2021.08.01

音声を聞く

「平和のタネがまだあるなら……」

佐原光児

ハガイ書2:1〜5,19マルコによる福音書4:26〜32

 日本の教会には、8月の第1日曜日を「平和聖日」として礼拝を守るところがあります。その意味は大きく二つあると思います。一つは過去をしっかりと記憶すること。戦争と、その悲惨さとは何か。戦争という手段を選び、それを歓迎する人間の愚かさと弱さとは何か。たとえそれが自分の国にとって不名誉な出来事であったとしても、誠実にそれらと向かい合い、記憶し、伝える大切さです。例えば日本はアジアの諸国への侵略の歴史を記憶すべきですし、同時に原爆の悲惨さとその非人道性を伝える責任があります。また日本のクリスチャンは大戦時に戦争協力をした罪を負っています。敵国宗教として迫害を経験してきた日本の教会の中には、その反動として国家が推し進める戦争に協力を表明し、教会で寄付を集めては人を殺す戦闘機を贈呈した事例もあります。良いクリスチャンではなく、当時の国家に都合の良い日本人になろうとしたのです。

 「平和聖日」のもう一つの意味は、平和を前進させる決意をすることでしょう。それには、わたしたちが神の平和を実現するために重要な一人一人であるとの自覚が必要です。諦めや無力感を超えて、この時代の中で何が平和なのか、どのように創造していくかを考え、行動へと移すことです。わたしは今回、中村牧師から紹介いただいて、代々木上原教会のHP上に掲載された「教会の姿勢」「戦争責任告白」を読ませてもらいました。わたしが大切にしたいと思っていたことは、この二つによく表されているように思いました。

 今回のこうして話をする機会をいただきましたが、準備する中で思い出したことがあります。わたしが最初に勤めた教会は代々木上原教会と同じ西南支区で、当時社会担当をしていました。その頃の社会担当は毎年「平和講演」を企画し、それらの講演を書き起こして「キリストの平和」という冊子を2巻発行しています。実はその一連の講演の中に、当時の代々木上原教会の牧師・村上伸先生の講演が収められています。2007年10月のことです。

 当時の村上牧師の講演のタイトルは「イエスに従う道」で、インド独立運動のガンジー、アメリカの黒人のための公民権運動のキング、イスラエルとパレスティナの和解を求め、民族を超えて協力したサイードとバレンボイム、ナチス政権に抗い処刑されたボンヘッファーなど、平和のために生きた人物に触れ、イエスに従う生き方に焦点を当てて話されました。紹介された人物たちに共通するのは犠牲と責任を引き受けながら愛と和解を示した点です。その生き方と歩んだ道は、今日においてもなお重要だと思います。

 「イエスに従う道」。「道」というと、ぱっと浮かぶのは「Foot Prints」(あしあと)という詩です。「ある夜、わたしは夢を見た。私は、主と共になぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。一つはわたしの足跡、もう一つは主の足跡であった」で始まります。しかし人生の一番辛い時、悲しい時に、足跡は一つしかないことに作者は気づきます。そしてイエスに文句を言うのです。あなたはいつも一緒にいると約束したのに、最もあなたを必要とした苦しい時になぜ足跡が一つしかないのか。なぜわたしを見捨てたのか、と訴えるわけです。するとこの詩は次のような言葉で結末します。

 「主は、ささやかれた。『わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。あしあとが一つだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていたのだ』」。ここには共にいて、必要な時には人を背負う神やイエスの姿が描かれています。

 代々木上原教会の現在の牧師・中村先生は明治学院高校でも教えておられますが、実はわたしもそこで教えていた時期があります。今日はもしかしたら明学生もオンラインで礼拝に参加しているかもしれません。

 わたしが高校で教えていた頃、1年生の授業でこの詩「あしあと」を紹介し、期末テストで「この詩において浜辺に1人分の足跡しかなかったのはなぜか。詩の作者が最後に気づいたことを書きなさい」という問題を出していました。サービス問題のつもりで、答えは「辛くて歩けない時、実はイエスが作者を背負っていた」となります。しかしわたしの教え方がまずいのか、当時いくつもの珍解答と出会いました。

 たとえばある生徒は「神は心の中にいたから」と答え、危うく正解にしてしまいそうです。あるいは「海の波で足跡が消されたから」「前の人の足跡の上を歩いたから」と思わず、「座布団一枚」あげたくなる解答。さらには「誰にも頼らずに一人で歩いてきてしまったから」と孤独な旅人を思わせる解答。極め付けは、『その人が、神を背負って歩いていたから』というものまでありました。ついに「人が神を背負う」時代なのか、と考えさせられたものです。

