I
現代では、「悪霊祓い」はオカルト現象に分類されます。良識的な宗教は、こうした現象から距離を置くのではないでしょうか。でも、意外にそうでもないかもしれません。
例えば日本の神道には、お祓いや禊(みそぎ)の習慣があります。罪や穢れ、災厄などの不浄を心や体から取り除くための「神事」として、これらの儀礼は神道の中核をなすとも言えそうです。
かつてカトリック教会には、エクソシスト・祓魔師(ふつまし)という下位叙階がありました。トリエント公会議(1545-63年)で定められた三つの下位叙階のひとつです。祓魔師は、洗礼にさいして悪霊追放の儀式を行ったそうです。後に、第二バチカン公会議(1962-65年)で廃止されました。
それでも古代の3世紀、イタリアだけで行われた公会議の記録には、都市ローマだけで司祭46人、助祭7人、副助祭7人、侍祭42人に対して、エクソシスト(祓魔師)は56人存在したとあるそうです。彼らは、民衆が多神教から一神教であるキリスト教に「改宗」したさいに生じうる精神的な不安や危機、そのひとつの現れとしての狂乱を伴う憑依をとり去る役割を果たしたと推定されています。
似たような事例は、古代にとどまりません。19世紀ドイツのルター派牧師ヨハン・クリストフ・ブルームハルトは、1842-43年、麻痺や痙攣に苦しむ若い女性ゴットリービン・ディットゥスに祈りその他の司牧活動を行い、1843年クリスマスに「霊との戦い」が終わったことを、後に教区に報告しています。悪霊が去るとき、その女性は「イエスは勝利者なり!」と叫んだそうです。
1973年にヒットした映画『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督)は、カトリック神父と悪魔の闘いを描くオカルト映画として有名です。その後、祓魔師を再び導入することを教会に要望する声が高まったと聞きます。
こうして、悪霊祓いには怪しさと並んで、独特の魅力があるように感じます。
II
イエスが行ったと福音書が語る悪霊祓いとは、いったい何だったのでしょうか?
彼が派遣した72人の弟子たちが戻ってきて、「悪霊たちもあなたの名において私たちに服従します」と報告したさい、イエスは次のように述べます。
この発言は、悪霊祓いの前提条件について述べているようです。つまり天上界で神の王的支配が確立された結果、サタンは支配権を剥奪されて地上界に投げ落とされた。そして神の王国が地上に降臨するとき、そこでまだ暴れているサタンと配下の悪霊たちを追い祓うことが可能になります。
あるいはイエスは、敵対者から「悪霊たちの支配者ベエルゼブルによって悪霊たちを追い出している」と非難されました。「ベエルゼブル」とは「家の主」あるいは「汚物の神」を意味する語で、サタンの類義語です。イエスが悪霊祓いをしたのは事実だが、イエスの行為は悪霊によるという意味づけですね。
この批判に対して、イエスはこう反論します。
「強い者」とは、天上界から墜落したサタンです。そのサタンをイエスはまず「縛り」、その上で彼の支配圏内である「家」に侵入して、彼の「家財」とされた人々を「略奪」する。これが、悪霊祓いの実践に対するイエス自身による意味づけです。
同じことをイエスは、今後は神の側から次のようにも言いました。
「神の指」とは、神の働きを指すイメージ表現です。出エジプト記では、モーセの兄アロンが行った奇跡を自らは行えなかったエジプト人の魔術師たちが、自分たちの王ファラオに「これは神の指による」と説明しています(出8,15)。「君たちの上に到達した」とは、神の王国が天上界から降下し、その先端が地上に達したという意味でしょう。
イエスにとって悪霊祓いは、被造世界の全体に対する「神の支配」の顕現であり、それが地上で貫徹されてゆくプロセスに属します。イエスの行為は、たんに「神の王国」の到来を予告するのでなく、むしろその到来を体現するできごとでした。
III
では、口をきけなくする霊との対決の物語を、具体的に見てみましょう。
