教会暦によりますと、去る2月17日が灰の水曜日で、この日から教会は受難節に入ります。その後、日曜日を数えないで40日の間、受難節が続き、3月28日から、いよいよ受難週となります。更にキリストの受苦日が4月2日の金曜日、そして4月4日がイースターとなります。受難節を英語ではレントと言いますが、それはラテン語で「長い」と言う意味をもっています。受難節はその言葉通り、長く続きますが、今日はその第2主日礼拝を迎えています。
先ほどご一緒に捧げた讃美歌296番は主のご受難が私達にどのような意味を持っているのかを良く伝えています。どの節も深い意味を伝えているのですが、本日のテキストとメッセージに関わるのは5節で「主の死は我が死の恐れ取り除く」に関わっています。(ドイツ語の讃美歌エルンスト・ホンブルグの詞は日本語に比べて易しく子供でも親しみ易く歌えます。:各節の終わりが:「千回、千回もあなたに捧げる、愛するイエスに、感謝を」とあります。Tausend , tausendmal,sei dir, liebster Jesu, Dank dafuer:日本訳の「感謝捧げよう。愛するイエスに」も素晴らしく、明治学院大学・秋元 徹先生の名訳です。)
山上の説教もいよいよ終わりに近付いて来ました。本日のテキストから、山上の説教・第五部である「締めくくり」「結び」の章に入ります。モーセ五書に拘っているマタイ記者は5と云う数を重視し、もともと、別々にあった伝承を5つ寄せ集めて第五部の「結び」にしようとしています。本日の聖書テキストのうち、15節から20節にかけては、ルカ福音書にも同じ内容のテキスト(Q)があります。ルカのテキストとマタイとを比べると、マタイ記者が独自の言葉を付け加えている事が良く分かります。それが冒頭の7章15節です:「偽預言者を警戒しなさい。かれらは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。」
マタイはこれを第五部の5つあるうちの2番目に据えているばかりでなく、これを、山上の説教・結びの中心に置いているのです。山上の説教を閉じるにあたり、マタイ記者が最も留意し、読者に訴えておきたい事、それは、偽預言者を警戒することであり、また、イエスの教えをしっかりと身に付け、これを守り、良い実を結ぶ事であります。そうすれば、終わりの時(自分が死を迎える時、また、世の終わりに際して)、天の国に迎え入れられる。だから、そのように勤めなさい、と云うことです。
これを結びの中心に据えながら、その前置きに、「狭い門と広い道」の譬話を置いています(ルカ福音書では別な場所)。結びの結びである「岩、もしくは砂の上に建てた家の譬」は次回、つまり、講解説教の最終回に回させて頂きます。マタイ記者とその教会はユダヤ教徒から迫害を受けていた、その厳しい状況が教えの背後からも読み取ることが出来ます。10章では12弟子を派遣する際に、イエスの口を通して弟子たちに迫害を受ける覚悟を求めています(同10:16):「私はあなた方を遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから蛇のように賢く(φρόνιμοι)、鳩のように素直(άκέραιοι)になりなさい。」(「賢く、素直であれ」については、第2説教集・第3回講解説教に委ねます。)
マタイとその教会が厳しい迫害の状況にあったことは、そのことを十分わきまえながら、イエスの言葉とマタイ記者の意図とを、ここで吟味したいと思います。
マタイ福音書記者は、どうしてもユダヤ教ラビの門下にあった昔のイメージから脱却できないでいる様子が伺えます。ラビになるためには「狭き門」から入る必要がありました。それと同じようにイエスに従う事、教会の門をくぐることも、同じように狭き門から入ることになる、と云うのです。そしてそれは「いのちに通じる門」として、狭いばかりでなく、その道も細く、入門したあとでも脱落したり、救いを見出す人が少ないので、険しくまた、厳しい修行を想定しています。
ユダヤ教ではそうであったかも知れません。しかし、イエスの教えと、それに従う歩みは、果たして、狭く、困難で、中々救いに到達出来ない所であったのでしょうか。「狭き門」と云うマタイ記者の言葉を有名にしたのはフランスの作家・アンドレ・ジード(1869〜1951)の小説『狭き門』(1909)でした。父親を早く亡くし、清教徒である母親から禁欲的道徳観をもって厳しく育てられたことが、この作家を苦しめています。主人公のジェロームは作者であるジードの分身であり、従妹のアリサを愛しながら、結局は悲恋に終わる物語です。その原因は二人の間に、厳しい禁欲的な戒律があり、「狭き門」を説く、聖書の実行不可能と思える教えに対する著者の厳しい批判が、ジードの物語に織り込まれています。
私達は既に14回にわたり、「山上の垂訓」を読んで来たのでお分りの通り、イエスの言葉はマタイ記者がハメ込もうとした枠の中に収めることが出来ないほど、マタイの枠からハミ出ている所を、殆ど毎回のように見て参りました。イエスが語る「愛や赦しの教え」はユダヤ教に勝るキリスト教律法の枠には収まりません。そもそも愛や赦しは掟ではないからです。イエスの教えを戒律として纏め、入門者に修業を求めているのはマタイ記者とその教会の方であります。彼らが「狭き門」を造り上げ、迫害にも耐えられるように禁欲を求めているのですが、イエスは全く違っています。もし、イエスがガリラヤ湖畔で民衆に呼びかけておられる情景に相応しい言葉を探して見れば、同じマタイでも、11章28節以下の言葉が聞こえて来るように思います。(新21ページ):
