今朝のメッセージを、小さなクイズで始めましょう。「ミッショナリー/宣教師」という言葉を聞いて、何が心に思い浮かびますか?
「ミッショナリー」とは何でしょうか? この単語を辞書で調べると、いろんな定義が載っています。いくつか書き留めたものをご紹介します。
でも、シンプルなものがよいでしょう。シンプルな定義ならば、世界宣教の日である今朝の目的にもよく適います――すなわち「ミッショナリーとは、使命のために送り出された人である」。
では、2つ目の質問です。この定義にもとづいて、今朝ここにいる皆さんのうち、何人がミッショナリーですか?(お答えいただく)
正直なところ、私たちのうちほとんどが、こうした言葉で自分のことを考えることはないと思います。むしろ私や私の家族のように、何らかの宣教団体に所属し、イエスのよい知らせを伝えるために、たいていは世界の遠い所に行く人々に、この語はとっておかれるのが普通です。でも、キリストに従う人は、誰でもミッショナリーなのです。
「使命のために送り出された人」という定義によれば、キリスト者は誰もがミッショナリーです。ここにいるすべてのキリスト者は使命を帯びています。そして、その使命は第2コリント書5章に、次のように定義されています。
地上にある人は誰もがミッショナリーであるか、あるいはミッション・フィールドであると、よく言われます。
使徒言行録13章では、パウロとバルナバが、アンティオキア教会から宣教師として派遣されます。「人々は断食して祈り、彼らの手を二人の頭に置いた、そして彼らを送り出した」とあります(3節、私訳)。この二人が、記録に残っている最初の私たちのミッショナリーです。
興味深いことに、ミッショナリーとかミッションという単語は、聖書のどこにも出ません。「ミッション」という語は、「投げる」「行かせる」「送る」を意味するラテン語に由来します。それこそが、諸教会のなすことではありませんか? 「すべての世界に行き、あらゆる被造物に福音を説教しなさい」という神の命令に、私たちは従います。
イエスが私たちの世界に来たとき、彼はユダヤ教会堂の壁の内側だけで活動したのではありません。イエスは罪人たちの生活の中に入ってゆき、ハンセン病罹患者に手で触れ、娼婦たちと交流し、異教徒たちと食卓を分かち合いました。イエスはこの世界の境界線を越えることで、当時の宗教共同体に大きな躓きをもたらしたのです。
イエスにとって、この世界に到達し、それを救うためには、世界を貫通する必要がありました。私たちも同様に、キリストのゆえに世界にインパクトを与え、また影響を及ぼすためには、世界を貫かなければなりません。ジョン・ストット(John Stott)は言います。
教会は日曜日には集まりますが、月曜から土曜日までは散らばります。つまりイエス・キリストに従う者たちは市場に入って行き、神の全権大使としてそこで生きるのです。彼らは神の代理人、メッセンジャーです。使命を帯びているのです。
イエスの戦略には、信仰者たちがこの世界に歩み入ること、市場を貫くことがつねに含まれます。キリストに従う者は自らのミニストリーを、つまり日々出会う人々に神の愛を伝えるというミッションを自覚しなければなりません。なぜでしょうか? 聖書が、その委託を与えるからです。
イエスがガリラヤ湖畔の静かな丘に立ち、熱心な追従者たちの小さな群れに語りかけているようすを想像しましょう。そして、もしよければ、現代の市場を思い描いてください。
恐ろしくて混乱した、騒音だらけで慌ただしいこの世界という市場に、この言葉は痕跡を残します。紀元1世紀の信仰者たちの心を捉えた言葉が、現代の男性たちや女性たちの心の琴線を震わせることに、私はいつも胸を打たれます。イエスの「光」のイマジナリーが描き出す3つの考えに注目しましょう。彼の言葉は、私たちの市場の経験に直接訴えかけます。
イエスに従う者たちが周囲の人々に向けて、キリストの愛の光を放つようイエスが求めていることは、まったく明らかです。それが、イエスが光について語る理由です。細いタングステンのフィラメントは、電気を流すともちろん光を放ち、闇を追いやります。そうなるしかありません。灯りのスイッチを入れて、闇を追いやるなとは言えません。周囲の闇を追い払うことは、光の本性そのものだからです。同様にキリスト者は生活の中で、その本性によって、神の働きの幾ばくかを周囲の人々に向けて放たねばなりません。私たちは、この世の光です。だから私たちは光を放ち、闇を追いやらねばなりません。
