代々木上原教会青年会

2005年1月22日「癒しと救いをめぐって」(担当:KW)

最近、ターミナルケア(終末期医療)を専門とされている医師の話を伺う機会がありました。伺った話の中で興味深い話題がありましたので、今回はそれについてお話しいたします。

日本の終末期医療は欧米諸国に比べ、ずいぶん遅れています。一例を挙げれば、がんの痛みをとるのに、有効であるとされる医療用麻薬の使用量は欧米の10分の1とも言われています。また、WHO(世界保健機関)が提唱しているターミナルケアの指針ではトータルペインという考え方が基本となっており、精神面、経済面など多角的な側面からのケアが求められているのですが、日本は体制として不十分と言わざるを得ません。

そういうわけで、日本ではまず医療用麻薬を十分に使うようにということで、ターミナルケアの先生方は心血を注いでおられますが、その一方で、「薬を正しく使っていても痛みが十分にとれないケースがある」とおっしゃっています。今回は何人かの医師にお話をお伺いしましたが、中でも印象に残ったのは、キリスト教系病院に所属するご自身もクリスチャンである医師の話でした。

うちの病院は、キリスト教系ですので、チャプレンと呼ばれる病院付きの牧師がいます。キリスト教系の病院といっても、治療を受けられる患者さんのうち、クリスチャンは少数です。それでもスピリチュアルペインと呼ばれる心の痛みがあって、その心の痛みに対するケアのスタッフとしてチャプレンが必要なのです。

心の痛みということであれば、精神科医や心理療法士などのスタッフで対応できるのでは、と思われるかもしれませんが、牧師さんしかできないことが1つだけあります。それは罪の許しです。その人がこれまで犯してきたというか、そんな大きなものでなかったとしても、罪の意識として感じているものを許すことができるのは神様しかできません。「神様がそれは許してくださると思いますよ」ということをおっしゃると、非常に大きな救いになると思います。こればかりは、私たちスタッフにはできないことです。それから、「何でこの私が病気にならないといけないの?」とか、だれに当たっていいのかわからないような心の叫び、魂の叫びに対しては、やはりチャプレンのかかわりは非常に大きいと思います。

 

<どうしてこの私が、何故いま死ななければならないのか>という問いに対応できるのは医療ではなく宗教である、という認識を現場の医師たちがもっているのは、たいへん興味深いことです。「癒し」と「救い」のつながりと違いについて、考えさせられました。

以下、自由な意見交換の一部です。

根源的な苦しみと祈り

[ST] 死を目前にした人間の苦しみは根源的なもの。痛みのせいで、排便もひとりでできなくなる。これまで当然のようにできたことができなくなると、自分のことが情けなくて絶望する。

[KW] 在宅ケアを扱った書物に、人生半ばにして後一ヶ月で死を迎える状況に追い込まれた人が、牧師に祈ってもらうだけで最後の時間を生きる意味と勇気を得たというエピソードが出ている。祈りによって最後の時間を生きることができるとすれば、それはとても大切なことだと思う。

[NH] 誰かが自分のために祈ってくれるのは、とても嬉しいこと。最期の近づいた信者さんを牧師が病床に見舞って祈るとき、その祈りは「イエスさまがいっしょにいて下さる」というような、とてもシンプルなものになると思う。その祈りの一言を、ピンチのときに聞くことができるかどうか。

心理療法と宗教

[NM] 米国滞在中に、HIV/AIDS孤児の子どもたちのケア、保護者が仕事で米国駐在中に問題を抱えてしまった日本人の子どもたちのケアを支援する牧師たちと出会った。心理療法のセミナーに一緒に参加したとき、精神科の医師が「ショックなことがあったときどうしますか?」と私たちに質問した。「祈ります」「自分は一人じゃないと信じます」と答えたところ、その医師は「自分の頭の中で神さまを作れる人はいいわね」(!)と返答。信仰は神の存在を信じるが、心理療法は神を作ると言う。同じような活動をしていても、この違いは簡単に橋渡しできないかも知れない。

[ST] これまで、神と自分の関係は、自らを神に向かって開くことで自分が作ってゆくものと考えていた。でも「自分が作る」というより、むしろ「神にダイヤルをあわせる」という感じに理解したほうがいいのかな、と思う。

どの宗教が病院に入れる?

[NH] 痛みや命の危機にさらされた人を助けるのが宗教の大切な役割のひとつだと思うけれど、病院つきのお坊さんという制度はあるか?

[ST] お坊さんが病室訪問をすると聞いたら、「そんな縁起でもない!」と思う人がいるかも(笑)。

[AT] ホスピスは分からないが、お坊さんがいる病院は日本には結構ある。地域医療が盛んな長野県では、お坊さんが病院を訪れて、そこで患者のケアをすると聞いている。中国ではどう?

[SS] 中国の病院について、詳しいことは分からない。チャプレンがいたとしても、とても少ないだろう。無神論の国なので、キリスト教はもちろん、仏教や儒教の人も病院に入れない。でもクリスチャンが病気になったら牧師が病院に見舞うのが普通。ところが刑務所にはチャプレンがつく。さらに香港には「福音麻薬中毒回復所」があり、福音によって麻薬常用者を助けている。

[YC] 韓国でも、病院はキリスト教会が建てたものが多いので、やはりチャプレンがいる場合が多い。儒教は基本的に「家」の宗教で、命日や誕生日に祖先の霊を招いて食事をするなどの儀礼が中心なので、病院には来ませんね。

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