2019.01.27

音声を聞く(MP3, 32kbps)

証し「境界線の向こう側」

村上 進

出エジプト記 22,20-26ヨハネの手紙一 3,16-18

 野生動物を調査する研究者たちは、その動物が棲息する森などに入って、活動の痕跡を探します。足あとだとか、木の実を食べたカスなどを見つけては、その習性や活動範囲を探ろうとします。「先生先生、ここに木の皮を囓った跡が!」「おお、確かにここを通ってるな」だとか、時にはその動物の「落とし物」を見つけて顔を近づけ、においを嗅ぎ、「うむ、まだ新しい。近いぞ」などと目をきらきらさせたりします。

 突然こんなお話から始めて戸惑っておられるかもしれませんね。私たちは、何を追っているのでしょうか? そうです。イエス・キリストを追い求めています。イエスさまが歩かれた跡をたどり、イエスさまが進んでいった方向に向かって歩んで行きたいといつも願っています。そしてやがてはイエスさまにお会いしたい、会えないまでも、せめてその背中が見えるくらいのところまで追いつきたいと思うのです。

 そのためには、ここが主の歩かれた道、あっちが主の進まれた方向、という証拠を見つけなくてはなりません。教室で図鑑を見ていてもその動物には出会えないのと同じです。私たちもフィールドに出て「先生先生、これ見てください、これってイエスさまの足あとですよね!」などとさまざまな「証言」を出し合えば、イエスさまに少しでも近づいていけるのではないでしょうか。

 私にも、これは確かにイエスさまを指さしていた、と言えるような体験があります。それをどうしても皆さまにお話ししたくて、今日私は、この「証言台」に立っています。

 

 それは、映像ジャーナリスト、後藤健二さんのことです。四年前、シリアで過激派武装勢力に拉致され、法外な身代金を要求されたあげく、同様に拘束されていた湯川遥菜さんという日本人と共に、相次いで殺されたのです。組織が撮影して動画投稿サイトに公開したその映像は、無事を祈っていた私たちの望みを完全に打ち砕き、悲しみの底へ突き落としました。

 後藤さんは私たちの親しい仲間でした。インディペンデント・プレスという映像制作会社をご自身で持ち、ひとりで小型ビデオカメラを担いで世界中を、特に中東の紛争地域やアジアの貧困地域、難民キャンプなどを訪ね、困難な環境で生きる人々、特に子どもたちに、その優しいまなざしを向けていた人でした。ご自身はクリスチャンで、都内にある別の教会の信徒でしたが、一時期ご自宅がこのすぐそばだったこともあり、私たちの教会にご家族でよく出席されていました。特に青年会では皆とさまざまな意見のやりとりをし、私たちは皆、彼を尊敬し、その人なつっこい笑顔が大好きでした。

 実は彼が拉致される半年ほど前のことです。「日本人ジャーナリスト、シリアで拘束か?」というニュースが報道され、私たちの間に衝撃が走りました。「まさか、後藤さんじゃないよね」とメールや電話が飛び交いましたが、私はそれを笑い飛ばしました。報道によると、その日本人は写真家という肩書きでシリアに入国したのですが、自動小銃で武装していたのをとがめられ、連れ去られたとのことでした。ですから私には、それは絶対に後藤さんではない、という確信がありました。

 心配するみんなに私は「後藤さんは護身用の拳銃すら持たない。丸腰の本当の強さをわかっている人だ。自動小銃なんか持っていたというなら、それは絶対に後藤さんではないよ。」そう話したのです。はたして、その時拉致されたのは「湯川遥菜」さんでした。武装兵士を派遣する民間軍事会社をつくり、実戦経験を積むために現地入りした人だそうです。正直に告白しますと、私はそのニュースを聞いて、「バカなやつだ、自業自得だ」と思いました。

 ところが…あろうことか、後藤さんが危険をおかしてまでシリアに入ったのは、その湯川さんを救出するためだったのです。湯川さんはいわば「殺しを請け負う」人です。紛争で虐げられている子どもたちにカメラを向け、その真実を世界に訴え続けてきたあの後藤さんが、湯川さんを助けに行く。その動機が、まったく理解できませんでした。

