天国の「天」に刑罰の「刑」と書いて「天刑(てんけい)病」という言葉があるのをご存じでしょうか。すでに使われなくなった言葉かもしれません。これは原因究明が出来ない病などを神が与えた罰すなわち天罰として存在する病気だとされた病気を指す言葉です。とても差別的に用いられました。かつてこういう偏見に満ち満ちた言葉を使われることによって苦しめられた人々がたくさん居られました。
たとえば肺を病んでいた人は「はい、はい」と良い返事をしなかったからだとか、顔にあざのある人は前世で人の顔を踏みつけたからだとか、あるいは何らかのハンディキャップを前世の罪の報いとか、親の罪とか、いろいろなことに「こじつけ」ました。しかし「天刑病」という言葉を使わなくなったとしても、こういうことを言う人は現代にもたくさんいるのではないでしょうか。自分自身や家族の病気がきっかけで宗教の門を叩く人は今でも多いからです。「藁にもすがって」救いを、いやしを求めている人々の心に付け込んで、その病気が、あるいは災難が、前世の罪からだとか、霊がとりついているとか、そういうことを、声を大にして言う人々あるいはそれに伴って多くの金品を要求するような悪い人々が今でもあとを絶ちません。もちろん病気によっては本人の不摂生などが原因でかかる場合もありますが、本人の責任とはかけ離れたところで病や災難に陥ってしまうこともあります。ですから病の原因が、すべて同じように自分や家族の罪のせいにされたり、たたりや因縁だと言われるのはおかしなことですし、そんなことを聞かされた本人は救われたり、いやされるどころか、ますます落ち込んでいくことでしょう。
それにしても神さまが罰として人間に病を与えるのでしょうか。断じてそんなことはありません。しかし今日の箇所に出てくるイエスさまの弟子たちは、そのように思っていたのです。そして道端にいた生まれつき目の見えない人に失礼な、心ない思いを抱き、イエスさまに尋ねるのです。2節のところです。
この目の見えない人は、仕事をすることも出来ず、もう長い間、物乞いをしていたのでしょう。ある日、イエスさまの一行が彼のいる道を通り過ぎました。そして弟子たちは、ふと思いつきで言ったのかもしれません。いったい誰のせいで彼は目が見えなくなったのか、と。そこでイエスさまに尋ねたのです。福音書の記述を読む限り、弟子たちはどういうふうにイエスさまにこの言葉を伝えたのか知ることは出来ません。ひそひそと言ったのでしょうか、あるいは街の雑踏を歩きながらであれば、それこそ「聞こえよがし」になるような大きな声で言ったのでしょうか。
私はこの心ない言葉が目の見えない彼に届いていたのではないかと思うのです。私たちは病んでいるとき、人の言葉が重く感じられることがないでしょうか。また言った側の何気ない一言が幾重にも幾重にも、自分の心の中でこだましてくるものです。私にも目の見えない友人がおりますし、私の祖母には弱視で盲学校に通った経験がありました。私は小さな時から祖母が営むマッサージ店で多くの目の見えない人々の交流がありました。その経験からお話しをすれば、目の見えない人々は実に耳がいいのです。ですからこの箇所に出てくる目の見えない人もイエスさまの弟子たちの質問を聞き逃したとは思えないのです。
当の質問されたイエスさまの表情はいかばかりだったことでしょう。弟子たちをたしなめるような顔つきだったでしょうか、それとも目の見えないこの人を憐れまれる眼差しだったでしょうか、何かに怒りを感じられるような様相だったでしょうか。この点についても福音書にはたった数文字「イエスはお答えになった」(3節)とだけしか記されていないのです。
「因果応報」という仏教用語があります。前世での行いによって現在における幸福・不幸というものが決まり、そして現在の行いが来世での幸福・不幸を左右する、という教えです。仏教を土台とした新宗教の多い日本では、先ほどお話ししたような、人の弱さに付け込んでいろいろなことを言う人々が出てくるのでしょう。しかし宗教は人を救うのがその本義です。
そして、イエスさまの弟子たちにも「因果応報」の考えがあったことをきょうの箇所は示しています。旧約聖書の「ヨブ記」などにもそのような思想が現われているわけですが、この「因果応報」の考えからイエスさまの弟子たちが「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と言ったのです。イエスさまの弟子たちのこのような発言にエリート意識というようなものを感じざるを得ないのです。目が見える弟子たちが、見えない人を指差して、自分たちは罪のないものであり、現在もそのような応報を受けてはないのだという思いがこの言葉に表れているように感じるのです。
しかし、これにイエスさまはどうお答えになったのか、と言うと、3節です。
