぐり、外へ出て行きます。

 夕方の街の中へごろごろと手押し車はわたしをはこんでいきます。しっかりとわたしの鉢を押さえ、私を掘った人、子どもたち、ワタナベさんとみんなが行列で進んで行きます。細い路地から車や人の通る少し広い通りへ出ました。塀の外は初めてなのでなにもかもがめずらしいです。 少し行くと大きな庭の大きな四角い家がありました。ここには見た事もない大きな木がたくさんいて、驚きました。とても年とったおなじ仲間のモミさんが1本立っていました。

 「はじめまして」と声をかけてみましたが、黙っていました。その大きな庭ではたくさんのお子さんたちがきゃあきゃあと飛んだり跳ねたり、ボールを蹴ったり、鉄の棒にぶらさがったりして遊んでいました。(ははあ。もしかしたらこれが「ガッコウ」というところなのかしら)と思いました。なんと楽しそうなのでしょう。いつも塀の向こうを通るあのお子さんたちもこの中にいるのだ、と思いました。

 ガッコウを過ぎて少し行くとまた細い路地に入りました。「くだり坂だから気をつけろー。」とひげのひとが声をかけると、みんな足を踏ん張って手押し車をゆっくり転がして進みます。坂を降りきったところの家の前でとつぜん「こんにちはー。」と声をかけられました。よく見ると一軒の家の玄関にやはり大きな鉢に入れられて立っているモミさんがいました。わたしよりも少しだいぶ若いようです。お庭でないところにいる木を見るのははじめてでした。

 「あなたもですか?いよいよですね。わたしはね。今年はデンキピカピカだそうです。楽しみですねー。がんばりましょうねー」と話し掛けてきました。「いよいよ」だとか「デンキピカピカ」で「楽しみ」だとか、わたしにはなんのことだかさっぱりわからず、「どうも。こんにちは。」とだけ答えて通り過ぎました。

 いったい私はこれからどこへ行くのか、どうなってしまうのかさっぱりわからないのですから。

 坂をおりきったところで、手押し車は急に止まりました。大きな家の前です。屋根がとんがっていて不思議な形のとんがりがついた家です。入り口では私の頭がつかえてしまうので、また横倒しにされて中へ入りました。「重い重い。」とみんなに持ち上げられました。ワタナベさんが鉢に水をいれてくれて少し元気になりました。

 ひげのひとが「ひとまず、終了。ここから先は、また明日にしよう。」と言い、みんなは私を大きな部屋に残したまま行ってしまいました。


 だんだん暗くなる部屋のなかで私は不安で不安でたまりませんでした。明日になればわたしはどうなってしまうのだろうか。切ってたきぎにでもされるのか、このまま捨てられるのか。こんなことを考えているとねむれないまま朝を迎えました。

 ただ、今までわたしを大切に育ててくれたワタナベさんが鉢に水をくれたことは何か意味があるのだろうか、ということだけが、小さい光のように灯っていました。

 だんだん明けていく朝のうす明るい光のなかでいろいろなものが見えてきました。ここは天井がとても高い大きな家です。それから光が赤や黄色やいろんな色に映って見えるきれいな窓があります。お庭の朝とはちがうけれど、気持ちのよい朝の空気がここにもながれているのです。


 見たこともない場所に驚いていると、木のドアが開いて、ワタナベさんと一緒に今日は女の人たちと子どもさんたちがたくさん入ってきました。
「まあ。素敵じゃないの。色が濃くて枝ぶりもよいりっぱなモミだこと。」「ほんとだわ。」みんなは近寄ってきて私をかこみ、口々にほめてくれ、枝にちょんちょんとさわります。あまり、人にかこまれたことのない私は、緊張します。「さっそくはじめましょう。」とひとりのおんなのひとがいうと、みんなはどこからか箱を持ってきて、その中にあるきらきらしたものをとりだしました。

 そして、子どもたちがはしごを持ってきて私の枝にそのきらきらをつけはじめました。こんなに近くで子どもさんたちの顔を見た事がなかったのでどきどきしました。みんなにこにこしながらいっしょうけんめいつけています。やっぱり子どもさんはかわいいものです。

 金や銀のかざりやらリボンやらをつけられてなれない事に私はすっかりつかれてしまいました。(どうやら私は今すぐに捨てられるのではなさそうだが・・・)

 「あっ。ミノムシだ。」ひとりの子どもがミノムシさんをみつけて取ろうとした時、「それも素敵な飾りだから、そのままそっとしておこうよ。」と言う声がして、他の飾りと一緒にぶらさがったままになりました。私はここの人たちは不思議だとおもいながらほっとしました。

 それにしても私はじぶんのすがたがよく見えません。こんなに色々な飾りをつけられてどんな風になっているのでしょう。

 昨日のひげの人が天井の高いところから大きな赤い星をぶらさげました。この星は中から明かりがともる仕掛けになっていてそれは美しいものでした。

 「すてき、すてき。やっぱりモミの濃い緑に赤い星がよく映える。これで準備は整ったわね。」


 いったいなんの準備なのかその時わたしにはわかりませんでしたが、みんなの顔を見ていると楽しい事の準備には違いないとおもいました。そして一年中緑のままで変わり映えのしないことをつまらなくおもっていたわたしのことをこんなによろこんでくれるひとたちがいるということにおどろきました。

 (私は、緑のままでいい。いつも緑のままでよかった。)

 このことは、この冬に私に与えられた何よりの贈り物でした。

 次の日から何週にもわたって私の身に起こったできごとは本当に夢のようなものでした。
この大きな家には、週に一度、おおぜいのひとが集まってきて、子どももおとなもわたしを囲んで楽しく語り、歌ったり、劇をしたり、それはそれは楽しい時をすごしたのでした。


 今はまたワタナベさんのお家のいつもの場所に戻り、あの冬の一ヶ月のことをおもいおこしながら、毎日すごしています。

 私の根もとに土をかけながらワタナベさんは、言ってくださったのです。

 「なんにもかざりがついてなくても、ほんとにあなたはすてきないい木です。」

 私はピンと背すじをのばしていつものように庭の真ん中に立っています。
また、あの不思議な「おひっこし」ができるかしら、と楽しみにしながら・・・

おわり






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