この言葉が、本日のテキストとして山上の説教第五部で、この場所に置かれていたら、ジードのような誤解も生まれなかったに違いありません。黄金律を含めて、イエスの言葉には生きる喜びと希望が満ち溢れています。空の鳥、野の花と同じように、頂いた恵みを精一杯働かせて共に生きる喜びが語られ、一日を感謝を持って閉じ、創造主への信頼と感謝の祈りをもって床に就くことが出来るような勧めであったとしたら、或いはジードも違っていたかも知れません。
マタイ記者が本日のテキスト・第五部の2番目に収録した7:15〜20節には新共同訳聖書では「実によって木を知る」と云う題が付けられています。15節と、それに加えて、17節から20節までの言葉は元の資料(Q)には無かったもので、これを付け加えることによって、「狭い門」から入り、良い実を結び、終わりの裁きに備えるように忠告を発する、マタイ福音書記者の意図が一段と明確になっています。
マタイ記者はことに、17節以下の言葉が大好きの様に見受けます。この譬えを、12章33節の所でも使っています:「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。」・・・木の良し悪しが、言葉の良し悪しに繋がり、良い木となって良い言葉を発する人になるよう、マタイ記者はキリストに従う者達に警告を発しています。また、裁きの時に責任を問われる、と付け加えているのも、本日のテキストと良く似ています。どれだけこの言葉が好きであったかが分かります。
これと関連するかのように、マタイ記者は、洗礼者ヨハネにもこの「木の実」の譬えを語らせています(マタイ3章7節以下):
マタイ記者は洗礼者ヨハネの宣教活動を紹介する際に、終末が差し迫っており、神の裁きに相応しい実を結べ。実を結ばぬ木は今にも切り倒されようとしている、との切迫した様子を書き加えています。そして山上の説教・結びの所で、この主題を再び、今度はイエスの口を通して語らせているのです。「偽預言への警戒」と「羊の皮を身に纏って人々を惑わす狼」の存在は、マタイとその教会が置かれていた厳しい状況を反映しています。同情に値することを重々知りながらも、やはり生前のイエスとは違っているように思います。
敵対者がいたとしても、イエスは余裕をもって相手に対応して居られます。狼の中に分け入る時も、狼の牙を抜き、羊の群れに相手を迎え入れるような働きさえしておられます。そういうお働きによって、ユダヤ最高議会の議員の中からも、アリマタヤのヨセフ(マルコ15:43、マタイ27:57、ルカ23:51、ヨハネ19:38)やニコデモ(ヨハネ3:1、7:50)などがイエスに親しく近付き、陰の賛同者になっている次第が聖書に書き残されています。取税人たち、マタイ(マタイ9:9)やザアカイ(ルカ19:1f)などとの麗しいエピソードも聖書に収められています。
狼のような敵対者に対して、開かれた姿勢をもっておられたイエスのお姿は譬話にも顕れています。「毒麦の譬話」(マタイ13:24〜30)では、良い畑に毒麦が生えているのを見て直ぐに刈り取ろうと考える僕たちをタシナメておられます。その主人の姿は「木の実」の話とは異なり、悪い毒麦でさえ直ぐには刈り取らず、良い麦と一緒に最後まで育てようと勧めています。その慈悲深い対応はイエスご自身であるように見うけます。「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる父の愛」(マタイ5:45)を思えば、例え、終わりに臨んでも慈悲深くあるのが救いではないでしょうか。終わりの厳しさは、マタイ記者とその教会の事情によるものであると考えることが出来たとしても、それは福音的ではないように思います。
教えを聞くだけでは駄目で、聞いた後、教えに相応しい実を結ぶ。それも、良い実を結ぶような聞き方をする、これがイエスの教えを纏め上げたマタイ記者の結びを飾る言葉であります。良い成果と実りを挙げない聞き手は、悪い木であり、切り倒されて抹消される。終末を想定してマタイは聴衆に最後の決断を迫っています。それが山上の説教・第五部「結び」の第四弾(7章21〜23節)の内容です。「私に向かって、『主よ、主よ』と云う者が皆、天の国に入る訳ではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。」
パウロが語っている「人が救われるのは信仰による」(ガラテヤ2:16他)、信仰義認論は何処へ行ってしまったのでしょうか。パウロから半世紀を経た初代教会には「行いや成果を伴なわない信仰」に対する批判があったことは事実です。宗教改革者ルターが「藁の書簡」と呼んだヤコブの手紙はその中に入ります。ヤコブ書2章24節などは明らかにパウロに代表される教会への批判に聞こえます:「あなたがたも分かるように人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。」同様のパウロ的教会批判はヨハネの教会にもありました:「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見ても同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内に留まるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」(1ヨハネ3:17,18)。
