2021.06.27

音声を聞く

「千の言葉よりも一度の寄り添い」

中村吉基

哀歌3:22〜33マルコによる福音書5:21〜43

 6月の最後の主日礼拝ですが、この6月は世界中で「プライド月間」と呼ばれる1か月でした。初めてお聞きになった方があるかもしれません。

 世界各地で性的マイノリティ(LGBTQ+)人権啓発のためにさまざまなイベントが催されます。プライドというのはご存知の通り、「誇り」「自尊心」を表す言葉です。「プライドを傷つける」などと使われますが、一人一人のプライドを尊重しよう、そのような契機になろうとするのがプライド月間です。1969年6月28日、アメリカ・ニューヨークのLGBTQ+の集まる「ストーンウォールイン」というバーに警察の手入れがありました。このバーへの手入れは事件性がないのにもかかわらず、警察官の点数稼ぎのためにたびたび行われ、検挙、不当逮捕がされていました。しかし、この夜そこにいた性的マイノリティの人たちは必至に抵抗しました。それは3日も続きました。この「ストーンウォールの反乱」と呼ばれる出来事はまたたく間に世界中に知られることとなり、アメリカだけではなく、性的マイノリティの人権運動が起こる機会になりました。ですからこの6月は特に第4週はプライドサンデー(主日)として教会でも記念しています。私も今月の初め、名古屋学院大学のレインボーチャペルアワーのために、録画した聖書のメッセージをお送りしました。

 今、インターネットのYouTubeでもそれをご覧いただけますが、奇しくも今日と同じ、ヤイロの娘の癒しのお話をマタイによる福音書の記事からお届けしましたが、私たちは礼拝でマルコによる福音書から聴き続けています。今日6月27日の聖書日課はマルコ版のこのエピソードが選ばれております。

 会堂長をしているヤイロという男が主イエスのところにやってきました。彼の娘さんが今にも死にそうだと訴えました。この父親は主イエスがきっと奇跡を起こしてくださるだろうと信じて、ここにやってきたのでした。

 するとそこにちょっと割り込んできた人がいました。12年間も出血が止まらない病気の女性です。今日の箇所には病名や詳しい病状のことは書いてありません。しかしそんなにも長い間病によって苦悩が続いている人であることには間違いありません。出血している人は汚れたものとみなされて、人や物に触れることは許されないことでした。しかし、彼女はイエスの服に触れたのです。触れたのならば「いやしていただける」(28節)と信じていたからです。

 主イエスは「今忙しいから」とか「ちょっと待って」とは一切言われません。

 この女の目を見て「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」と言葉をかけられます。他の聖書(佐藤研訳)では「あなたの苦しみから〔解かれて〕達者でいなさい」とこの箇所は訳されています。

 そのあと、主イエスはこの男の家に自ら進んで向かわれました。けれどもそうこうしているうちにヤイロの娘は亡くなってしまったのです。主イエスはヤイロの家に行くことをおやめになりませんでした。家に入り、死んでしまった娘の手を取って「なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」(39節)と言われました。そして「タリタ、クム」(少女よ、起きなさい)と主が言われるとその通りに少女は起き上がりました。その時のヤイロの喜びは、格別のものであったでしょう。幼い子どもを亡くした父親の嘆きに、主イエスは心の底から同情されました。

 それからこんなことも書いてあります。主イエスの一行がヤイロの家に着いた際に「人々が大声で泣きわめいて騒いでいる」のを見た、とあります。マタイによる福音書のエピソードはもう少し踏み込んでここを描写しています。「イエスは、指導者の家に着き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、言われた。『あちらへ行きなさい』」(マタイ9:23以下)。主イエスは「笛を吹く者たちや騒いでいる群衆」を外に出されました。

 これらの人たちはいったいどんな人たちなのでしょうか? それは人の悲しみをただ見物に来た人たちです。「笛を吹く者」は葬式の時に雇われた人です。貧しさゆえにこのような職についていた人たちのようです。けれども決して心から悲しんでいる人とは思えません。「笛を吹く者たちや騒いでいる群衆」は主イエスとは正反対の「同情しない人」です。主イエスはただうわべだけで人の不幸な出来事にかかわろうとする人たちを遠くに押しやりました。

