今、私たちは受難節(レント)の旅を続けています。主日礼拝ではここ数週間「悔い改め」(私たちが神の側に向きを直す)をテーマにお話をしています。
今日は、私たちの生き方や人生について考えてみたいと思うのです。私たちの人生は山あり谷ありです。今日の箇所は、「放蕩息子のたとえ」として、よく知られています。このルカによる福音書だけに見られる主イエスのたとえ話です。本来はこの箇所をじっくり読めば、礼拝で「説教」をすることなど必要ないかもしれません。ここに出てくるのは父親と二人の兄弟です。「放蕩息子」とはこのうち弟のことを言っているのですが、私はむしろ今日、父親や兄の心情に焦点を合わせてお話をしたいと思います。
「お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください」(12節)と年下の方(の息子=岩波訳、新共同訳では「弟」)は父親にと言いました。つまりこれは父親の生前に遺産相続をして欲しい、ということなのですが、これは当時でも現在でも中近東の国々ではありえないことなのだそうです。まるで「父親が死ぬのを待てない」と言っているかのようです。弟はこれまで大切に育ててくれた親との縁を切り、家族から離れて遠い国に行ってしまうのでした。弟の心の中では父親は死んだも同然だったかもしれません。財産の分け前をすべて金に換えて、そこからは自分の思うがまま……好き勝手に振る舞い、ついにそのお金を全部使い果たしてしまうのです。
その頃、その地方に飢饉が起こりました。弟はある人のところに身を寄せ、豚の世話をする仕事にありついたのです。ユダヤ人にとって豚は汚れた家畜で、豚を食べることは決してありません。豚の世話をすることはたいへん屈辱的なことであったはずです。そのような場所に居たということは故郷から遠く離れた異国であったこともここから判るのです。
「いなご豆」は貧しい人の食べ物にもなりましたが、それすら食べられないというのも、この弟のどん底の状態を表しています。そんな時、故郷の父親を思い出します。17節から「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。
皆さんはこの息子をどう思われるでしょうか。「ドラ息子」「バカ息子」と思うかもしれません。また身勝手な行動に映るかもしれません。息子はどん底に落ちた時、父親のいる家に「帰るしかない」と思ったのです。しかもここで大事なことはこの息子は「謝罪」をきちんとしようとしたところです。自分はふさわしい息子でなかったかもしれない。もしかしたら父は自分に会ってくれないかもしれない。そんな心細さを抱えて彼は故郷に帰りました。
そしてその時の父親のことを聖書はこう描いています。20節「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。やぶれかぶれの年下の息子に「まさか」と思うような出来事が起こるのです。普通であれば父親は息子が帰ってくることなど知りませんから、息子のほうから父親を見つけるのであれば、話はわかるのですが、この場合は父親のほうから息子を見つけ出したのです! 息子のほうは父親を「死んだも同然」と思っていたのに、父親はずっと息子のことを心配していた、そして帰ってくるのを待ちわびていたのです。
父親はただただ嬉しかったのです。21節と19節を比べてみると、息子が謝罪しようと一生懸命練習していた言葉が終わらないうちに、父親は上等の服を着せ、名誉のしるしの指輪をはめさせ、自由のしるしである履物を履かせるのです。それだけではありません祝いの宴を開くのです。
ここに父親が「憐れに思い」という言葉が出てきます。もう何度もご紹介していますように、ギリシア語で「スプランクニゾマイ」(はらわたがよじれるほどに)という意味です。私たちははらわたがよじれるほどに誰かの心配をしたことなどあるでしょうか。「憐れに思い」というのは少し上品に訳されています。沖縄の言葉に「ちむぐりさ」という言葉があります。「肝苦さ」と訳されるそうです。「胸が痛む」なんていうのとは数倍深さが違っているようです。「ちむぐりさ」っていうのは「スプランクニゾマイ」に近い言葉なのです。今目の前にいる息子を見て、はらわたがよじれるくらいになってしまった父親でありました。
皆さんはもうお気づきかもしれません。この父親とは神のことです。神は私たちが背を向けていてもいつかは立ち返って欲しいと願っています。手をいっぱいに拡げて今もなお待っておられるのです。どん底に落ちた私たちを「見つけて、はらわたがちぎれるほどに憐れんで、走り寄って、抱きしめてくださる」神はそのようなお方ですよ、と主イエスは言うのです。