マタイ記者が山上の説教をこのように編集し、イエスの教えを掟として守り実行するように呼び掛けているのは、パウロ以降に起きた、そうした教会の事情によると思われる訳ですが、パウロとマタイ記者の両方を知りながら、イエスを見る時にこうした両極端の生き方ではなく、イエスにあっては両者が1つになっていることが分かります。そのことは第五部「結びの中の結び」である次回の譬「家と土台」の所で詳しく見つめたいと思います。
本日のテキストの23節はマタイ記者が最も強調し、そのために山上の説教をこうして編集した言葉と思われますが、それはイエスから最も離れた生き方であるようです:「私は(マタイ教会は)きっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたし(マタイ教会)から離れ去れ。』」山上の説教を聞いても、何も出来ない人たちのことを、「不法を働く者ども」と呼び、教会から切り捨てるような行き方が、どうしてイエスに倣う集団であり得るでしょうか。そのことを思うだけでも、マタイとその教会の生き方は行き過ぎていることが分かります。では、イエスはどのように生きられたのでしょうか。
イエスは人を能力や、働きの成果をもって交わりに受け入れたり、拒んだりすることはありませんでした。弟子たちの間で、誰が一番偉いのかを論じあっている時に、イエスは「、1人の子供の手を取って彼ら(弟子達)の真中に立たせ、抱き上げて云われました。『私の名のためにこのような子供の一人を受けいれる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私ではなくて、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。』」(マルコ9:37)また、「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」(ルカ9:48)とも語っておられます。
イエスと信徒との親密な関係は、しばしば、花婿であるイエスと花嫁である信徒に準えて語られています。イエスとその一行が断食をしていなかったのを見て、そのことを咎められた時、イエスはこう言っておられます:「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。」(マルコ2:19他)マタイ記者は世の終わりに誰もが裁きの座に立たされる有様を描き上げておりますが、イエスは世の終わりに臨んでも花婿が信徒を宴席に招き入れ、喜びの祝宴として終わりを語っておられます。その終わりの時まで、イエスと交わりを持ち続けて、受難、十字架、復活を想定しながら、たとえ、花婿が一時、居られなくなっても、その花婿がいつ再び来られても良いように目を覚まし、準備をして置くようにと伝えておられます。終わりの時は祝宴の時であり、救いが完成する時である、と語っています。(マルコ13:33,37、ルカ21:36)
マタイ記者はここでも、最後の審判を想定して、信徒が相応しい成果を挙げているか否かをもって、宴席に入る事の出来る「賢い乙女たち」と、宴席から締め出される「愚かな乙女たち」の物語に作り変えています。(マタイ25:1〜13)、しかし、ルカ福音書記者は元の資料に即して、「婚宴の主人と僕たち」の物語を、マタイで云えば6章25節から34節にある「思い悩むな」の話に続く所に載せながら(ルカ12:35〜38)、地上にあって主人と晩餐を共にする喜びを待ちわびる弟子達と信徒集団を描きながら、その期待と喜びを天国(ルカでは神の国)に投影しています。
この後、私達は讃美歌230番(「起きよ」と呼ぶ声)を歌おうとしています。この讃美歌は通常、クリスマスに歌われる讃美歌です。しかし、この讃美歌が生まれた時、作詞・作曲者であったフィリップ・ニコライはこれをクリスマスのためとは必ずしも考えていなかったのです。彼は1596年に北ドイツ・ウンナの教会で牧師を勤めていた時、ペストが大流行し、「毎日、30人ほどの遺体を葬った」と書きながら、故人と遺族、また会衆を慰め、力付け、救いのメッセージを考えながら、一晩で作り上げたのがこの讃美歌と、いま一つ・276番(暁の空の美しい星よ)の2曲でした。どんなに慰められたことでしょう。その事は今も変わりません。
花婿イエスと花嫁である信徒の婚礼では、愛する主イエスと信徒の魂が一つに溶け合い、その喜びのまま、宴席の御国へと招き入れられる内容です。以前の讃美歌では「御手に引かれつつ、御国へと行く身ぞ、げにも幸なる」とありました。バッハのカンタータ第140番では、これから捧げる讃美歌を織り込みながら、その第6曲でイエスと信徒とが祝宴で交わす言葉が歌われています(本日の週報コラムを参照)。私達は生きている今、その宴席に招き入れられていることを喜びたいと思います。その祝宴はイエスに結ばれた交わりから始まっており、聖日ごとに捧げる礼拝を通して祝宴に与かり、その延長線上で終わりの時、天国において主イエスの宴席で、主と合い会し、私達の救いが全うされる時であることを覚えて、地上におけるそれぞれの歩みを続けて参りましょう。
祈祷
父なる神様
今日も私達をあなたの御前に集めてくださり、主にあるこの喜びの宴席であなたから豊かに恵みを頂きましたこと、心より感謝致します。どんなに至らず、小さな者であっても、あなたは私達を恵みの座に招いておられることを覚えて、終わりの時まで信仰を全うすることが出来ますよう、それぞれを強め、導いて下さい。