代々木上原教会青年会

2005年 6月19日「信仰と知識の間で 〜Zwischen Glauben und Wissen〜」(担当:AT)

「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造りあげてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(エフェソ:4:12-13)

近代の哲学者ヘーゲルは、『信仰と知』(1802年)の冒頭を次のような言葉で始めている。

「文化は、最近の時代を理性と信仰、哲学と実定的宗教という古い対立を超えて高めた。この結果、この信仰と知という対立は、全く異なった意味を獲得するに至り、そしてこの対立は今や哲学そのものの内部に移し入れられるに至った」(Werk 2. S.287)

哲学史の流れで見れば、中世は、神学?哲学?自由学芸というヒエラルキーの成立の時期である。ヘーゲルも述べるように、中世においては、哲学が「神学の侍女」と呼ばれたように、中世まで「信仰と知」の問題は、あくまでそれ自身、宗教内部の問題であった。

Vgl. ユスティノス「ロゴス概念は、理性と啓示の間を仲介する」
   テルトゥリアヌス「不合理なるがゆえに、われ信ず」
   アウグスティヌス「信ずるために理解し、理解するために信ぜよ」
   アンセルムス「理解せんがために、われ信ず」
   トマス・アクィナスー信と知の区別

しかし、近代に入り、デカルトに代表される近代的自我の発見やガリレオやニュートンによるいわゆる近代科学の成立によって、信仰と知の問題は、哲学内部の問題となった。近代科学(学問)が、神を必要とせずに世界の出来事を説明するとき、啓示信仰は根底から揺り動かされる。そして、ヘーゲルが指摘するように、まさに近代において、神学と哲学、信仰と知が分離することになる。

Vgl. カント「私は信仰に場所をあけるために、知識を取り除かなければならなかった」(KdrV, B XXX)
  シュライエルマッハー「絶対依存の感情」
   ブルトマン「史的イエス」

さらに、現代においては、ますます「信仰と知識」は分離してしまっているのではないだろうか・・・?個人の私的な心の状態の「信仰」が、客観性を伴った真で確実な「知識」たりうる条件は何であるのか?(「信仰」が単なる迷信や盲信と異なる点は何か、すなわち、「信仰」とは何であるのか?)聖書に描かれた「信仰と知識」の一致とは、一体どのようなことが目指されているのだろうか・・・

Vgl. パウロの「信仰義認論」と「信仰と知識」の関係性

「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身につけ、日々新たにされて、真の知識に到達するのです」(コロサイ:3:9-10)

「わたしはこう祈ります。知る力と見抜く力を身につけて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」(フィリピ:1-9)

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