 これらは解答としては不正解ですが、信仰者の現実を映し出していると思います。わたしたちは神に背負われているよりも、神を背負うような重い足取り、苦難、孤独を歩むことがあります。特に現代の物質中心主義や経済への行き過ぎた信仰、オリンピックに代表されるごく一部の人たちの間で利益が分配されるようデザインされたお祭りの傍らで、命や平和を大切にしようと本気で訴えること、イエスの道に従って生きることは大変なことです。まして「神なんて信じているのか」と言われるこの時代に、神の想いやイエスの命への眼差しを抱えて生きることは、まるで重たい荷物を背負っていると感じることもあるでしょう。

 しかし、こうも考えます。重い荷物を、大切な荷物を背負う苦しさを知る人こそが、本当の意味で自分が背負われることの意味、そこに秘められた慰めや、あるいは喜びを知ることができるのだと。

 今日の平和聖日においてハガイ書を選びました。この書物の重要メッセージは、実は先ほどの詩「あしあと」と同じ、「神はあなたと共にいる」なのです。預言者ハガイは今から2530年ほど前の人物で、ハガイ書の出来事はバビロン捕囚が終わってから17、18年後のことだと言われています。バビロン捕囚は、ユダ王国が新バニロニア帝国に徹底的にやられ、戦争奴隷として遠い外国に収容された出来事です。しかし支配者・バビロニア帝国は後にペルシャ帝国に敗れます。この地域の覇権を握ったペルシャは、捕囚されていたイスラエル民族が故郷に帰ることを許可し、こうして捕囚生活が終わりを告げます。

 バビロン捕囚から故郷に帰って17、8年経つわけですから、「苦しみの時は終わった。さあ新しい希望の時代を生きよう」と意気揚々としていたかといえば、そうではないようなのです。研究者たちは、捕囚後約20年間は物不足で厳しい生活だったろうと指摘します。何より彼らの心を打ちのめしたのは、神がおられるはずの神聖なエルサレム神殿がバビロニア帝国に滅ぼされたまま約67年も放置されていたことでした。まるで自分たちの心の荒廃を表すようです。精神的・信仰的支柱である神殿はみすぼらしい廃墟のままです。つまり神も尊厳ある自分も死んだ状態にハガイたちは立っていたのです。

 預言者ハガイが言葉を投げかけた人々の根底にあるのは「虚しさ」でした。希望も喜びもない中、次第に人は「自分さえ良ければ」という生き方を始めます。それは今の時代でも同じですよね。面白いことに、ハガイ書1章には「多くの種を蒔いてもほとんど収穫はない」「服を兼ねてもちっとも暖かくならない」というような表現が出てきます。何をしてもまるっきり結果につながらないのです。今日はこの画面(zoom)の向こうに高校生が多く参加してくれているようですが、きっとそうした虚しさを、若者も、そしてわたしたち大人も沢山経験します。

 極め付けは、「お金を稼いでも穴の開いた袋に入れるようなもの」といわれていることです。面白い表現です。幸せやお金を貯めようと袋にいれても、チャリーンとこぼれ落ちていく。心に穴があるのです。幸せが手の隙間をすり抜けていく虚しさがあるのです。そうした虚無感が充満し、また自分のことだけに捉われた人々に向かってハガイは、「自分の歩む道に心を留めよ」と繰り返し語りかけます。今までどんな歩みをしてきたのか、今あなたには何が見えるのか、どんな歩みをあなたはこれから望むのかをしっかり見極めよ、と語りかけます。

 預言者ハガイの言葉で注目したいのは、「神殿をたてよ」という語りかけです。「神殿を立てる」とは、第一には破壊されたままだった神殿の再建を意味します。しかし、わたしは単に建物の再建が重要なのではなくて、当時の状況と今日とのつながりを考える時、ハガイは「神が自分と一緒にいてくださることが分かるような生き方を建て直しなさい」と語りかけたように思うのです。

 苦しみや徒労感、時に虚しさもあるでしょう。しかしその中にあっても、神はわたしと共にいて、ここから何か良いものを創り出してくださる希望を生きるのです。本来神殿とは神聖さと頑丈さを兼ね備えるわけですが、わたしたちは神と共に生きる歩みをもって、神が宿る自分自身を形作っていくのです。

