I
私たちがなすべきことは何でしょうか? イエスの時代にあってなすべきこととは神の要求、神の掟、すなわち律法でした。
「律法」はヘブライ語で「トーラー」と言います。もともと父が子に、祭司が俗人に、知者が弟子に「教え、諭し、指示」として与えるものです。預言者たちは、神が与える教え・諭しを「神のトーラー」と呼びました。後にシナイ山上で神から与えられた啓示を文書化したものが「モーセのトーラー」つまりモーセ律法と呼ばれました。ペルシア時代にはモーセ五書が「トーラー」と呼ばれるようになります。さらに時代は下り、イエスの時代には、トーラーを守る垣根としてのファリサイ派の口伝形式の律法解釈の蓄積が「口伝律法」として、トーラーに属するものと主張されるようになります。本日のテクストで「人間たちの言い伝え」と呼ばれているのがそれです。
トーラーは神の意志の表れとして、ユダヤ教においてたいへん高く評価され、ほとんど絶対的な文化規範です。ヘレニズム時代にあって、そうした肯定的評価には以下の二種類がありました。
律法は民族を外界から遮断する、まるで城壁のようです。孤立的な民族主義と言えるでしょうか。これに対して、もうひとつの理解は、開放的な民族主義ないし普遍主義的です。
この立場によると、律法は自然法であり、律法規定は万人に遵守可能です。モーセ以前の人々も、律法がなくても、楽々と律法に従って生きていました。
II
そうした律法に対するたいへん高い評価の陰に隠れるように、ちらりほらりとユダヤ人自身による律法批判が証言されています。
例えばユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスに、民数記(25章)が伝えるジムリ殺害のエピソードの再話があります(同『ユダヤ古代誌』4,145-149)。民数記によれば、祭司ピネハスは、異民族女性を妻にもつジムリを、民族主義的な義憤からその妻もろともに切り殺して、神の怒りを鎮めました。そのジムリはヨセフスによる再話の中で、モーセがたんなる実定法にすぎない律法を用いて自民族を好き勝手に奴隷化していると非難し、至高の価値である自由には他の神々への崇拝も含まれると主張します。ギリシアのソフィストの論法を想起させる発言です。それでも、ジムリの殺害は正当化されます。
あるいはユダヤ教外典の『第四エズラ書』(1世紀末の成立)で幻視者エズラは、一度も罪を犯したことのない人間などいない以上、神は罪人である人間を憐れんでこそ真の神だと訴えます(同8,20-36)。これは律法遵守の要求が、人を深刻な罪責意識に追いやるという批判であり、この批判はパウロも共有しています(ロマ7,18以下)。しかしエズラの訴えは、対話相手である解釈天使ウリエルによってただちに却下されます。
さらに、ローマ時代のギリシア人地理学者ストラボンは、モーセとモーセ後継者たちを区別して評価します。一方では、モーセが動物の姿や人間の姿をした神々の崇拝を拒絶し、それに代えて普遍的な神に対するイメージを伴わない崇拝を導入したことは、高く評価されます。そうすることでモーセは、周辺の諸民族と平和に生きました。他方で、モーセの後継者である祭司たちは迷信深く、食物規定や男女の割礼などを導入し、さらに周辺民族から暴力的に土地その他を収奪することで、最初の理想的状況から離反してしまいました。これは律法の一部が、民族遮断的に作用することに対する批判です。
こうした散発的な声は、律法に対する圧倒的な高評価という文化規範のもとで抑圧された無意識の表れであるようです。私たちにとって、キリスト教倫理がそのようなものにならないという保証はありません。
III
本日の聖書箇所は、福音書記者マルコによる、よく考え抜かれた構成を示します。
状況設定(1-5節)では、「汚れた手」による食事をめぐるファリサイ派と律法学者による批判が提示されます。これに対してイエスは、まずは一般論的に、敵対者たちが神の戒めを放置し、人間たちの伝承に固執していると反論します(6-8節)。続いて具体論的に、両親の戒め(出20,12他)とコルバンの習慣の間の矛盾を、イエスは指摘します(9-13節)。一般論と具体論の組み合わせのパターンは、これに続く群衆および弟子教示にも引き継がれます。すなわち群衆教示では(14-15節)、一般論的に「人に外から入るものでなく、人の中から出るものが人を穢す」とイエスは教えます。これは一種の格言です。続く弟子教示で(17-23節)、イエスはこの格言を解説して、「食べ物ではなく、もろもろの悪しき想念が人を穢す」と教えます。悪徳表(21-22節)が付記されていることにも注目してください。
