今朝私たちは「主の祈り」の一節から聴きました。主の祈りは、6つの祈りから成り立っています。はじめに「神」に関する祈りが3つ、そのあとに「わたしたち」に関する祈りが3つ続きます。この6つの祈りで構成されています。前半の3つが御名・御国・御心が主語になっていまして、神がまことの神として崇められますようにという祈りとなっています。後半の3つは「わたしたち」が主語であり、わたしたち人間がまことに人間らしく生きられますように、という祈りになっています。今日は後半の祈りの1つ目、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」からご一緒に学びましょう。
私たちが生きていくためには食物は不可欠です。ですからはじめに「必要な糧を今日与えてください」と祈り求めること当たり前のことかもしれません。しかし、私たちがいつも主の祈りを捧げるときには、この部分をどれだけ切実な思いを込めて祈っているでしょうか。この日本という豊かな国で生活をし、何不自由なく生きている私たちが「必要な糧を今日与えてください」と祈るのです。
けれども、主イエスが生きておられた時代は違いました。
主イエスの時代には多くの人々が貧しさの中にあえぎ、苦しみ、栄養失調のために死んでしまう子どもの数もひじょうに多かったと言われています。ある説によれば、産まれてきた子どものおよそ半数は10歳になるまでに死んだといいます。そのような中でお腹をすかせた子どものために親は何とかして食べものを手に入れ、「良い物を与える」ために力を尽くしたのです。そのような時代の人々に主イエスは「主の祈り」を教えてくださったのです。私たちの親である神は食べるもの、必要なものを与え、私たちを成長させてくださるのだ、だから天の神を見なさいと指さした主イエスでした。
私たちも必要な食物に困る日が来ないとは言い切れません。それは戦争が起きたときのことだけではありません。今も世界中で災害などによって多くの人が被災され、「必要な糧」に困っています。
1995年の阪神淡路大震災のときにもライフラインが絶たれて多くの人がいのちを落としました。これからお話することは、その大震災の当時にある方が経験されたことを教えていただいた体験談をここに引用させていただきます。
私はこのお話を最初に聞いたときに、神はパンになって現れたのだと思いました。おとぎ話ではありません。先週の礼拝で私たちはヨハネによる福音書の6章から聴きましたが、主イエスは「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)。「必要な糧」というのは何も肉体的な飢え、渇きを満たすものだけを指すのではありません。人間の精神的な、心の飢え、渇きも指すのです。この時、大勢の人びとが一斤のパンを分け合って、一人ひとりの手に渡されたパンの分量は少なかったかもしれませんが、それを口に入れ、同じ味を味わった人びとには共通して、何かあたたかなものを感じ取ったでしょう。その方以外にはキリスト者なんていなかったかもしれません。仏教徒だって、宗教を信じていない人だって、そのあたたかみを感じられたでしょう。神なんて感じなかったかもしれない。しかし決して恩着せがましいことを言うわけではありませんが、そこに「匿名の神の愛」が働いた、と私には見えるのです。
今日の箇所、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」よく心に刻みましょう。主イエスは私たちに祈るときには、「わたしだけの糧」を祈るのではなく、「わたしたちの糧」について祈りなさい、教えられたのです。福音書の中にも主イエスが食事をする場面はたくさん出てきますが、主イエスはいつも誰かと一緒にパンを分かち合っておられます。自分ひとりでパンを独占したりすることはありませんでした。ブラジルの神学者でカトリック司祭のレオナルド・ボフという人は「神はわたしのパンのみを求める祈りには耳をお貸しにはならない。(中略)わたしたちのパンだけが、神のパンなのである」。という言葉を残しています。
そして命のパンである主イエスを一緒に歩みを起こそうとする、あるいはもう起こしている私たちも悲しみ、苦しんでいる誰かの「必要なパン」になることができるのです。また、私たちの教会も飢えている人を満たし、渇いている人を潤す、命のパン、命の水を喜んで差し出す教会にならねばなりません。
「隣人のために存在する時、教会ははじめて教会となる」とは第二次大戦でナチス・ドイツに処刑された神学者ディートリヒ・ボンへッファーの言葉です。今日の聖書の言葉とともに心に刻みたいと思うのです。
「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください)と祈ることは「平和」を祈ることにもつながるのです。