 わたしはアメリカの日系教会で牧会をしていたことがあります。第二次世界大戦中、西海岸にいた日系移民、日系アメリカ人たち約12万人は強制収容所に入れられました。その中に小平尚道というアメリカで生まれた2世の牧師がいました。1世が収容所に入れられるのは戦争中ですから理解ができます。しかし問題は、アメリカで生まれたアメリカ市民、アメリカ人として教育を受けていた2世、3世も敵性外国人として収容所に入れられたことでした。小平は多くの物を奪われ、母国アメリカから敵として扱われて収容所に入ります。その時彼は一冊のノートを取り出し、「神は愛であるか」と書きなぐりました。小平は、母国に切り捨てられた失意と非人道的扱いへの怒りの中で「神は愛ではない」と証明しようとしたのです。こんな非人道的出来事を許す神は愛でない。そんな出来事を収容所内でノート一杯に書き留めてやろうと決意したのです。

 牧師とは思えない発想ですが、それほど失意と怒りは深かったのです。しかしそんな彼が実際に収容所で経験したのは人の支え合い、愛の行為ばかりでした。小平は収容所で結婚式を挙げていますが、物不足の中、友人たちが貴重な砂糖を少しずつ持ち寄りウェディングケーキを用意してくれます。厳しい生活だからこそ互いが愛によって支えられていると実感したのです。彼が収容所を出る時、かつて「神は愛であるか」と怒りを込めて書きつけたノートは、なんと真っ白なままでした。それはイエスの生き方を実践する人々に触れたからでした。

 ハガイが生きた時代は「敗戦後の復興の厳しい時」といえます。8月15日には敗戦記念日を迎えますが、76年前、戦後焼け野原の中で一から始めた人の状況と似ているかもしれません。周辺の強国に翻弄された姿は基地や軍隊を押し付けられて悲鳴をあげる沖縄と重なります。また近年、全国各地で発生する地震や大雨、台風の被害で住む家やコミュニティを追われた人々の現実とも繋がるでしょう。またミャンマーや香港など、権力者に弾圧され、命を奪われている恐怖に重ねることもできます。

 そして新型コロナウィルスによる鬱蒼とした生活、またそこで先鋭化していく人への攻撃性、自分だけ良ければ良いとの想いと重なるのではないでしょうか。また病で愛する人を失った人の悲しみ、そして終わりの見えない中で医療に従事する人々の徒労感や虚しさと重なるように思います。

 その虚無の中で神はハガイを通して「わたしはあなたの中で、共に生きている」と語るのです。傍らとか、隣とか、もうそんなレベルではなく、「神の力はあなたの中に働いている」と宣言されているのです。

 何をしても実らない虚しさの中、ハガイは「倉にはまだ種があるか」(2章19節)と問いかけます。この種は希望といえるでしょう。わたしたちは問われているのです。「まだあなたには平和のタネがあるか、希望の種はあるか。信仰の種はあるのか」と。「何をしても意味がない」とはいわず、「この日からあなたの蒔く種は豊かに実を結んでいく。だから信じて蒔きなさい、信じて表現しなさい」と言われているのです。

 思えば、イエスの例え話や、発言の中には種に関するものが沢山ありますね。その中の一つは、今日読んだマルコ4章26節以下です。神の国は種の成長のようだと言われています。人は種を蒔くがどのように成長するか細部までは知りません。しかし知らない内に大きく成長させられ実を結んでいきます。ここでイエスは、小さな種が成長する出来事の中に神の働きを見ています。小さな種からの広がりを信じています。わたしたちの業は小さくとも、神のみ手が働いて広げられていく信頼です。その信頼とともに平和のための生き方を、自分のタネとして蒔きましょう。

 いつも始まりの日なのです。始まりの日を、わたしたちは今、生きているのです。昨日タネを蒔けなかったかもしれません。でも今日、問われているのです。神はわたしたちに問うのです。「平和のタネはまだあなたにあるか」「あなたの教会に平和のタネはあるか」と。

(祈り)
 神よ、日常生活の中で、自分のこと、自分たちの利益のことで精一杯になるわたしたちがいます。見えることだけに捉われ、悲観的になることもあります。そのような時、あなたは一人一人の名を呼び、「あなた自身をタネとして、信じてこの世界に差し出しなさい」と語りかけられます。

 被災地や、権力者の圧政で苦しむ人々と共にいてください。オリンピックという大きなお祭りの影で、また上空を飛ぶ戦闘機を見上げるわたしたちの足元で、本当に苦しんでいる人が見えづらくなっています。改めて、イエスに続く道、命を大切にする歩みをすることができますように。

 特に今を生きる若者たちの歩みを通して、代々木上原教会のお一人お一人の歩みを通して、平和と愛をこの世界に示してください。主の御名によって祈ります。アーメン。


 
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