今日の聖書の箇所、古代イスラエルの当時の社会背景には、女性が子どもを産むということによって共同体に寄与するという価値観がありました。しかしそのことが特に女性の側において、たいへんな苦しみになってしまっておりました。今日の箇所に登場するハンナという女性もその一人でした。
ハンナとエルカナの夫妻には子が与えられなかったため、当時は一夫多妻制でしたから、エルカナにはもう一人の妻・ペニナがおりました。このペニナには息子や娘たちがいたと今日の箇所には記されています。まるでテレビドラマを見ているかのようですが、ペニナは子が産めないハンナを見下し、子を持つ優越感を見せつけるかのようなふるまいをします。-
6,7節にこう記されています。
涙がとめどもなくこぼれ落ちてきて、食欲さえもなかったというのです。きっと自分を低く思い、虚無感のようなものがあったかもしれません。しかし、ひとつ前の5節に夫は彼女を愛していたとあります。だからこそかもしれません。ハンナの涙は尽きることがありませんでした。夫エルカナはハンナに言いました。
しかしそう言われても慰められたわけではありません。いったい自分のこの苦しみを誰がわかってくれるというのか、人間にはどうもがいても、どう地団駄を踏んでも突破口が見つからないということがあります。人間の限界です。だから私たちは神を、神の力を必要とするのです。決してハンナが悪いわけではありません。けれどもどうすることもできない。どうしようか……。
この心の深い淵の底からの「叫び」が彼女を祈りへと掻きたてていきます。
10節がこう伝えています。
そこから11節以下を少し読んでいきましょう。
ここ(15節)に「主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました」と記されています。ハンナはこの時、おなかの底からの苦しみ、悲しみを注ぎ出していたのです。私が想像するに、肺気量検査というのがありますが、あの検査の時に吐けるだけの息を吐きます。何か体中の息がなくなってしまったかのようです。この「注ぎ出す」という言葉は空にする、全てを出し切るという意味があります。
私たちはふだんこのような「心を注ぎ出す祈り」を神にささげているでしょうか。先週の礼拝でお話しましたが、私たちは洗礼によって神と結ばれた生活に入りました。自分の悩みや苦しみを誰も聞いてくれないと思っても、神は聞いてくださるのです。
もうひとつ、ハンナは渾身の 祈りをささげています。
11節の冒頭です。
「頭には決してかみそりを当て」ないということは、士師記13章にあるサムソンの物語を思い起こします。もし子が授かったならば「ナジル人(びと)」としてささげるのです。これは最初から子どもが授かってもそれは神さまの子として育てるというハンナの決心でもありました。ここから私たちは学ぶことは祈りとは心を注ぎだし、必死になり、そしてそれを神にささげるということなのです。
そして注目すべきはこの後のことです。
18節に
私たちは神と結ばれることによって強くなるのです。神との祈りの中で、私たちが自分の苦しみ、悲しみ、痛み、悩み、心配事、孤独さなどを神に打ち明け、ささげ、お任せしていく時、神さまは私たちの顔を変えてくださるのです。この18節でハンナの表情のことが描かれる前に短く「食事をしたが」とあります。これは8節のところで食べ物が喉に通らないハンナに夫エルカナが「なぜ食べないのか」と問う場面がありましたが、これを受けている言葉です。ハンナは暗い、今にも死にそうな顔つきで神殿にやってきた時、祭司エリは彼女が酔っぱらっているのだと勘違いしたほどです。それほど彼女が身をよじるようにして泣きながら、身体を震わせて祈ったのです。
けれども私たちも祈ったからといってその問題がすべて魔法のように解決するというわけではありません。けれども神に心を注ぎ出す祈りをささげる時、さまざまな事柄を神に委ねることで私たちには強さが与えられ、それらの事柄を受けとめ、受け入れることが出来るようになるのです。
ハンナは神さまにすべてを委ねて、その顔は輝いて、普段の生活へと戻って行きました。そして彼女の祈りは応えられ、男の子を授かるのです。そしてその子にサムエルと名付けました。「その名は神」という意味です。ハンナは再び神さまによって生きる力を得ました。それゆえ神が与えてくださったこの子を通して神を証ししたかったのでしょう。自分をどん底から引き揚げてくださり、顔の輝きまで回復させてくださった神に感謝してその後の人生を生きて行きました。
今日の箇所から私たちが学ぶことは、心から、おなかの底から叫ぶような祈りをすることによって、神さまは私たちを祝福してくださり、私たちは神によって強くしていただけるのです。そしていきいきとした輝いた顔になることで、周囲の人をも神の愛で包むことができるのです。神の愛に目覚めて、力強く生きていったハンナの姿から私たちも学びましょう。