牧師の家庭に生まれキリスト教の環境で育ってきた私は、聖書やキリスト教については、よく知っている反面、劇的な「改心」の経験がないことを引け目に思うことがあります。神様は、そのような私に、さまざまな出会いを通して、福音の神髄に立ち返る機会を与え、道を備えてくださいました。その中の二つの例をお話します。
丸木位里、俊の画家夫妻は、位里さんの故郷である広島に原爆投下直後に行き、その惨状を「原爆の図」と題して描きました。その後、南京・アウシュビッツ・水俣と、人の命が無残に奪われたことを描き続け、最後に「地獄の図」という絵を描き、東条、ヒットラーなど、多くの人の命を奪った戦争の指導者を地獄の中に描いたのですが、最後に「戦争を止められなかった私たちも悪い。私たちも地獄行きだ」と、位里さんは俊さんを、俊さんは位里さんを地獄の図に描きこんだのです。
真宗大谷派のお経の意味を教えてもらったときに、そのお経が「殺すな、殺させるな、殺すのを見逃すな」という意味だと聞きました。俊さんは真宗ではありませんが、お寺の娘さんですから、人の命を奪うことが大きな罪であるという仏教の教えで生き、直接手を下さなくても人が殺される戦争を止められなかったという点で、自分たちも罪を犯した、だから地獄行きだと思われたのだと思います。
1985年、沖縄で開かれたアジアキリスト教協議会の平和会議に参加したとき、「埼玉の丸木さんという方と同室です」といわれ、指定された部屋に行くと、小柄な俊さんがベッドにちょこんと座っておられました。私は少し恐縮しながらも楽しく二日間を過ごしました。2日目の晩、位里さんから俊さんに電話がありました。楽しそうに電話をした俊さんは、最後に「では地獄で会いましょう」と受話器を置き、私に「地獄の友達からの電話なのよ」とおっしゃったのです。
私は、戦争を止められなかったことが地獄行きだと言ってお互いを地獄に書き込んだご夫妻の話に深く感動した旨を話しました。さらに少しためらったのですが、「私がキリスト教の信仰を持っているのは、そのような地獄まで神様がいらっしゃったためです」と言ったのです。俊さんは、もう電話も終わったからでしょう。お酒を飲んで気持ちよさそうに寝てしまわれました。私の話は宙に浮いたままになったと思い、私も寝ました。
翌日の朝食の時、「鈴木さん、昨日の話をもう一度してちょうだい」とおっしゃるので、「何の話ですか」と聞くと、「神様が地獄に行く話よ」との返事でした。そこで、私は、繰り返し神様に背いて罪を犯す私たちを救うために、神の子がこの世界に来られ、貧しい人、差別された人、苦しむ人の仲間になられたこと、その結果、政治家や宗教的指導者に疎まれ、ねたまれて十字架につけられて死なれたこと、教会では使徒信条という信仰告白の中で「十字架につけられ、黄泉に下り」と唱えていることなどを話しました。
すると俊さんは食事の手を止め、じっと考え込み、私の話が終わっても、考え込んだままで無言でしたが、しばらくして「すごい話だ」と言ったのです。当たり前のように唱えていた使徒信条の言葉、決まり文句のように言っていた十字架による救いという言葉の内容が、本当は「すごい」ことだと改めて気づかされました。
もう一つの話は、1969年に父が召される直前の話です。父が56才でガンで召されたことは大打撃でした。父は教会にすべてを捧げ、教会員の勤め先や学校での聖書研究、家庭集会、訪問など、家にいる時間がほとんどない状態で、私たちは父親不在の家庭などと言っていましたが、そのように教会のためにすべてを捧げる父の生き方が家族の中心になっていたのです。もちろん、教会の中でも牧師としての父の存在は非常に大きく、突然その牧師がガンで天に召されるということで、教会員全体が、これからどうしてよいか途方に暮れ、大きな不安に満たされていたのです。
私は父が入院して以来、学校の仕事が終わるとすぐに病院に駆付け、看病し、父が求めるままに聖書を読んでいました。父は、フィリピの信徒への手紙を読むと、牢屋に捕らわれているパウロがいつも喜びに満たされていることに心を動かされ、詩編を読むと、その詩編が賛美に満たされていることに励まされたりしていましたが、当時の私が聖書の中で共感できたのは、終わりまで賛美の声が出てこない暗闇の中の呻きのような詩編88編のみでした。
ある日、私は、終わりまで賛美や感謝の言葉のない詩編があるけれど、それでも良いのだろうかと尋ねました。父はその詩編を読んでごらんと言い、私が88編を読むのに耳を傾けてから言いました。「これが人間の本当の姿だ。人間に出来ることは絶望しかない。どんな人でも、絶望しないと言ったら嘘だ。誰でも皆絶望して最後は死ぬのだ。そのあとは神様の領分だ。キリストでさえ死んで葬られた。そのキリストを死人の中からよみがえらされたのは神だ。人間は絶望し、死に屈服するだけなんだ。」
私は今年の受難節に、病気のために礼拝に出席できず、家で「わが神、わが神」という説教集を読んでいました。それは、明治以来の名説教者と言われる牧師たちの受難と復活の説教を集めたものです。それらの説教は、自分が受けた福音のメッセージを、そのまま教会員に伝えようとしたもので、非常に力強く心に響いてくるものでした。私は、その中でも、高倉徳太郎牧師の「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」という説教に深く心を動かされました。神の子イエス・キリストが、神に捨てられたという絶望の極みに達した、神は、そのような形で、絶望するしかない人間と共におられるという趣旨です。
昨年、福島の牧畜業者がこの言葉に救いを感じると言っていたことを思い出しました。彼はクリスチャンではないですが、牧草地も汚染され将来の展望が全く持てない中で、この言葉に出会ったのです。遠藤周作は、イエスがこの言葉で父である神に救いを求めたというような解釈をしているけれど、この福島の人は、救いを求めるという態度には同感できずにいたのですが、あるとき、荒井献さんが「あれは絶望の言葉です」と言ったのを聞き、深いところで生きる力を与えられたというのです。絶望する以外に何も出来ない人にとって、同じように絶望している人がいると言うことが慰めなのです。
自分の行いによって救われるのではなく、信仰によって救われると教会で教えられていますが、時とすると、その信仰さえも持てない時があります。この社会では、真剣に生きようとすると絶望せざるを得ないことに直面します。しかし、そのような絶望の淵にあるときに、神様が私たちと共にいらっしゃるということは、何物にも代えがたい大きな恵みです。信仰も持てず、地獄行きでしかない私たちを、神様は捕らえ、共にいてくださるのです。その神様がこれからも、道を備えてくださることを信じて生きていきたいと願います。