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20年ほど前、父の遺言で、「島には飛行機で行くな、船で行くように。滑走路には、いまもたくさんの骨が埋められているから……」と言われていました。私は島にはまだ行ったことがありませんでしたが、父が亡くなった後、初めて島を訪れた私は、遺言を守り船で渡りました。父や祖父に縁のある地はすでに何もない空き地でした。父が生前に語っていた美しい海岸は、いまは海水浴場になっていて、権力者が海水浴場を開発したことを記念する碑が立っていました。そのとき、耳には決して聞こえないはずの「ブーン」というとても低い音を感じました。その後、いろいろな仕事でやむなく飛行機で島を訪れることになった私は、着陸する際の轟音をくぐり抜けるように響く「ブーン」というあの音を何度か感じることになりました。
「島」とは韓国・済州島で、「音」は、1948年に権力によって亡き者にされた人びとの放置された骨が埋まっている場所で私に届いたものでした。国の分断を支持する者たちが勝手に決めた単独選挙に多くの人が反対の声を挙げました。骨は、あまたの、反対の声を挙げた人、身に覚えはないが反対の声を挙げたと徴づけられた人たちのものでした。父や祖父も徴づけられ日本に逃れてきたのだと聞きました。
当時、現在の北朝鮮の地域から南側へ多くの人々が渡ってきていました。中にはソビエトの占領によって土地を奪われたり弾圧を受けたクリスチャンもいました。胸が締め付けられる思いをするのは、越南してきた人々が単独選挙に反対する人たちを「共産主義者」とみなして軍や警察の虐殺に加担したという事実です。現在も、済州島では教会がこの事件をめぐって分断されています。
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聖書には「残りの者」という表現が出てきます。パウロがエリヤの箇所(列王記上19章)を引用して語った箇所です。エリヤは、神に背いたイスラエルの民が預言者を殺害し神殿を破壊したことを神に訴え、「私だけが一人残った」と訴えます。パウロ自身「私だけが一人残った」とのエリヤの言葉を借りて、「現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています」と語り、自らを選ばれたベニヤミン属に属すること、そして「残りの者」の「選び」は「異邦人」を媒介に究極的にイスラエル全体の救いに至ることが11章全体を通じて述べていきます。
このように「残りの者」は「選び」の文脈で語られることが多いと思います。
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ところで、パウロは、エリヤの言葉を引用しながら、エリヤが訴えた殺された預言者たち、おそらくは手厚く葬られることなく骨となったであろう者たちの声については触れていません。エリヤ自身も「残りの者」としての自分のことを語るだけで、骨たちのことは少なくともテクスト上は後景に退いています。
しかし、神は、エリヤへの応答として、バアルに屈しなかった者「七千人」をご自身のために「残した」と告げます。この言葉は猛烈な迫害のなかで孤立していたであろうエリヤに「あなたはひとりぼっちではない」ということを告げているように感じます。
「残りの者」とは単に正しさによって「選ばれた」者ではないのではないか。「残りの者」とは単に「選ばれた」のではなく、また単に生き延びただけでもなく、骨たちの「声」を証言することを委託された者なのではないか。あの「ブーン」という音の残響がいまも耳に残っている私にはそう思えてなりません。「残りの者」とは、骨たちに代わってこの世の不義の告発と同時に、骨が語り尽くせなかった夢や希望や幻を証言する者でもあるのではないでしょうか。そして何よりも、放置され続けた骨こそが「残りの者」を「残りの者」たらしめているということ。そのことを忘れてはいけないと思うのです。
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「雪風」という駆逐艦に搭乗した元海軍特別少年兵の証言に先日テレビで接する機会がありました。ある人は14歳で志願しました。母子家庭で育った彼の志願をお母さんは反対したそうです。彼は、沈没した戦艦大和から逃れてきた負傷兵を救おうと手を差し伸べたときに、自分も助かろうとその負傷兵の足を掴んできた下士官を、負傷兵を救うために棒でつついて沈めざるをえなかった経験を語っていました。一度沈んだ屍は浮かびあがって来たのですが、シャツに入り込んだ空気でつくられた二つの膨らみがうらめしそうにこちらを見つめる眼のように見えたそうです。そしていまでもたびたびその風景を想い起こすそうです。