 後藤さんが殺されて一週間ほど経ち、日本各地で追悼の集会がありました。私も写真とキャンドルを持って参加しました。そこへ集まった人の中には、「I am KENJI」というプラカードを持っている人たちもいました。そのころネットでそういう行動の呼びかけがあったようです。ところが、中に「I am HARUNA」と書かれたプラカードを掲げる一団がいたのです。私は、嫌悪感とまでは言いませんが、違和感を禁じ得ませんでした。なぜ今日、なぜここに? 湯川さんの追悼ならどこか別の場所でやってくれ、そう思いました。

 私にはそのとき、後藤さんが殺されたのは湯川さんのバカな行動のせいだ、湯川さんさえいなければ、後藤さんは死なずにすんだ。何で湯川さんなんかを助けに行ったんだ?…そういう思いがあったのです。私はそのやりきれない気持ちを誰かと共有したくて、そうだそうだと同意して欲しくて、正直に気持ちを書いて青年会メーリングリストに送信しました。

 加奈子さんから長文の返事がありました。けれどもそれは、私に同意したり私を慰めたりする内容ではなく、むしろ私の偏った見方を指摘するような内容でした。「(進さんは)ああいう生き方しかできない人の気持ちを考えたことがありますか?」「後藤さん自身の弱さが、湯川さんを友として求めていた可能性は?」そのような言葉がならべられていました。

 私は初め、それらの言葉にひどく反発を覚えました。そして反論を試みました。反論し、多数の同意を得ることは容易なことのように思われました。しかし、それを組み立てていくまさにそのとき、私は自分自身のことばに、刺し貫かれたのです。

湯川さんなんか、殺されたってそんなの自業自得でしょう? 見捨てておけばよかったのに。あんな奴の命より後藤さんの命の方がずっと…?!

 自分の言葉に背筋が凍りました。今、何て言った? 今俺は、何を―――?

 湯川さんは知らない人。後藤さんは大切な友だち。湯川さんは人殺し会社をつくった人、後藤さんは人道的ジャーナリスト。湯川さんの命は失われても自業自得。後藤さんの命はかけがえのないもの。それが私の率直な感情でした。命をかけても守りたい大切ないのちがあり、それを守るために奪われるいのちがある。私たちはいつもそう言って、いのちといのちとの間に境界線を引いています。

 けれど、神さまの思いは違う。すべてのいのちを神さまは愛しておられる。いのちをつくられた神さまの前に、傷つけられてもかまわないたましい、失われてもかまわない命など、ただの一つもない。そのことを、自らのいのちに代えて、十字架上の死でもって証ししたのが、イエス・キリストではなかったか。

 それなのに私は、ずっと聖書を読んでいるのに、何百回もその解き明かしを聞いたのに、何もわかっちゃいなかった。私は大馬鹿者です。その大馬鹿者の目を開かせてくれたのは、この代々木上原教会の交わり、この教会の友からの誠実な語りかけでした。

「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」 (ヨハネの手紙一 3,16

 聖書全体を通して異口同音に語られているこれらのことばの意味を、私はアタマでは理解していたかもしれないが、私のハラワタは、わかっていなかった。私が “あんな奴” と言った、そのひとの命を救うために、私たちが心から尊敬する大好きな友が、危険な一線を踏み越え、囚われ、見せしめにされ、殺され、その耐えがたい悲しみが直接自分にふりかかって初めて、やっと私は、神さまの思いに気づいたのです。

 まさに、「あんな奴」と言われつづけた人と共に歩まれたのがイエスの生涯でありました。それを私たちは繰り返し学んで知っているはずです。それなのに、いまだに私たちは「あいつはあの時こんなとんでもないことをしやがった、それは共同体においては許されざる行為だ」とか、「奴には悪霊あくれいがついている。奴を仲間に置いておくと皆が悪霊にとりつかれてしまう」という意味あいの言葉を、思わず口にしているのです。

 私たちは、親しい友、尊敬する仲間や愛する家族の、壮絶な苦しみと死を通してしか、イエスの真実を身にまとうことはできないのでしょうか? それではあまりにも愚かです。私たちはもっと聡くならなければなりません。イエスご自身が、私たち一人ひとりのために、そう、「あんな奴」も含めたすべての人のために、すでに一度死んでくださっているのですから。イエスの愛を示すできごとは、いつも私たちのすぐそばにあります。それを拾い集めながら、イエスの歩まれた道を、祈りつつ共にたどっていこうではありませんか。

 


 
礼拝説教集の一覧
ホームページにもどる