「報いを望まで 人に与えよ」という賛美歌(『讃美歌21』566番)があります。私たちは何かをする時に、見返りを求めて、報いを望んで、していないでしょうか? しかし、神は無条件に与えてくださるお方です。私たちは「〜してくれるのであれば、〜してもいいですよ」とすぐに条件をつけて何かをしてしまいがちです。そして私たちは、神は立派で、善を行って、正しい人に「しか」祝福をしない、と勝手に考えてしまうものです。
神のもとには大きな「ゆるし」が備えられています。なぜ息子が帰って来たときに怒りもせずに大喜びをして迎え入れたのか、はなはだ疑問です。いつ神はおゆるしになったのか。皆さんはお判りですか? それは息子がどん底に落ちて、悔い改めたときだったでしょうか? 違います。遠い国での悔い改めなど、父親は知らなかったでしょう。息子が故郷の家に急いで帰って来た時だったでしょうか? 違います。父親は息子が帰ってくることなど知りません。それでは家に帰った息子が父に謝罪したときだったでしょうか? 違います。父親は息子の謝罪の言葉を最後まで聞いていませんでした。では息子はいつゆるされたのでしょう? もう一度20節を見てみましょう。「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて……」とあります。父親は息子が家を出た時点で、ずっと息子が自分のところに帰ってくるのを待ちわびていたのです。ずっと帰ってくるのを待ちわびていた……。
そして父親は最初から息子をゆるしていたのです。問題はその父親のゆるしを、いつ息子が「受け止めるか」にかかっていました。神はこのようなお方だと主イエスは今朝、私たち一人一人に教えてくださいます。私たちがどんなに神に背を向けていようとも、神は沈黙のうちに、静かに私たちの背を見つめて待っていてくださるのです。そして私たちがどれだけ放蕩をしようともはじめからゆるしてくださっているのです。私たちは今日、神の大きな愛とゆるしに気づく者となりましょう。
一方で気にかかるのは「兄」のほうです。このたとえ話は弟の側からすれば、有難いお話しです。しかし、兄の側からすれば「まさか! あの弟が帰ってくるとは!」と思ったはずです。28節「兄は怒って家に入ろうとせず」その兄を父親がなだめたとあります。兄の言い分はこうです。29節「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。お兄さんの言っていること、判らないわけではありません。私たちも似たようなことを言ったり、思ったりしたことはないでしょうか? どちらかというと私たちの姿はこの兄のほうに似てはいないでしょうか。正しい自分は、まじめに父親に仕えてきた、あの馬鹿で家出してしまった弟とは違う、ということを言いたいのでしょう。兄は自分こそがお父さんの財産を受け継ぐべきだとも思っていたはずです。
それなのに〈まさか!〉父親は弟を罰するどころか、歓迎しているのです。父親は「はらわたがよじれる」のでしたが、兄の方は「はらわたが煮えくり返る」ほどでした! 家に入って来ない兄の方に父親は自ら出向いて行きます。この兄だって弟と同じ大事な子どもです。そして31節の父親の言葉です。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」。父親は長子の息子にすべてを委ねてきました。それは弟に対する愛情と決して変わることのないものでした。この15章の1−3節には、主イエスがファリサイ派、律法学者にこのたとえ話をするということがまず記されてあります。実は兄の姿は罪人を切り捨てたファリサイ派、律法学者の姿そのものだと言えるのです。
この受難節、今、私たちは主イエスのご苦難に目を向けています。主イエスの十字架上で受けた傷を思いながら、私もこの時を旅する一人として多くの人の傷に向き合っています。さまざまな方々の受けた傷、この社会の中で、あるいは教会の中で傷ついている人たちの告白や相談を受けながら、私が申し上げられることは「共に十字架のイエスを見上げましょう」ということです。私たちの傷や痛み、すべて一切合切、今この時も主イエスが一緒になって苦しんでくださっている、十字架を見つめるたびにそのことを思い出したいのです。そして私たちが苦しんだままで終わることはありません。必ず平安が与えられます。イエスは十字架に架けられたのちにお甦りになった。父親が大きく手を拡げて、息子をギュッと抱きしめてくれたその腕が皆さんにも及ぶのです。私たちはその瞬間神からまた新たないのちをいただいて歩み始めることができるのです。これが神の愛なのです。