導入場面(14─19節)は、群衆の中で弟子たちが律法学者たちと議論しているところに、イエスが戻るところから始まります。つぎに群衆の一人が、「口をきけなくする霊」に苦しめられている自分の息子から、悪霊を追い出してくれるよう弟子たちに頼んだが、彼らは失敗したとイエスに報告します。するとイエスは「あぁ、不信の世代よ」と嘆いて、息子を連れてくるよう命じます。
続く提示場面(20─24節)では、その息子がイエスの前に連れてこられることで、奇跡行為者への接近が報告されます。続いて二段階で後退が生じます。すなわち、まず「霊は彼(イエス)を見て、ただちに彼(息子)を痙攣させた。そして彼(息子)は地面に倒れ、泡を吹いて転げまわった」と悪霊の抵抗が報告されます。続いてイエスと父親の対話の中で、息子の病状を説明して「もしできるなら」助けてほしいと懇願する父親を、イエスは「信じる者には何でもできる」と叱責し、これに答えて父親は「信じます。私の不信をお助けください」と叫びます。
中心場面(25─27節)では、「口をきけなくする霊よ、この私がお前に命じる、彼(息子)から出ろ。二度と彼の中に入るな」とイエスが命じると、霊は「叫びをあげ、(息子を)ひどく痙攣させて出て行った」と奇跡行為の成功が物語られます。続いてその確証として、人々には死んだと見えた息子をイエスが助け起こすと、彼は「立ち上がった」と報告されます。
結びの終結場面(28─29節)では、奇跡への反応として、弟子たちは自分たちが悪霊祓いに失敗した理由を尋ね、これにイエスが「この類のもの(悪霊)は、祈りによる以外、何によっても出て行くことがありえない」と返答します。
マルコ福音書におけるこの物語の特徴は、イエスの帰還と弟子たちの失敗、および「不信」のモティーフ(導入場面)、「信/不信」をめぐるイエスと父親の対話(提示場面)、そして「祈り」のモティーフ(終結場面)にあるでしょう。つまり福音書記者マルコは、子どもの悪霊祓いについての奇跡伝承を、とりわけ父親の姿の造形を通して、弟子たちすなわち信仰共同体に、「信仰」や「祈り」の重要さを教える物語に再解釈して編みなおした。
IV
最後に、現代における悪霊祓いについて、もう少しお話しすることで、悪例祓いの物語が私たちにとって何を意味するかについて考えましょう。
ジャーナリストで政治家の瀬長亀次郎(1907-2001年)は、米国統治下の沖縄で「沖縄人民党」を立ち上げて抵抗運動を組織したことで知られます。彼は那覇市長、衆議院議員を歴任しました。彼は、没後に出版された著書の中で、ある県会議員選挙の演説会で次のように呼びかけたと述べます。
「マジムン」とは、沖縄や奄美群島に伝わる悪霊の総称とのことです。
さらに2015年、内閣が国会に、いわゆる「平和安全法制整備法案」を提出したとき、集団的自衛権の導入が憲法解釈に変更をもたらし、戦争を可能にする危険性があるという理由で、国会前でたくさんのデモが行われました。そのとき宗教者もデモに参加し、神道の神主さんたちによる悪霊祓いの儀式が、国会議事堂に向かってなされたと聞きました。国会から戦争の「悪霊」を追い祓いたいという願いの表現です。じっさい、新約聖書でも悪霊が「わが名はレギオン」とローマ軍の名を名乗る事例があります(マルコ5,9)。
再び沖縄では、現在の反基地運動で「サン」と呼ばれるススキや桑の葉の魔除けが、毎週水曜日に辺野古の基地建設ゲート前にフェンスに、「マジムン」封じのために、女性グループの手によって突き刺されるそうです。
すると戦争は、私たちに取り憑いて、「口をきけなく」し、それによって私たちから聞く耳を奪い、子どもたちを火の中や水の中に投げ込む「悪霊」の代表的存在と言えるかもしれません。
イエスは「この類のもの(悪霊)は、祈りによる以外、何によっても出て行くことがありえない」と言います。そのとき「祈り」には自らの無力さの承認と、神への信頼の両方が含まれるでしょう。戦争という悪霊を前に、私たちの力はあまりに弱いと感じます。この悪霊こそは、神への信頼にもとづいて立ち向かうべきものであるという認識を、再び新たにしたいと願います。