他の少年兵は、熱狂のなかで歓呼とともに送られました。しかし、船上で負傷したり餓死した多くの少年兵が海に投げ込まれるのを目撃しました。彼は、「英霊」として祀られること、「名誉の戦死」と語られることに疑義を示していました。「残りの者」としてそのように証言した彼らが帰郷したときふるさとの人びとが歓呼をもって迎えることはありませんでした。
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佐喜眞美術館で「沖縄戦の図」を見たことがあります。「集団自決」を強いられた人々の眼は虚ろでした。殺し殺される現場を目撃した人々の眼もまた虚ろでした。死や、極端な恐怖の経験によって記憶が抑圧されて「証言」に至らない心の有り様を、それらの眼が物語っていました。黒目が省かれて描かれたそれらの眼は、しかし「語り得ないもの」の在処を見つめているようでもありました。殺す兵士の姿も描かれていました。たとえば、スパイ容疑をかけられた朝鮮人の首を絞める兵士の眼も虚ろでした。米軍の攻撃に晒されないように琉球の衣を羽織っていたその兵士のそれは、しかし、何かを「見つめる」のではなく、あえて「見ない」ようにする心の虚ろさを、脅迫的に確保しようとしているように見えました。館長の佐喜眞さんは、まるで「集団催眠」にかけられている人の眼のようだと語っていました。そして、その眼が「証言」に向かうことはほとんどないともつぶやきました。
ここに描かれている人たちの骨の多くは顧みられることもないまま今、土ごと新しい基地の敷地の埋め立てに使われようとしています。
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パウロは「選ばれた者」と「かたくなにされた者」を対比させています。「かたくな」とは、8節に「鈍い心、見えない目、聞こえない耳」(イザヤ書の引用)などとあるように、危機の前ですべての感覚が「催眠」にかけられたように麻痺することを指します。
パウロは「選ばれた者」と「かたくなにされた者」を対比させていますが、いまを生きる私たちは、「残りの者」なのでしょうか、それとも「かたくなにされた者」なのでしょうか。現代の「かなくな」とはどういうことでしょう。例えば、人のいのちよりも「安心、安全なイベントの実行」を大事にする為政者のあり方。「復興五輪」を標榜しながら福島の地でいまも苦悩のなかにいる人に想いを馳せることの欠如。あるいは、日々発表されるコロナウイルスによる死者を「数」だけで理解している私たちも「かたくな」から自由であると言えるでしょうか。
韓国も日本も、国家は、骨の存在を忘却しながら、あるいは骨の痛みをなかったことにしながら、自らの「義」を語る「かたくなさ」を露にしていないでしょうか。
欺瞞を騙る現代の「かたくなにされた者」の声にかき消される多くの骨の声をこそ「今の時」(5節)、私たちは聴かなければなりません。パウロが語る「今の時」とは、そのように「聴く」ことへと私たちが誘われ始める「時」だと思うからです。
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私たちが生きる「今の時」にほとばしる聖書の言葉は、先述した「選び」の文脈から離れて、「残りの者」は、「ユダヤ人」や「異邦人」という、人間が存在に与える規定を超えることを示していると感じます。私たちは多くの場合、「かたくなにされる者」であることから自由になることが難しい生を紡いでいます。しかし、ある哲学者が言うように、「人間とはかぎりなく破壊されうる破壊されえないものである」のだとしたら、私たちのすべてが、「かたくなにされる者」であると同時に、「残りの者」として骨の声を「なかったこと」にしないために「声」をよみがえらせる神の期待を担っているのではないでしょうか。
「かたくな」である実存のまっただ中に、「今の時」、「言葉」は、骨の声のよみがえりに向かって私たちが歩みだすように働きかけていると信じます。そして「言葉」は、ときに「かたくなにされた者」かもしれない私たちが、この「今の時」、暴力によって骨になった、あまたの者たちの「声」のよみがえりの方へ生き方を転回することを願っていることも。「今の時」にそのような「よみがえり」の場に臨んでいるものこそ、復活のイエスの「いのち」だと信じます。
そのことを胸に刻みつつ、あまたの骨(済州島、沖縄のガマ、北海道の大学の研究室、東京の荒川土手、どこかの海底……に今も埋もれている骨)の声、いまも救われることを待っているあまたの骨たちの「声なき声」に耳をすませながら、「今の時」、「言葉」とともによみがえる骨たちの夢や希望に連なる方向に歩む者でありたいと思います。