 数年前のことでした。私がこの教会に参ります前に働いていた新宿の教会に、Aさんがやってきました。Aさんは何年も一緒に暮らしていた同性のパートナーを病気で亡くしたのですが、お互いの両親や親族に自分たちの関係を話していなかったので、パートナーの臨終に立ち会えず、その後もたくさんの不都合なことが起きました。ただ、亡くなる日の早朝、誰もいない病室でパートナーと2人だけで結婚の誓いをしました。その数時間後にパートナーは亡くなってしまったのですが、その誓いは果たして正しかったのだろうかと、Aさんは教会に来て私に問い続けました。

 でもその質問に対して私は即答できませんでした。誓いをしたこと自体は間違いじゃない、でも神さまの前で正しかったのですかと聞かれると答えに窮したのです。でもAさんと話し始めて10分くらいして「わかりました。改めて結婚式をやりましょう」と言っている自分がいました。

 私がそういったのは、決して式を「やり直しましょう」という意味ではなく、結婚式を改めてすることによってダメージを受けたAさんの心が癒やされると考えたからです。グリーフケアというのでしょうか。Aさんの心に寄り添いたい。それで式をやった方がいいのではないかと思ったわけです。

 しかし、自分から提案しておいて、これは困ったなと思いました。今まで牧師としていろいろな方がたの結婚式を執り行ってきましたが、亡くなった人と生きている人との結婚式なんてもちろんしたことはないし、当然そのようなケースでの結婚式文などあるわけもなく、どうすればいいのかと頭を抱えました。それでいろいろな牧師仲間に事情を話して、相談して、知恵を借りて、都内の教会でその2人を知っている人、亡くなった後に遺されたAさんを支えている周りの福祉関係者など20人くらいを集めて結婚式をしました。Aさんがパートナーと死別して10ヶ月後、教会を訪ねて来てから4ヶ月後のことでした。

 Aさんが1人で、亡くなったパートナーの遺影を持って通路を歩き、Aさんの手にリングを2つはめて指輪交換としました。もちろん相手方の親族に知られてはいけないので完全シークレットで、表向きには追悼集会のように、これまでAさんたち2人で歩めたことを感謝するようなエピソードも織り交ぜながら行いました。記念会と結婚式が一緒になったような感じでした。私としても得難い経験となりました。

 Aさんは教会の礼拝に出席し始めた頃、事情を知っている教会員はまだまだAさんの癒えない悲しみをおもんばかって「気を落とさないでね」「Aさんが元気で居なければだめじゃないか」といろいろ気遣って言葉をかけておりました。次第に教会にAさんがお友達やらいろいろな人を連れてくるようにもなりました。お茶やお菓子を持ってきて一緒に食べてくれる人もいました。でもAさんがいちばん慰められ、力づけられたのは、ある友達の姿でした。その人は結婚式の時に最前列で号泣しながらAさんを見守っていましたけれども、何時間も何時間も、何日も何日も寄り添っているだけ、言葉もありません。ただただ黙ってAさんに寄り添っていました。その姿は、同じ気持ちになることなんてできないけれども、あなたが辛いことは理解できると言っているかのようでした。

 でも反対にAさんにもこういう人たちも近づいてきました。Aさんの体験を利用して美談に仕立ててどこかに掲載しようとしたり、本人は悲しみが癒えていないのに何か「お金儲け」のために、利用しようとした人たちもおりました。実はこういう人たちが、マタイ版のエピソードに書かれてある「同情できない」「笛を吹く者たち」や「騒いでいる群衆」同じではないかと思うのです。

 私たちは主イエスのように奇跡を起こすことが出来ません。けれども、主イエスは他人の話にじっくりと耳を傾けています。そしてその人が今、何を必要としているのかを的確に判断なさいました。私たちはそこまでできなくても、他人の話に耳を傾けるだけで、その人がいやされる一歩となることがあります。現代人はまさにスピードを早くしていますから、悩んでいる人もなかなかそういう忙しい人たちに自分の心を打ち明けることはできません。しかし私たちが愛を注ぐとき、優しい気持ちでその人に接して、ただその人の話に耳を傾けていくだけで、その人の重荷は取り除かれることになるかもしれません。

 私たちは本来「同情することのできる者」として神さまから造られているのです。神さまは、私たちが愛し合い、同情し合うことによって生きていくことをお望みです。ですから、私たちが勝手に、自分の都合で心を閉ざしてしまったり、心に鍵をかけてしまうことは本来の姿ではありません。そして私たちの周りには皆さんの愛を、同情を必要としている人たちが必ずいるはずです。私たちが神さまのみこころを行うチャンスと言えます。そして私たちには「他人の痛みを自分の痛みとして感じる」力が備わっています。私たちには神からそのような力を与えられていることを感じながら今日からの新しい1週間を過ごしていきましょう。


 
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