2021.01.24

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「福音を信じなさい」

中村吉基

ヨナ書 3:1〜5,10マルコによる福音書 1:14〜20

 主イエスはヨルダン川で洗礼をお受けになられたあと、ガリラヤ湖のほとりのカファルナウムというところに住まわれました。現在カファルナウムは観光地であり、とても風光明媚な美しい風景を見られる場所ですが、当時はそうではありませんでした。主イエスはおおよそ30歳になられたころにこのガリラヤを拠点としてご自身の宣教活動を始められました。その第一声はこうでした。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(15節)。

 普通だったら都会に来そうなものです。地方にいる人が、一念発起何かを始めようとして都会に出てくることは昔も今も変わりありません。主イエスがこれから人々に教えようとされる神の国の福音も、エルサレムに行けば、さまざまな大勢の人たちに伝えられたはずです。しかし、主イエスはそこを選ばずにガリラヤに来たのです。なぜだったのでしょうか。

 ガリラヤは辺境の地、都会とは何もかも違う片田舎でした。主イエスはなぜガリラヤを選ばれて、そこに住まわれたのか。故郷のナザレに比較的近いだけだからではなかったのです。ガリラヤは不幸な歴史を背負ってきた土地でした。たびたび外国に占領され、支配されてきました。主イエスの時代にはイスラエルに再び組み入れられていたものの、ガリラヤは純粋なユダヤ教の人々から見れば、外国人に汚された、異教の土地であり、蔑みや差別の対象になっていた土地でした。主イエスは神の国の福音は、真っ先にこの軽蔑された人びと、差別され、抑圧された人びとに伝えるために「あえて」ガリラヤに住まわれ、そこを拠点として活動されたのです。

 さて、今日の個所ではそのガリラヤに住む漁師の兄弟、シモン(ペトロ)とその兄弟アンデレが出てきます。主イエスは兄弟に向かって「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(17節)と言われました。

 突然、見ず知らずの男が現れて、「わたしについて来なさい」と言われても、皆さんだったらどうするでしょうか。最大限に怪しむのではないでしょうか。しかも、「人間をとる漁師に」と言うのです。この主イエスの行動はとっさのことであったのか、計画的なものなのか、窺い知ることは出来ません。しかし、私たちが自分の側から、弟子になる人をスカウトするならば、優秀で、頼んだ仕事をよくこなしてくれて、才能を持っていて、いい学校で優秀な成績を収めていて、過去には優れた働きをしたことがあって……まるで絵に描いた餅のように、ないものねだりというか、「最善」の人を選ぼうとします。

 けれども主イエスの視点というのは私たちが「当たり前」のように思っていることとは一切違うところにありました。主イエスは試験をするようなこともなく、「私の弟子になるならこういう人……」というような基準を設けることも一切ありませんでした。差別され、虐げられていたガリラヤの一漁師の兄弟です。しかもこの兄弟は今出会ったばかりの人たち……。おそらく無学な人たちであったでしょう。主イエスのそういう視点にある種のリーダーシップを感じます。また即決力というか、肝心なのはその人の器がどうこうというよりも、用いる側の器量ではないかと。分かりやすく言うと、ごくごく普通の人を上手に用いる。その人が神から与えられた賜物を見極めて、それを最大限に生かすという指導者の素質を主イエスは備えておられました。

 そしてこの主イエスの呼びかけに応えたペトロとアンデレの兄弟はどうしたかと言うと、18節に記されてあります。

二人はすぐに網を捨てて従った。

 マルコはたったこれだけしか記しておりません。

 この後で、同じように別の2人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネがに対しても、主イエスは弟子として招かれましたが、二人もペトロたちと同じようにしてすぐに主イエスに従いました。

 この人たちの潔さはどこから来たものだったのでしょうか。私たちはさまざまなものにしがみついて生きています。またさまざまなしがらみというものもあります。人間は目に見えない「過去」を背負って生きています。それは簡単に捨てられないでしょう。だから私たちがこの記事を読む時に余計にペトロたちの「捨て方」というものが気になるのです。現実を放棄したのか、逃避したのか。家や物質ならまだしも家族を捨てて従ったなんて、かつてのカルト宗教に入った人たちが「出家」したようなことを思い浮かべる人もいるでしょう。でも捨ててみないと判らないこともあります。身が軽くなったそのとき、はじめて本当のことが判るときがあります。

 仏教やイスラームで使われる言葉ですが、「喜捨」という言葉があります。私たちの言葉で言うと献金や献品にあたります。第2コリントの信徒への手紙9章7節にはこういう言葉があります。

各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

 ペトロたち漁師は喜んで従いました。なぜでしょう。それは主イエスのうちに神を見たからではなかったでしょうか。神が主イエスを通じてペトロたちを招いてくださったのです。異教に汚されたことのある土地であり、蔑みや差別の対象になっていたガリラヤの人間を神は確かに招いてくださったのです。

 先週の祈り会で今日の箇所を共に読んで、神がマザー・テレサを召し出したこと思い起こしたという方がありました。マザー・テレサは列車の中で、山を見つめていたとき、神の声を聞くという決定的な出来事を体験します。「最も貧しい人の間で働くように」という声でした。そのとき豊かな家庭の子どもたちが集まる修道院経営の学校で校長の職にまで登り詰めた彼女は、貧しく、見捨てられた人々のために仕えることこそ神の愛に応えることだと信じ、教職を辞め、コルカタのスラムで奉仕活動を始めようとします。しかし修道院の院長を始め、周囲は猛反対をします。マザー・テレサが学校にとって必要な人材でここにあなたの使命があるのではないか、スラムのようなところで活動すること自体危険だし、保護者たちから恥ずかしい行いだからやめさせてほしい、と反対の声もあがっている、あなた一人の奉仕が何になるのかと説得されます。

 ある日、やせ衰えて、ぼろぼろの服を着ている一人の年老いた男が地べたに横たわって、手で宙を掴むようにしながら苦しんでいる姿を街の中で見るのでした。マザーは、じっと彼を見つめます。そして男のうめくようなその声を聞きます。男はかすかな声で、「I thirsty.(わたしは渇く)」と言いました。彼女は水を男の口に注ぎますが、男は死んでしまいました。彼女はその男に十字架にかけられたイエス・キリストを重ねました。「(わたしは)渇く」という言葉は主イエスが十字架上で言われた言葉(ヨハネ19:28)と同じだからです。その後、彼女は貧しく、見捨てられた人々への奉仕を繰り広げていきました。

 マザー・テレサは何もかも捨ててスラムに向かいました。しかし、周囲はマザーを手放すことができず、何とかしてあきらめさせようとする。私はいつも礼拝の終わりに派遣と祝福をする際に、「私たちがあなた(神)の道の邪魔をしませんように」と祈ります。それと同じように私たちは捨てられないことによって、神の御心が見えず、遅らせていることが多くあるのではないでしょうか。主イエスは今朝、私たちに「福音を信じなさい」と仰せになっています。一層み言葉に耳を傾けましょう。心を澄まして神の声を聴き、み言葉によって新しく生まれ変わる私たちになりましょう。


 
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