イエスは、ある信仰者たちが自らのキャンドルパワーに制限を加えるだろう、自らの光を輝かせるのを拒むだろうと予感していました。「ボウルの下」(あるいは曇りガラスの聖域)という安全なところに隠れている方を望むだろうと、イエスは知っていたのです。そうすれば、無記名性の中でのんびり日向ぼっこし、信仰を「公にする」ことからくる説明責任を逃れられるでしょうから。イエスはそれを予感し、そうすることを禁じました。「君たちの光を輝かせよ!」とイエスは命じます。彼自身がそうしませんでしたし、今は信仰者たちに、自らの世界を居心地のよい暗がりの中にとどめ置くという選択を、彼は認めません。
この暗くて堕落した世界の隅々にまで自分の影響を及ぼしたいと思っていることを、イエスは明らかにします。私たちの光を隠れたところから引き出すだけでは、まだ足りません。イエスは、私たちが光を燭台の上に置き、誰もが光を見ることができるよう望みます。神はその愛の光が高く掲げられること、そうしてあらゆる闇を貫くことができるよう望みます。
自分が光の使者であると自覚するに至るまで、私たちはどれほどの時間を必要としているのでしょう? 神が愛のメッセージを輝かせるのは、私たちの日々の生活というチャンネルを通してです。
では、考えてみましょう。新型コロナウイルスは、この世界に何をもたらしたでしょうか――日本の地域社会の住民に、諸教会に、もろもろの共同体に、家族に、そしてあなたと私に? それは私たちの注目を引いたでしょうか? 私たちをどのような行動に促したでしょうか? それは、私たちの内にある最善のものを引き出したでしょうか、それとも最悪なものを?
いったいどうすれば、私たちは光のエージェントになれるのでしょう? いったいどのように市場を貫くことができるでしょうか? また、どのように私たちは神に栄光をもたらし、私たちが出会う人々に、人生をポジティブに変えるような仕方でふれることができるでしょうか?
聖書を読む中で、私が見出したのは以下のことです。それは、キリストの愛を伝えるための実践的なステップです。
詩編の詩人は、次のように歌います。
私たちも、そのように生きましょう。
「新しい日常」という状況にあっても、仕事に出かける前に、仕事のために祈りましょう。いっしょに働く人たちのため、またあなたが奉仕することになる人々のために。人生のすべてにおいて、神が「目に見えない」パートナーであることを覚えましょう。私たちがどこにいても、神は共にいます。そして彼の現臨を、私たちは必要としています――とりわけ市場で。
13世紀の著述家であるマイスター・エックハルト(Meister Eckhart)の、次のような言葉の意味について考えてみましょう。
私たちがなす行為のあり方が、私たちを聖なるものにするのでない。そうではなく、私たちが、自らの行為を聖なるものにする。……神的な存在が私たちの内にいるので、私たちは自分が行うすべての任務を祝福する――食べること、寝ること、見ることその他どのような任務であれ。
ビジネスマンで著述家のキース・ミラー(Keith Miller)は、「目に見えないパートナー」と共に仕事をすることに決めました。オフィスで働いている間、キリストの現臨をとり入れることを、彼は意識的に決断したのです。神的存在の内在を自覚するために、飲料用の泉に行くときも戻るときも、そのつど彼は祈りました。職場を歩き、人と話すときも、その人たちのために祈りました。デスクに届くメモを、彼は神に委ねました。その態度に外面的な変化はなかったはずですが、彼が抱いた人々への愛と心遣いは、自然と伝わったに違いありません。いろんな人が来て、自分の内面のことをキースに語るようになりました。
神の現臨を意識することは、あなたの仕事と周囲の人々に深い影響を与えるのです。
使徒パウロは、次のように言います。
私たちも、そのように働きましょう。
どんな仕事でも、あなたの人生に神の恵みがもつ積極的な本質を映し出すような態度を示しましょう。