以上のような段落構成の中に、さまざまな律法規定が配置されています。すなわち清浄規定は状況設定に(2.5節)、両親の戒めは反論部分に(10-12節)、そして食物規定は弟子教示に現れます(18-19節)。こうしてマルコは、清浄規定・倫理規定・食物規定という多様な種類の律法規定を、ひとつのユニットに詰め込んでいるわけです。
さて、イエスはこうした律法規定に対して、どのようにふるまったのでしょうか? 清浄規定に対しては、イエスはかなりリベラルであったことが知られています。彼は触ると穢れるとされていた人々に、平気で触っています。レプラ患者に触ることも、彼は厭いませんでした。両親の戒めとの関連では、イエスは親の家を棄てています。そして血縁でなく、神の意志に基づく「神の家族」を彼は提唱しました。他方で食物規定に対しては、イエスはおそらく精神の水準ではリベラル、しかし実践の水準では保守的であったと思います。平気で豚肉を食べたり、血を飲んだりをイエスはしていません。
原始キリスト教における食物規定の廃棄は、イエスの死後に徐々に進んだと思われます。パウロとペトロは、異邦人キリスト教徒との交わりの食卓のあり方をめぐって、アンティオキア教会で衝突しました(ガラ2,11以下)。使徒行伝が伝える使徒教令(行伝15,23-29)は、この衝突後の善後策として、最低限の清浄および食物規定を異邦人キリスト教徒に求めています。他方で、異邦人コルネリウスに洗礼を授けるに先立って、ペトロがある幻を見たと報告されます(行伝10,9-16)。天から降りてきた風呂敷にたくさんの動物がいて、「食べよ」と言われたペトロは、「とんでもない。私は穢れた物は何一つ食べたことがありません」と返答しますが、「神が清めたものを君が清くないと言うな」と天から声があったという幻視です。
これらのできごとは、すべて紀元一世紀の40-50年代、つまりイエスの死後10-20年ほどの時期に生じています。マルコ福音書は、さらに後の70年代の成立です。
IV
それでも本日のテクストに、イエスに遡ると思われる要素が少なくとも二つあります。
ならば私たちは、教会の聖なる伝統、私たちの信仰の伝統などの名によって、「人間を穢す」こと、つまりその人が神の前でもっている尊厳を傷つけることに対して用心深くあるべきでしょう。
イエスは例えば離婚を認めるモーセ律法を無効とみなし、人妻である女性たちに対する欲望の眼差しを断罪しますが、その動機はおそらく、アダムとエヴァが永遠のカップルであることを神の意志と理解するからです。また、「安息日は人のために生じた」とイエスが言うのは、創世記では人の創造が安息日の設置に先立って物語られているのを重視するからでしょう。つまりイエスは、神の名によって正当化された文化習慣を、絶対視しませんでした。
また福音書記者マルコが言いたいこと、つまり清浄規定もコルバン論争も食物規定も、すべて倫理的な戒めとして読み替えるべしという方向性も、イエスの趣旨によく符合すると思います。
V
悪徳表にリストアップされていること、つまり「淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意、欺き、放縦、妬み、冒瀆、高慢、愚かさ」などが避けるべきものであることは、私たちにも分かります。
それよりも、私たちがもっと用心深くあるべきなのは、いわゆる「正しさ」に基づいて、あるいは私たちが「それが普通だ」「当たり前だ」と思うことに基づいて、他者を攻撃することかも知れません。
先日、非常に危険な「あおり運転」をした乗用車に同乗していた女性の姿が、顔の部分にモザイクがかけられた仕方で、「ガラケー女」としてニュースで流されました。すると、一部の人々が犯人探しを始め、この女性であるとされた人の本名や家族関係、職業その他がネット上で拡散されましたが、すぐにまったくの赤の他人であることが判明しました。その間、この女性の職場に、抗議の電話や誹謗中傷あるいは脅迫が殺到したそうです。これは、「悪者を処罰せよ!」というもっともらしい理屈の殻を借りた、正義を偽装する悪意という他ありません。
ならば私たちは、〈私の判断は必ず優れているのだから、あなたは私に従いなさい〉と圧力をかけてみたり、〈私はきちんとしているけれども、あの人のやることなすことはいい加減すぎて我慢がならない〉と中傷したりすることに、もっと用心深くありたいものです。これらはすべて、「神が何者であるかは、この私が決める」と言うに等しく、イエスが批判の対象とした「人間の伝承を神の掟に先行させ、神の掟を捨てる」ことで、神の被造物である人を穢すことに通じるように感じます。
私たちが目指すべきは、神の意志を共に祈り求めること、また私に人を穢す能力があることを認めて自己批判的であること、そして考え方や意見が違う人々といっしょに暮らすための寛容さを互いに養うことだと思います。そしてそのことは、私たちの主イエスの心にも適うものであると信じます。