これを聞いた弟子たちも驚いたでしょうが、ここにいた目の見えない人はもっと驚いたことでしょう。そして福音に触れた喜びも味わったことでしょう。
彼は生まれてからずっと目が見えないという一点だけで、差別され、侮蔑され、「罪人」というレッテルを貼られ続けて来られたのです。きょうの箇所の少しあとの34節の言葉ですが、イエスさまを証しした彼が、ファリサイ派に罵られます。
彼のその生涯のなかで、どれだけ辛く悲しい思いに打ちひしがれたことでしょうか。その彼にとってイエスさまの言葉は今まで聞いたほかのどんな言葉よりも力と希望を与えるものでした。
そしてそれに続けてイエスさまが仰せになったのは、
今まで、目の見えないゆえに罪人よばわりされ、物乞いをし、蔑まれ続けた人生を送ってきた彼の上に神さまのみわざが現われる。心の底からの驚きと、希望を抱いたに違いありません。いったいどのようにして彼の上に神さまのみわざが現されるのでしょう。そこにいた誰もがそう思ったでしょう。目の見えない彼も、弟子たちも、その道端にいた人々にも。もし、イエスさまがその言葉だけを残してさらに歩き続けて行かれたならば、誰もが単なるイエスさまの慰めの言葉、憐れみの言葉として受け取ったことでしょう。しかし、イエスさまは「神の業がこの人に現れる」と高らかに宣言されたのです。6節以下のところです。
イエスさまが宣言されたように神さまのみわざが彼の上に現されました。彼は目が見えるようになったのです。しかし、気になることがあります。これまでイエスさまはその言葉だけで、病気をいやしたり、数々の奇跡を行っているのです。なぜここで、イエスさまは泥をこね、シロアムの池に行くように命じたのでしょうか。彼にはまず、肉体の目が開かれる前に、心の目が開かれる必要があったのでしょう。それはイエスさまを「信じる」ということです。
これは推測ですが、きっと物乞いをしていた彼は、人々が集まるエルサレムの中心部にいたと思われます。シロアムの池というのは今で言うエルサレム旧市街のはずれにありますから、中心部から1キロ弱くらいでしょうか。シロアムの池などという場所をこの目の見えない彼は知らなかったかもしれません。しかもこの池は人工的に石を切り崩して作られたもので当時でも水面まではたどり着くのに深いところへ降りていかねばならなかったでしょう。もし、イエスさまのなさったことを胡散臭く感じていたならばこんなに遠くに行かなかったでしょう。少なくとも泥を塗った時点ではまだ目は見えていなかったのです。シロアムの池に行く間に顔を洗って泥を落としてしまったかもしれませんし、途中であきらめてしまったかもしれません。しかし、彼の心の中にはイエスさまの「神の業がこの人に現れるためである」と言う言葉がずっとこだましていたのでしょう。彼の心は熱くなり、シロアムへと向かわせたのです。イエスさまを信じなければこんなことは出来ないでしょう。自分のことを生まれて初めて人間扱いしてくれたお方です。彼はイエスさまの深い愛に満たされていたことでしょうし、「イエスさまに賭けてみよう」という信頼の心も生まれていたのです。「シロアムの池に行って洗いなさい」というイエスさまの言葉を胸に一目散にそこへと向かったその時、彼の心の目も開かれたのでした。
今日の箇所はヨハネによる福音書9章1〜12節までに聴いておりますが、これより13節以下に進みますと、エルサレムでは目が見えるようになった人の話で持ちきりになります。しかし、一人の人間が神さまによって救われたというのに、それを良く思わない人々は彼をファリサイ派の人々のもとへ連れて行きます。イエスさまが彼をいやしたのは労働が禁じられている安息日のことだったからです。イエスさまのいやしの行為も律法をおかしているとみなされたのです。本当に愚かな、つまらないことでの問答が続いて行きます。
イエスさまはルカ6章の記事でやはり安息日に手の萎えた人をいやされた際にこのように言われています。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか」。 イエスさまは大切なのは律法の定めなのか、一人の人が救われることなのかと問われます。また別の箇所ですが、マルコ福音書2章では「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」。律法と言うのは人のためにあるもので、人が律法に服従するのではない、と明言されているのです。
イエスさまは9章39節からのところでこう言われています。
これは私たちにも言えることです。自分たちの目はよく見えていると言う思い上がりが実は、多くのものを見えなくしているのではないでしょうか。私たちは今、イエスさまが十字架への道を歩んだことを思い起こす受難節・レントの時を過ごしております。謙虚にイエス・キリストによって私たちそれぞれの目を開かせていただきましょう。