多くの仕事は退屈です。しばしば市場は、名前のない人々の迷宮です。よい労働者が認められず、昇進できません。失業の悲しみ、吸収合併や縮小という脅威は、私たちにやる気をなくさせます。それでも、望ましくない環境の真っただ中にあっても、私たちの態度は、ありがたくない仕事をキリストの宣教へと変貌させることができます。
ニューヨーク市の牧師であったゴードン・マクドナルド(Gordon MacDonald)は、自宅から教会に毎日同じバスで通いました。ある日、バスの運転手が彼に、「あなたは私よりいい思いをしている。あなたには面白い仕事があり、あちこちに旅行する。なのに私は、このバスで同じ通りを毎日往復するだけだ」と言ったそうです。マクドナルド牧師は運転手に、彼の仕事もまたキリスト教宣教でありうると告げます――「毎日、他の誰よりも先に君がこのバスに乗り込むとき、このバスをその日、神に捧げなさい。このバスが、その日、神の聖所であると宣言しなさい。それを神の栄光のために聖別するのです。そして、この車両が神の住まう場所であることにふさわしく行動しなさい」。
数週間後に旅行先から戻ったマクドナルドは、そのバス運転手を見かけます。すると彼は、「あなたは私の人生を変えました!」と叫んだそうです。「私は毎日、あなたが言ったとおりにしています。おかげさまで、自分の仕事をまったく新しい視点から見ることができるようになりました」。
日々の態度を改めるための時間をとれば、これと同じ変貌が、あなたの仕事にも生じるでしょう。
使徒パウロは、私たちに次のことを思い起こさせます。
「なぜ私は福音を恥じねばならないのか?」とパウロは問います。「福音は救いのメッセージ、命のメッセージだ! 福音は力強く、人類最大のニーズへの答えだ!」。そして、お分かりのように、市場の人々とは、世界最大のミッション・フィールドなのです。あなたは毎日、イエス・キリストの力と恵みを必要とする人々と肩を触れ合っています。
私の家族は出会った人々を、機会があれば喜んでランチなディナーに招きます。それは生きたミニストリーの一部であり、招かれた客人たちや友人たちよりも招く私たちにとって祝福です。感謝祭の夕食会は、家族から離れて暮らす多国籍の学生たちのために開かれます。孤立やホームシック、鬱などを留学生たちは経験します。私たちは夕食の中で賛美歌を歌い、インターアクティブに聖書を読みます。そして客人や友人たちと学校の経験を、その喜びや痛みを共有します。彼らは自らのストーリーを語り、私たちは神の聖霊の導きに従って祈り、証しをし、牧会します。しばしば数日後に私たちに手紙をくれたり、また立ち寄ってくれたりし、私たちのもとに来ることができたことを、彼らは神に感謝します。集まるのは、たんに七面鳥や食事のためではありません。その人たちの声を聞き、彼らにミニストリーを行うためです。
あるとき一人のカンボジア人留学生が集まりに参加し、私たち家族が注意深く食卓を整えるのを感心しながら眺めていました。彼は私のところに来て、ずっと眺めていたと告げ、こんなに忙しいスケジュールの中で、いったいなぜ自分たちを招待し、これほどまで世話を見るのかと尋ねました。私の答えはシンプルでした――「そうしなければならないからよ」と私は答えました、「あなたが来て私たちと食卓を囲むのは、神さまの招きなのですから」。
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中村先生からのEメールに、私の人生の旅についてふれるようにとありました。その後の数日、私は主イエスと長い時間お話ししました。以下のことを皆さんにお伝えするのは、皆さんが主の素晴らしいわざを見ることができるように、という私の祈りからです。
私は農村部の、会員が75名ほどの小さな、慎み深い教会で育ちました。
都市部の大教会に参加することが、私の切なる願望でした。大きな教会こそがちゃんとしていると、私には思えたのです。そして高校で勉強するために都会に出たとき、私はある大きな教会に行きました。すると突然、大教会は恐ろしいと感じました。とくに完全なお客さん状態で、知り合いが一人もないとき、とても居心地の悪い思いをします。礼拝の間、私はたいていいちばん後ろの会衆席に座っていました。特段の理由はなく、ただ私がシャイだったからです。質問されない限り、自分から意見を言うこともありませんでした。
