2021.12.24

音声を聞く

「分断線を越えて」

中村吉基

マタイによる福音書 2:1〜12

 

 皆さん、2021年の聖夜を迎えました。クリスマスおめでとうございます。

  イエスが生まれたベツレヘムはパレスチナ領です。エルサレムから車で数十分のところです。しかし、そこにはイスラエルが築いた防護壁があるのです。今ご覧いただいている絵は今夜せっかく東方の学者たちがキリストを拝みに来たにもかかわらず、防護壁で先へ進めないという風刺画です。なんと嘆かわしいことでしょうか!

 クリスマスの夜、真っ先にキリストの誕生が告げられたのは、貧しい羊飼いたちでした。彼らはユダヤの人びとです。長い間、ユダヤの人びと(ヘブライ人、イスラエル人)は不遇な彼らを救い出してくれるメシアを待ち望んでいました。しかし、今日の物語に登場する東方から来た学者たちはユダヤのベツレヘムで誕生した救い主イエスのもとにやってきます。学者たちは異邦人つまり外国人でした。これは救い主イエスがイスラエルという一地方一民族の救い主ではなく、世界の救い主であり、いずれの人もイエスの救いにもれなくあずかることができることをあらわしています。

 しかし、外国人で最初に救い主にお目にかかったのが、なぜ学者たちであったのか解せない気持ちがします。救い主は貧しい姿で、しかも飼い葉桶という家畜の臭いが染み付いた、しかもあまり衛生的ではない「場」で救い主は誕生されました。その救い主を拝みに来たのは、学者や王と言われるような、知的階級や地位のある人びとでした。これでは貧しく、小さくされた人びとを憐れまれる神の御心に反している気さえもします。これには何かわけがあるような気がします。

 今日の箇所の前後には、さまざまな当時のエピソードが描かれています。学者たちにだまされたと知ったヘロデ王はイエスが自分の地位を危うくするのではと幼子イエスを殺そうと、当時の二歳以下の男の子を皆殺しにします。その母親たちの嘆き、哀しみ、イエスを連れた両親のエジプトへの避難など暗く、重くどんよりとした事件ばかりを描きます。またこのあとのマタイによる福音書はエジプトから戻ったイエスが貧しい農民たちが住んでいたガリラヤで生活を始めるといったことを描きます。この主イエスがガリラヤに行かれたことこそが旧約の時代に預言者イザヤが「暗闇に住む民は大いなる光を見た。死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」という預言が実現したのである、とマタイ福音書(4:16)は伝えています。これは救い主が、抑圧された、差別された人びとのもとに身を投じるように入っていかれたことを示すものです。

 さて話を戻しますとその救い主が最初にみ姿を顕された外国の人びとが学者たちであったというのはなぜでしょうか。ヨーロッパの教会では長い間に亘ってこの学者たちはヨーロッパ、アフリカ、インドのそれぞれの王が「王の中の王」である主イエスを拝みに来たと解釈されていました。貧しい者、小さき者を愛される神、博識な人よりも無学な人を、健康な人よりも病の人を、しょうがいを負っている人、地位のない人、差別されている人、重荷を負い社会の片隅でひっそりと生きている人に神はスポットを当てて愛してくださるのに、なぜ学者たちなのでしょうか。

 実はこの「学者」と訳されている言葉は「マーゴイ」という言葉です。直訳すると「占い師」とか「魔術師」と訳される言葉です。彼ら占い師、魔術師というのはユダヤの社会では地位が高いなどというものではなく、とても忌み嫌われていた職業の人たちだったのです。人びとから軽んじられていて彼らマーゴイも「闇の中に住む民」であったのです。彼らも必死で救い主が来てくださって自分たちをそのような状況から救ってくれるのを待ちわびていたことでしょう。そのマーゴイたちに神は夜空に大きな星を顕して、彼らを救いへと手招きしてくださったのです。彼らも小さくされた人びとでした。これから主イエスに出会う人びとはみな小さくされた人びとでした。

 この主イエスを最初に拝むことが許されたマーゴイたちは、まさしくその小さくされた人びとの初穂として、主イエスのもとにやってくるのです。彼らを導いた星の光は、彼らの心を照らす光となったのです。しかし彼らの旅はここで終わったわけではないのです。主イエスの救いの光に照らされてまさにここからがスタートとなったのです。それは時には厳しい、重い、辛い、悲しい、危険な旅でもあったことでしょう。しかし神が共にいてくださる(インマヌエル)ことにより頼んで歩んでいったことでしょう。

 さて、私たちがここでクリスマスを祝っている時にも、世界を見渡せば平和を脅かされ、静かな夜も過ごすことのできない人たちがたくさんいます。その一つは香港の人々です。2019年、中国本土への容疑者引渡しができるようになる「逃亡犯条例」の改正案をめぐって大規模なデモが立て続けに起こったことは記憶にも新しいところです。現在もなお香港は厳しい状況に置かれています。今週行われた香港立法会の選挙では、民主派が全て排除され、親中派に占拠されるという結果が出ました。

 デモが盛んに行われていた時から現在まで、香港の若者たちを中心に「ある賛美歌」がデモでテーマソングのようにして歌われているというのです!

 「Sing Hallelujah To The Lord」(主を賛美しよう)は、日本ではまだ一部の教会でしか歌われていません。香港では政治的な集会やそのような内容の歌は取締りの対象ですが、宗教的な歌や集会は認められているそうです。インターネットで若者たちの歌声を聞くことができますがここでも聞いてみたいと思います。

 主を賛美する声! キリスト降誕の物語に天使たちの歌声に続いて、危険を顧みず、ほとんど命がけで香港の若者たちは今も歌っています。この賛美歌には抗議運動の対立や激化を落ち着かせる効果もあるという牧師もいます。まだ立法会のリーダーである林鄭氏はカトリック信者だそうですが、彼女にこの歌が届き、思いを変えるようにとの祈りもあるようです。

 神は主イエスがお生まれになった時、最も貧しい境遇にあった羊飼いたちをルカ福音書は描き、そして差別され、忌み嫌われていた占星術の学者たちを主イエスのもとへと真っ先に招いてくださったと今日のマタイ福音書は記しています。イエス・キリストはすべての人への救い主としてこの世に送られた神のみ子です。私たちも私たち自身のもとへと来てくださった救い主を仰ぎつつ、今私たちのすぐ近くにいる、悲しむ人、苦しむ人、差別されている人、病んでいる人、孤独な人のもとへと行きましょう。キリストが必ず共にそこにいてくださいます。主イエスとともに今夜ここから出かけて行きましょう。

※参考URL:
「1974年の賛美歌 "Sing Hallelujah To The Lord" は香港デモの頌歌となった」」(「TIME」デジタル版)
https://time.com/5608882/sing-hallelujah-to-the-lord-protestors-hong-kong-extradition-anthem/


 
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