しかし、私が主イエスを個人的に知り、彼を私の主にして救い主として受け入れるようになったとき、物事が変化しました。私は友人をたくさん作り、ユース活動、聖歌隊、日曜学校に加わるようになり、教会は第二のホームになりました。サムエル記に、次のようにあるとおりです。
そしてじっさい、神は私のためにたくさんの奇跡を起こしてくれました。引っ込み思案な少女からローカルチャーチの指導者になり、大学時代には県や国のレベルの指導者になってたくさんの人々と知り合い、開発の領域で堅固なキャリアを築きました。そして個人的な水準では、一人の臆病な罪人から、キリストに献身して従う者となりました。神はよい方です、いついかなるときにも。
思い返せば、私の会社が組織改革をしたとき、私は6人の部下をもつ部局の長に昇格しました。死にかけていた部局を生き返らせ、地域共同体の社会開発のための訓練プログラムを国政のレベルで作ることが、私に託された任務でした。部局にはわずかばかりの予算がつきましたが、目指すべき具体的な目標や成長の方向はまったく未定でした。いったいどうすれば、この部局は生き残ることができるだろうか?――私はそう自問していました。加えて私の目の前には、2人の私よりも年長のスタッフがいました。彼らはずっと昇進を待ち望んでおり、私に与えられた部局の長になるはずでしたが、組織改編というできごとのせいで、私に先を超されてしまったのです。
想像してみて下さい。それはカオスでした。職業的な嫉妬は、私がプログラムをスタートさせた初日から始まりました。そこに平和はありませんでした。辞めたいという誘惑に何度も駆られましたが、トップ・マネージメントの後押しのおかげで、私は忠実に仕事を続け、最後は意欲的に挑戦して成功した、という気持ちで終えることができました。決定を下すさい、神が私のパートナーでした。神はつねに道を備え、あらゆることを行い、最終的にその開発訓練プログラムは、何年間もその会社の旗印的な存在になりました。神はすばらしいではありませんか!
仕事の傍ら、私は教会生活にも積極的に関わり、とりわけ医療宣教のリーダーシップ、アウトリーチと教会設立に関わりました。どれひとつとして、私が計画していたものではありません。それは神のなさることであり、私自身の喜びと満足にもつながりました。ある日、私はそうしたリーダーたちのカンファレンスに出ていました。それは、広域医療ミッションのための会議を企画し、年間計画を立てるための話し合いでした。会議の間、「神のなさるように私たちはしよう Let’s do it in God’s way」というフレーズを、何度も耳にしました。部屋にいたほとんどの人にとって、この言葉はほぼ何の意味もありませんでしたが、私はこの言葉に打たれたのです。私の何かが動かされ、人生の歩むべき方向について神に語りかけるようになりました。
後に私は、フルタイムのミッションに携わりたいという願いを、神が私の心に置こうとしていたと知りました。神の恵み深さのひとつの表現が、彼の霊によって私たちを導くという約束です。そして神は忍耐強く、日々そして一歩ずつ私を導き、そのすべての歩みの中で私は神に信頼し、ついに宣教のために故国を離れることを決意したのでした――教会、家族、そして職場の人々は私といっしょに祝ってくれました。数か月後、アメリカで合同メソジスト教会(UMC)の世界宣教師のためのトレーニングに参加し、私は日本に行くよう指示されました。
私の教会からは、たくさんの弟子たち、よいリーダーたちその他が輩出しました。この教会は説教者や御言葉の教師たち、また宣教師たちを世界に送り出したのです。その一人であることを、私は嬉しく思います。教会の大きさは座席数のキャパシティーでなく、派遣するキャパシティーだからです。
仕事を通して周囲の人々にミニストリーを行い、証しするために、あなたに何ができますか? インパクト・リストを作ることを、皆さんにお勧めします。あなたがいっしょに働き、その人のために祈ることのできる人々をリストアップしましょう。そして毎日を、その人たちのために祈ることから始めましょう。あなたの職場を聖なる場所とすることで、日々を始めましょう。職場を聖域として神に捧げるのです。そして日々、ミニストリーを行い、奉仕し、支援し、手助けをするためのチャンスを探しましょう。すべてのことができなくても、何かが私たちにはできます。